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【NOTE】「南満洲」とは何処のことか

 第1次世界大戦の時、日本は対華21ヶ条の第2号要求で「南満洲」及「東部内蒙古」における様々な権益を要求し、南満洲及東部内蒙古ニ関スル条約(南満東蒙条約)に記載させた。満洲とは東三省(黒龍江・吉林・遼寧)に他ならないが、この内「南満洲」とはどの範囲を指すのか。南満東蒙条約にその定義は記載されていない。

鹿島平和研究所「日本外交史 別巻4 地図」第15図 21カ条要求関係

 「南満洲」と「北満洲」の境界は、1907年の日露協約で定義されたことがある。例えば鹿島平和研究所「日本外交史」は、この定義を地図に掲載している。しかし、この境界線の定義は日露間の秘密協定だったので、対華21ヶ条要求の際中国側には提示されなかった。したがって、南満東蒙条約の謂う「南満洲」を日露協約で定義されたものとする解釈は、当時の日中の共通認識とまでは言えないようだ。日本側の史料だけ見ても、複数の解釈が挙げられている。勿論、奉天辺りはどの解釈を採用しても南満洲に属すし、呼倫貝爾・斉斉哈爾・依蘭等はどの解釈を採用しても北満洲に属す。しかし、例えば洮南等は解釈によって南満洲だったり北満洲だったりする。

 以下で日本側の史料から「南満洲」の定義に関する記述を引用する。

Ⅰ. 「満蒙要覧」(1929年7月15日、南満洲鉄道株式会社庶務部調査課発行)

第三項 南北満洲の区域

 吾等通俗に南満といひ、北満といふも其範囲に関して確然たる者があるのではない。言ふ者も漠然たるのみ、其解釈の区々たる者がある。今其主なる者を挙ぐれば次の如くである。

(一)省の境界に依って区分せんとするもの

(イ)北満…………黒龍江省(面積 三七,七七五方里)
   南満…………遼寧、吉林省(同 二七,八四九方里)
(ロ)北満…………吉林、黒龍江省(同 五三,七五五方里)
   南満…………遼寧省(同 一一,八六九方里)

(二)地勢を標準として区分せんとするもの

 北流する松花江と、南流する遼河、鴨緑江の各々流域を以つて南北満洲を区分せんとする者にして其分水嶺は公主嶺附近となり、洮南、長春は北満に入るであらう。

(三)鉄道の勢力圏に依って区分線とするもの

 東支鉄道及南満、吉長、四洮各鉄道の後背地を以て各々南北満洲に区分せんとする者であって、換言すれば、日露両国の勢力圏を以て両者の区別をなさんとする説にして、今日の如く露国の勢力駆逐せられたる時に於ては其適否を知るに苦む。

(四)貿易系統に依る区分

 大連、営口、安東の後背地を南満としてポグラニチナヤ、満洲里、其他北辺露領貿易市場の後背地を北満とするものである。

(五)旧日露の勢力圏に依る区分

 或は巷間伝ふる所によれば一九〇九年日露間に於て勢力圏に関する秘密条約を結んでゐたとの事であるが之に依れば琿春より鏡泊湖を経て、長棚と松花江の会合点を通じ、嫩江松花江の合流点を過ぎ洮兒河より索岳爾済山に及ぶ一線を以て南北二分するものであるから中には南北満洲の標準を之に求むるものである。

 要するに此問題は猶未決定の儘に残されて居ると言ふべきである。

 満洲事変後、国際聯盟の調査員から南満洲・東部内蒙古の定義を問われた日本外務省は、1932年5月20日に下記のような「南満洲及東部内蒙古ノ範囲ニ関スル一参考資料」を内部向けに作成した。

Ⅱ. 満洲事変後のリットン調査委員会に対する外務省の応答

明治四十(一九〇七)年七月三十日

第一回露協約附属密約追加約款

本協約第一条ニ掲ケタル北満洲ノ分界線ハ左ノ如ク之ヲ定ム

露韓国境ノ北西端ニ始マリ琿春(Hunchun)及必爾滕湖(Pirteng)北端ヲ経テ秀水站(Hsiushuichan)ニ至ルマテ逐次直線ヲ画シ、秀水站ヨリハ松花江(sungari)ニ沿ヒ嫩江ノ河口ニ至リ之ヨリ嫩江(Nunkiang)ノ水路ヲ溯リテ托羅河の河口ニ達シ此地点ヨリ托羅河ノ水路ニ沿ヒ同河ト「グリニツチ」東経百二十二度トノ交叉点ニ至ル

……

明治四十五(一九一二)年七月八日、第三回日露協約

第一条 前記分界線(一九〇七年七月三日附ノ日露協約ノ追加条款ニ定メタル分界線)ハ托羅河ト「グリンツチ」東経百二十二度トノ交叉点ヨリ出テ「ウルンチユルン」河及「ムシシヤ」河ノ流レ依リ「ムシシヤ」河ト「ハルダイタイ」河トノ分水線ニ至リ、是ヨリ黒龍江省ト内蒙古トノ境界線ニ依リ内外蒙古境界線ノ終端ニ達ス

……

○大正四年日支交渉当時ニ於ケル「南満洲及東部内蒙古」ノ範囲ニ関スル解釈

一、南満洲

(一)日支交渉当時「南満洲」ノ範囲ニ関シテハ我方内部ニ於テモ何等ノ決定ヲ為シタル事実見当ラズ従テ支那側ニ対シテモ右範囲ニ関スル我方見解等ヲ開示シタル事無シ

(二)支那側ノ解釈振ニ関シテハ加藤大臣ノ訓令(大正四、二、二四、支宛電報第一一七号及大正四、四、一、同第二〇六号)ニ基キ大正四年四月三日第十八回談判ノ節駐支日置公使ヨリ支那側ニ問合セ見タル処之ニ対スル支那側ノ意見左ノ如シ(大正四、四、五支発大臣宛電報第一七五号)

「支那政府ニ於テハ「南満洲」ナル地名ヲ用ヒズ、「南満洲」ハ日本国ニ於テ普通用ヒラルル処ニシテ支那ハ之ニ対シ「東三省南部」ナル文字ヲ該当セシメ居レリ

又東三省南部、北部ト区別スルモ法制上何等一定ノ区画無シ併シ東三省南部トハ大凡長春以南ト心得居レリ」

 芳澤謙吉外相は5月23日、奉天の森島守人総領事代理に対し、調査員には下記のように対応するよう指示した。

一、質問事項五ノ(一)及(二)ニ関シテハ左記ノ趣旨ヲ以テ応酬セラレ度

南満洲ト云フモ東部内蒙古ト云フモ共ニ漠然タル地理的名称ニシテ要スルニ満洲ノ南半分乃至内蒙古ノ東半分ト云フ意味ナリ大正四年日支交渉当時ニ於テモ此等地域ノ範囲ニ関シ日支間ニ一定ノ限界ヲ定メタルコトナク其後モ右限界ニ付別段問題ヲ生シタルコトナキ次第ニテ自分(森島)ノ承知スル限リauthoritative official interpretationナルモノハナシト存ズ尤モ自分ノ研究ニ依レハ満洲ノ南半分及内蒙古ノ東半分ノ範囲ヲ定ムル為メニハ左記ノ諸点ヲ考慮スルヲ要スヘシトシテ此等諸点ヲ可然説明スルコト

(イ)南満洲

(1)満洲南北両端ノ中央ハ北緯四六度六分ノ線ナリ

(2)松花江本流及嫩江ハ満洲ヲ南北ニ分ツ重要ナル地理的根拠タルヘシ(右地域ハ行政的ニハ吉林、奉天ノ二省ニ該当スル処吉林省牡丹江沿岸方面ハ夙ニ朝鮮民族ノ定住セル所ニシテ大正四年日支条約締結当時之ヲ無視シタルモノト見ルコトヲ得ス)

(3)清朝初期ニハ現在ノ黒龍江省居住ノ満人ヲIcho Manchu伊徹満(新満)ト称シ奉天吉林省(殊ニ牡丹江沿岸)居住ノ満人ヲFou Manchu仏満(老満ノ意)ト称シタル事実アリ

(4)一八九八年東清鉄道会社続約第一条ニ哈爾賓ヨリ南下スル支線ヲ「南満洲支線」ト称シ居レリ

……

本件ト満洲ニ於ケル日露勢力範囲トノ関係ニ付テ

本電所載南満洲及東部内蒙古ニ関スル解釈ハ第一回及第三回日露協約附属秘密協定ニテ画定セル日露勢力範囲(当時英仏米等ニ極秘トシテ内報セリ)ノ限界ヲ幾分食ミ出シ居ル処右ハ左記諸点ニ顧ミ差支ナカルベシト認メラル

(イ)日露間ノ協定ヲ以テ日支間ノ約定ヲ解釈スベキニ非ズ又大正四年ノ日支交渉ニ当リ前記日露間ノ勢力範囲ニ関スル約定ヲ基礎トセルコトナシ

(ロ)大正四年二月十五日在本邦露国大使ト加藤外務大臣ト会談ノ際同大使ハ日本ノ対支要求中ニハ政治財政軍事顧問傭聘ノ条項アル処露国ノ勢力範囲ニ該条項ノ適用及バザル様致シ度ト述ベタルニ対シ(其ノ際同大使ハ南満ニ於ケル居住営業権ニハ言及セズ)加藤大臣ハ今回ノ要求ハ支那ニ対スルモノナレバ右要求ガ全部承認セラレタル暁ニハ其ノ点ヲ不都合ナキ様取計フコトハ異存ナキニ付対支交渉結着後必要アラバ御相談致度ト応酬セル事実アリ

(ハ)日露秘密協定ノ内報ヲ受ケタル英米仏等ガ同協定ヲ引用シテ大正四年日支条約ニ関スル我方ノ解釈ニ対シ云々スベキ地位ニ在ラザルコト勿論ナリ