記事
【検証】「当時の中国は国家の体を成していなかった」のか?
論点
満洲事変に於ける日本の行動の正当性を訴える文脈で「満洲事変当時の支那は国家の体を成していなかった」とする言説がある。これは正しいか間違いか。
結論
間違い。

解説
個人の感想として「国家の体を成していない」と評する分には自由だ。しかし、法的には明確に主権国家であった。

1922年に日中含む9ヶ国が所謂9ヶ国条約を締結した。第1条では下記のように定められている。
(一)支那ノ主権、独立竝其ノ領土的及行政的保全ヲ尊重スルコト
(二)支那カ自ラ有力且安固ナル政府ヲ確立維持スル為最完全ニシテ且最障礙ナキ機会ヲ之ニ供与スルコト
この時の中国の代表は、中華民国北京政府だった。
1926年、蒋介石率いる中華民国国民政府が北伐戦争を開始した。1928年6月にこれが完遂され、北京政府は消滅し、中国は国民政府の下で統一された。国民政府は北京政府が締結した条約等を継承し、中国の新たな代表として国権回収運動(不平等条約改正)に取組んだ。北京政府の張作霖を継いで東北地方を治めていた張学良は、同年末に易幟をして、東北地方の国民政府への帰属を承認した。
9ヶ国条約加盟諸国は国民政府を中国の新たな代表として漸次承認していった。日本も以下の文書が示すように、1929年6月3日には名実共に国民政府を正式承認した(1929年06月10日「支那国民政府承認ニ関スル件」海軍省)。
帝国政府ハ本年一月三十日ノ日支関税取極ニ依リ支那国民政府ヲ事実上承認セルモノナル処其後両国間当面ノ諸懸案相踵イデ解決ヲ見タル等ノ事情ニ鑑ミ五月十七日ノ閣議ニ於テ同政府正式承認ノ方針決定セラレタルガ右ニ基キ駐支芳澤公使ハ孫文国葬祭典参列ノ機会ニ六月三日南京ニ於テ国民政府主席蒋介石ニ対シ御信任状ヲ提出セリ之ニ依リ帝国政府ハ国民政府ノ正式承認ヲ了シタル次第ニ付右ニ御承知相成度此段申進ス
この国民政府が、満洲事変以降の戦争における中国の代表である。
要するに、条約を締結して承認しているばかりか、9ヶ国条約によってわざわざ主権尊重を明示的に義務付けられているのだ。このような政府を「国家の体を成してない」などと軍閥扱いして満洲侵略を正当化できると思ったら、大間違いである。
参考:5月17日の閣議
参考:東京朝日新聞1929年6月4日夕刊第1面 ↓
