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【解説】中村大尉事件

 東京の参謀本部から派遣された中村震太郎大尉が、案内人の井杉延太郎元曹長・従者のモンゴル人・ロシア人各1名と共に1931年6月27日、洮南・索倫間の蘇鄂公府にて中国軍によって殺害された。これを中村大尉事件という。昔から極右が「柳条湖事件より先に中国側が攻撃してきたのだ」と主張する為に使っている事件である。この事件について、日本外交文書の記述を基礎として本記事で解説する。以下では特に断らない限り、[]付の数字でこの「日本外交文書」における文書番号を表すことにする。

中村震太郎
東京朝日新聞1931年8月18日夕刊

事件の背景

 1931年7月29日の哈爾浜総領事から外相への電報[291]で

近来特ニ姿ヲ仮装シテ奥地ニ入リ込ム特殊軍人多数ナル処

と書かれている。実は中村大尉事件から1ヶ月弱前の時点で、満洲里領事館から外相宛に下記のような電報[282]が打たれている。

去ル四月下旬以来我参謀本部陸軍省ヨリ秘密裡ニ派遣セラレタル軍人ガ軍事上ノ見地ヨリ呼倫貝爾地方ノ地形実情調査ノ目的ヲ以テ商人等ニ化ケ往来シ居ルタメ同地方中国並蒙古官憲ハ是等軍人ノ行動ヲ頻リニ注意シ居ルトノ風評盛ナルニ顧ミ当館海拉爾出張員及蝶者ヲシテ右ノ事実ノ無有ヲ取調へシメタル処参謀本部ヨリ派遣ノ長大尉ハ本月上旬海拉爾在留邦人河崎某ヲ伴ヒ地質学研究ノ名目ノ下ニ呼倫貝爾ト外蒙ノ接境(主トシテ貝爾湖附近)ノ地形ヲ調査ニ赴キ又関東軍派遣新妻少佐参謀本部派遣中村大尉ハ夫々地質学研究ト称シ海拉爾在留邦人服部某ヲ伴ヒ呼倫貝爾東北部ニ向ヒタル事実アリ之レヲ探知シタル海拉爾中国官憲及蒙古政庁ハ此等軍人ノ行動ニ対シ相当注意ヲ払ヒ居ルモノノ如シ

 事件前から複数の「特殊軍人」が相次いで民間人に化けて奥地へ赴き軍事目的の調査を敢行、中国側がこの動きを察知し警戒していたことが伺える。これが中村大尉事件の背景である。尚、対華21ヶ条要求で日本人の居住往来を認めさせた「南満洲」とは、概ね外蒙古の東方突出部から琿春までを繋いだ線の南側である。上で言及されている呼倫貝爾(ホロンバイル)地方というのは、この「南満洲」には全く含まれ得ない1

鹿島平和研究所「日本外交史 別巻4 地図」第15図 21カ条要求関係

 斉斉哈爾領事館の7月27日電報[286]は、中村一行の辿った経路について外相に下記のように報告している。

参謀本部ヨリ軍事用調査ノ為派遣セラレタル中村大尉 (本名不明)ハ興安嶺山中ノ東支鉄道 「イレクテ」 駅ヨリ洮南ニ出ヅル沿道ノ状況調査ノ為昂昂渓ヨリ井杉ヲ連レ(井杉ハ陸軍下士出身ニシテ当地方ノ地理ニ明ルク二三年来此種軍人ニ内地旅行ノ為案内兼従者トシテ傭ハレ来レリ)「イレクテ」ニ至リ同地ニテ旅装ヲ整へ七月三日洮南到着ノ予定ニテ六月九日「イレクテ」ヲ出発シタリ

軍人の身分隠匿し旅行目的詐称、ヘロイン持ち旅行禁止区域に侵入、軍事調査を実施

 中村は日本の総領事館から2枚の護照(身分証明書)を発給されていた。1枚は日本の官吏として奉天総領事館から発給された内地行護照2 だが、これに対しては奉天省政府から、洮南西部地方が旅行禁止区域に指定されていた[301]。4人が殺害された場所(蘇鄂公府)もこの旅行禁止区域に含まれた[309]。これが不都合なので、軍人としての身分を秘匿し学校教員として、旅行区域制限の記されていない護照を、哈爾浜特務機関の依頼で哈爾浜総領事館に発給させていた[293]。中村はこれらの護照を持って満洲西北部へ赴き、「地質学研究」[282]とか「中国の開墾と鉄道視察」[354]を称して実際には軍事用調査を敢行した[286]。中村等一行は6月25日、馬賊討伐に出動していた中国側屯墾軍第3団に蘇鄂公府で逮捕された。中村は取調を受け、「何事ヲ為ス為メ中国ニ来タカ」との問に「中国ノ開墾ト鉄道ヲ視察ニ」と答え、軍事目的の調査をしている事実を言わなかったようである。また、取調の中で一行が違法薬物のヘロインを所持していることも判明した。「何ニ使フカ」と問われ、「売薬」と答えている。6月27日、取調の後に一行は同第3団によって殺害された[354](関東軍の発表に拠れば、取調の後に移送されて処刑された。一方中国側の見解に拠れば、中村等一行が取調中に逃亡を図った為射殺されたとのことである。)。第3団は現場の独断で中村等一行を殺害し証拠隠滅を図った為、事件後の外交交渉の際は中国側も殺害の事実を確認するのに時間が掛かった。

中国側は殺害を否認? 交渉を遷延?

 日本の新聞では当時、中国側が殺害の事実を否認しているとの報道がなされたが、これは誤報である[331]。また、日本の新聞では中国側が本件の交渉を故意に遷延しているという旨の報道がなされたが、中国側は下記のように述べている[335]。

日本新聞ハ中国側カ故意ニ遷延シ居ルガ如クニ騒キ立ツルモ右ハ不当ノ宣伝ト言フへク中国側ハ誠心誠意調査ヲ急キツツアルヲ以テ御諒解アリタク林総領事ノ談ニ依ルモ日本カ事実ヲ認定スル迄ニハ調査ニ一ヶ月ヲ要シタル趣ニモアリ総領事ヨリ交渉ヲ受クル迄何等知ル処ナカリシ中国側トシテモ調査ニ相当ノ時日ヲ要スルハ巳ムヲ得サリシ処ナリ

 日本側が本件を中国側に提起し謝罪や賠償等を求めて交渉を開始したのは、8月17日のことである[300]。また交渉開始時に日本側は

右殺害事実ニ関シ日本側ハ如何ナル証拠ヲ有シ居ラルルヤト反問セルニ付本官ハ相当ノ証拠ヲ掴ミ居ルモ右ハ中国人ニ関スルヲ以テ今直ニ種子ヲ明カサハ証人ニ危険ノ及フ虞アルニ依リ兎ニ角責任者トシテ貴方限リノ調査ヲ以テ事実ヲ明カニセラレタシト答へタル処……

とし[301]、それまでに掴んでいた調査結果を明かさず、中国側に事実を一から確めるよう求めている。日本側外交当局は当初から

本件ヲ以テ満蒙問題解決ノ楔機トナスコトナク又調査ノ為我兵力ヲ使用スルコトナシ

としており[296]、実際9月18日までには中国側も現場へ調査団を2回派遣した上で殺害の事実を認め[348]、交渉は特に決裂の様相を見せていない。よって中村大尉事件を以て柳条湖事件の自作自演を正当化しようとするのは無理である。

  1. 厳密には記事「【NOTE】「南満洲」とは何処のことか」で論じている通りである。 []
  2. 満洲「内地」とは、満洲における租借地でも鉄道附属地でもない領域のこと。 []