資料
科学的に満蒙対策を観る
みすず書房「現代史資料(7) 満洲事変」P.134
佐多弘治郎、1931年1月24日於旅順講演要旨
科学的に満蒙対策を観る
本日は「科学的に満蒙対策を観る」と云ふ見地に於て卑見を述べ忌憚なき批判を受け高教を仰がんとす
一、満蒙対策の公理――基調に就て
対満蒙策に関しては従来屢々論議せられたる所なるも之を科学的に取扱ひ確乎たる公理――基調の下に論ぜられたるは皆無と称するも過言にあらず予は年来研究せる所に遵ひ聊か科学的検討を試み之を説述せんとす然して満蒙対策の基調たるや之を一言に要約すれば左の如し
「東四省に経済活動の絶対自由を確保し生命財産の安全確実を期す」
即ち経済活動の自由を得る為には生命の安全なるを要し生命を保護せむが為には治安維持を必要とす予は嘗て著書富籤論の中に「呪れたる日本」なる一項を設け我日本として現下の国状より観て大なる領土若は之に準ずべきものを獲得せざれば結局英米等の大国に圧倒せらるべきことを指摘したり
惟ふに独逸に於て説示せられたる地理学的に政治を見ることは爾後米国に於て極度に発達せる所なるも尚近時の動向として社会科学的見地より之を考察するの要頗る喫緊なるものありと信ず
「マルクス」の所謂大資本が小資本を吸収するが如く小領土国は自ら大国の権力に支配せらるるの傾向を有す其の理由として武器特に火器の発明進歩発達に在りと称せられあり蓋し太古個人の武技体力を以て闘争せし時代に在りては個人の強力なるもの自ら他を制したる所なるも火器の発明せらるるや其の特性上弱者をも強力ならしめ戦争長期に亘るに従ひ人口及資源の豊富なるもの終局に於て捷を制するの傾向あり即ち領土曠大にして資源豊富なるもの愈々強大となるに至るべし
又経済的見地よりせば経済活動の自由は大国に於て之を獲得すること容易なり之が為近時其の経済圏を益々拡充し之を保護すべく努力せられつつあり故に領土小なる国家は経済活動を局限せらるるの窮地に陥り大国に対抗する為には遂に小国聯盟を策するの必要を招来す、彼のラテン同盟が之に依り貨幣経済を図り近く欧洲諸国が経済聯盟を組織して米国に対抗せんとするが如き皆之の類に外ならず
翻て我日本の状態を観察するに四面悉く大国に包繞せられ聯合すベき小国を有せざるのみならず是等超大国の国家機構は共和国社会主義国にして感情上よりするも我国体と相容れず
以上に依り大日本としての所謂超大国を建設するの要は極めて明白にして之が為領土を獲得するか尠くも之と同価値のものを得ざるベからず此の見地に基き先づ第一に著目せらるるは諸般の関係上支那なるも支那本土は既に其の人口過剰飽和の状態に在り残るは只満洲なり即ち満洲を我絶対権の支配下に入れ此処に超大国を建設するの要あり仏人「ルボン」が「先を予見し得ざる国民は滅亡の国民なり」と喝破せるは当に至言なり、大英帝国の今日あるは実に其の国民性に先見の明を具備せるに依るものと謂はざるベからず今や我帝国にして国家の現状に鑑み善処することなくんば遂に百年の悔を残すに至らん而して満洲超大国を建設せんか之を根基とし容易に第二次の発展を策し得べし
右に対し「徒に事端を醸すよりは漫々的に現在の特殊権益を主張する」を以て満足すべしとて反対論を述ぶるものあるも之れ決して我帝国を救済し得る所以にあらず
曠大なる国家は微小なる欠陥に依り其の存立発展に脅威を感ぜざるも小国に於ては然らず之を動物の例に依るも牛豚の如きは臀部等を若千剌傷するも敢て生命活動に別条なきも犬猫の如きに至りては微傷と雖其の活動を殺ぎ或は直に死の動因となること多し例へば支那鉄道が近時対満鉄政策の為盛に其の官銀号をして物資の買占を行はしめ観者をして其の損失多く経営困難なるを想像せしむるも事実は官銀号の株主、役員たる所謂要人は他方に於て官吏として多額の税金を徴収するため自己の嚢中実質的には何等の損失なし之れ全く支那の如き大国に於て成立する現象にして我帝国の如き状態にては到底予想し難き所なり、換言せば我帝国の現状は漫々的微温的対策を以てしては到底之を救済し得ざる所なり
片々たる小権益の如きは我より之を抛棄するも可なり、寧ろ国家百年の大計を樹つる為対満蒙策の大目的を達成することを第一義として善処するの要極めて大なりと謂はざるべからず
二、如何なる形式にて経済自由生命の安全を獲得すべきか
此の形式に二あり一は満洲に清朝を恢復し之と連合せんとするもの、一は満洲に日満漢鮮の四族共和国を建設せんとするものなり而して此等実現に方りては現下の状勢上表面之を「カムフラージュ」するの要あり
満洲を観察するに地形上よりせば陰山山脈に依り万里長城附近にて支那本土と分離せられ地勢自ら異れり又歴史的に観るときは満洲人発祥の地なり人種的よりせば日漢人は相異なるも日鮮満蒙は同一蒙古種に属すと称せらる即ち満洲は当然支那本土と分離し独立性を保有すと謂ふことを得べし
扨右案の実行は寧ろ政府の手を煩すことなく在満日本人の手に於て決行するを得策とす而して第一段階として「満蒙文化の発達を妨ぐるものは現時の支那政権なり」てふ意識を広く内外に強調宣伝するの要あり
遮莫右二案共日本本国の勢力を背景とするにあらずんば実現困難なり惟ふに清朝恢復案は理由の根拠比較的薄弱なるのみならず現時国家建設の状勢上徒に内外の注目排撃を喚起し易し而かも日本人は単に黒幕として実行を策し得るに過ぎず故に我日本本国が強力に関心せざるに於ては徒に世論の反対を買ひ実現性に乏しかるべし満蒙四族共和国案は「支那現時の政権にては満蒙の開発困難なるを以て在満民族の生命財産の保護上竝世界文化の開発上満蒙共和国建設の要ある」旨を白人種間に自己権利の主張として開示し得べく現実の問題として実現可能にして且公明正大に之を主張し得べく予は実に之を提唱するものなり
説を成す者日く「平和思想時代に於て右の如き案を採るは徒に事端を構ふるものにして不可能なることなり」と然れども平和思想なるものは結局痴人の夢に過ぎず之を世界人口の増加状態に見るも然り又国家の天恵は各国自ら差あり各々現状に依り其の配当を満足すべしと強ふるは極めて片務的にして不公平不合理の甚しきものなり国家の発展を助長する所以にあらず天恵豊なる国家の自己保存の言に過ぎず況んや資源を共同使用せんとするが如きは社会生活上困難とする所なり
民族的に之を見るも人種問題の反感あり彼の「マルクス」主義の如きも白人中心の議論にして当時東洋人は単に土耳古人のみ国際人の圏中に入れられたるに過ぎず彼等の国際観念は白人を主とするものに止り彼等に都合よきものと謂はざるべからず永遠の平和なるものは到底期し得べからず
又別に説を唱ふるもの日く「満洲は諸種の関係上日本人の発展出来ず縦令之を獲得するも収支相償はざるべし」と
右は満蒙を絶対自由とせる後の方法問題の研究が必要なる前提条件と謂はざるべからず即ち満洲占領後の方法論として充分省察するを要すべき重要なる問題なり
此処に満蒙に日本人の発展し得ざる素因を探求するに発展を妨ぐる要素として左の数点を指摘するを得べし
(イ) 満洲に係る事項
支那官憲の不当なる圧迫により邦人の居住竝各種の営業妨害を受く
満洲の人口相当に多し
人種的に観て支那人馬鹿に非らず
満洲の治安維持せられず生命に脅威を感ず
(ロ) 日本人に係る事項
日本人は余りに官憲に対する依頼心強く独立自由の行動執れず
日本人の文化向上し粗野の風習逐日消失し衣食住の生活程度高く在満支那人と競争不利なり
日本人は正直にして一六勝負的精神なく冒険的事業竝行動を採らず
(ハ) 自然に係る事項
満洲は大体農業資源にして其の開発は漫々的なるを要し忍従すること必要なり
貴金属の採掘の如き一獲千金の巨利を博することを得ず
地理的に日本本土と離隔しありて移住不便なり
気候 寒冷なり又民族発展の方法として一般に北より南へ下るは易きも南より北へ侵入するは人間の本性上困難とする所にして世界史の証する所なり
(ニ) 経済的に係る事項
満洲の労働力安価に過ぐ
満洲は予期する如く富裕ならず
日本内地の金利高く満洲には金融上の利益尠し
即ち以上の諸要素を深く探究し之を打開するの方策を樹つること必要にして邇く之に関し意見を発表する所あらんとす
三、目的達成手段
一言にして要約せば完全なる満洲とし政治的独自の状態に置かんとするものにして之が目的達成のため準備と実行に別ち述ぶれば次の如し
(イ) 準備行動
- 満洲には絶対に蘇露の介在を許さず之れが為先づ支那の東支鉄道の回収を援助し之を成功せしめ回収運動を促進す
- 支那東支を回収せば当然次に起るべき問題は我満鉄に対する回収策にして此処に必ず捕ふべき機会を生ずべし共産運動亦従つて擡頭蜂起し愈々好機を醸生するに至らん
- 満洲治安乱るるや在満邦人を武装的に蹶起せしめ満鉄従業員亦武装を整ふ
- 満洲の状勢急変するに至らば祖国日本の対支強硬の輿論憤起し挙国一致の後援を作成するに至るべし
即ち右の如く先づ支那をして東支鉄道を援助回収せしめんか蘇露は報復手段として大に共産赤化主義の宣伝に没頭すベく我は共産主義の取締を緩にし且守備兵の撒退を敢行せんか此処に益々其の流布伝播を見匪賊の横行亦日に月に熾烈を加へ鉄道破壊、強窃盗の不祥事変続行し満蒙の治安大に乱れ堂々正義の雄叫を世界に向ひ唱へ得るに至るべし
在満邦人は此間一致協力武装を整へ一は以て匪賊の掠奪に備へ他は以て武装蹶起の準備を整へ関東庁は前陳の如く共産主義の取締を緩にし寧ろ陰然其の横行を助長するを可とすべし而して此等の宣伝は主として満鉄之に任じ特に紐育、寿府等の要所に適材を配置して万国輿論の操縦に努めしむるを必要とす
茲に顧慮すべきは満鉄の組織にして総裁には堅確なる決意を有する軍人を充用し尚社員には各々之を政治的及実業的に活動の方面を明にし総裁輔佐の顧問格のものを設け且勉めて多数の軍人其の他気節あるの士を採用し武装団体の主たるものたらしめざるベからず素より之が実現に際しては母国の後援を要すること多大なるものあり常に此機運を醸成すると共に特に其の経済恢復に努力し置くこと肝要なり
(ロ) 満洲占領後の対策準備
満洲占領後の対策は事前に充分研究準備すること必要なるは論を俟たず予は其の一方法として義務移民法の創成を提唱せんとす即ち現時の兵役義務の一部を開発業務に転換し旁々之に依りて軍縮を策し得べし其の開発方法の一例を述べんに将校を長として露国の所謂共営農場制の如き団体を組織し之を政府の指定する所に依り所在に移住せしめ且其の利益を配分す然り而して之の制度は即時樺太、台湾、朝鮮等の新附の我領土の開発に試み洗鍊し置くを有利とすべく表面飽く迄平和を装ひ置くこと必要なり
(ハ) 実行の手段
前述せる準備行動中愈々沿線地方に不祥事変続発し機熟するや直に之を捉へ在満邦人一致結束敢然蹶起し一時母国に対し謀叛を行ひ直に満鉄を占有し其の資金を自由にす次で吉林、奉天等の諸要地を占領すると共に軍隊に托して治安を維持す
元より此際米国の干渉、支那の「ボイコット」は予期するところなるも満蒙共和国を武力を以て圧迫し得るは実に近隣の母国日本以外に於ては不可能とする所なり従つて要すれば之と陽戦をも辞することなく以て共和国建設の業を全からしむるものとす
若し夫れ共和国建設の業成就せんか日本本国支援の下に「ボイコット」膺懲を名とし北支進入等の壮図を敢行し以て易々第二の対支策の樹立を期するを得べし
四、結言
以上極めて簡略に平素の素懐を述べたるも未だ完璧を期せず研究の余地亦尠からず然れ共予は徒らに机上の空論を述ぶるにあらず牢固たる決意の下に之が実現に努力し以て我日本国家の現状を打開せんとするの熱意に溢るるものにして特に軍部諸彦に期待する所大なるものあり各位の高教を垂れ後援せられんことを切望するものなり