資料

上海事変の勃発と停戦協定の成立

日本外交文書満州事変第2巻第1冊一
外務省、1932年

[6] 昭和7年1月(21)日 在上海村井総領事より芳沢外務大臣宛(電報)

呉鉄城上海市長に対する排日運動取締要求について

別電 一月二十二日着在上海村井総領事より芳沢外務大臣宛第五七号

   呉上海市長に対する要求条項

第五六号(暗)

貴電第八号ニ関シ

十八日ノ事件ノ概況ヲ叙シ本件発生原因ハ畢竟当地方民衆ノ排日悔日運動ノ結果ナルニ付其根本的解決策トシテ抗日会ノ解散ヲ他ノ条件ト共ニ要求スル所以ヲ説キ別電第五七号ノ四項ノ要求ヲ付記シタル廿日付呉市長宛公文ヲ持参シ本官廿一日午前呉市長ヲ往訪シ過去数ヶ月ニ亘ル当地方排日運動ノ為日華両国民間ノ感情カ極度ニ悪化セラレ殊ニ忍ヒニ忍ヒ来レル日本人、最早堪ヘ忍ヒ得サルニ至リタル状態トナリツツアル点ヲ力説シ此際断乎タル決心ヲ以テ排日運動取締命令ヲ発セラルルコト緊要ナル所以ヲ説示シタルニ呉市長ハ排日取締方ニ関シテハ自分ノ力ノ及フ限リ極力取締リ越軌行動ヲ絶滅スヘキ間接的手段ニ依リ実効ヲ挙クルコトニ努力スルコト勿論ナルモ抗日会解散命令ヲ発スルコトハ民衆運動ノ高潮時ナルニモ顧ミ直ニ実行ハ不可能ニシテ且上海ニハ自分ノ権力ノ直接及ハサル地域モアリ仮令命令ヲ出ストモ単ニ民衆ヲ刺戟スルノミニテ実効ハ無カルヘキ旨ヲ説キ難色アリタルカ本官ハ不法団体ノ存在ヲ認メ乍ラ不法行為ヲ取締ルト云フカ如キハ本末顛倒ナリ先ツ不法団体ノ解散ヲ命シ尚不法行為絶エサルナラハ之ヲ取締ルコトヲ要ス且貴説ノ如キハ前市長ヨリモ度々聴キタルカー向其効無カリシモ今迄忍耐シ来レルカ最早忍耐シ切レサルニ至レリ抗日団体ノ解散ハ此際形勢ヲ緩和スルニ絶対必要ナリト力説シ置ケルカ呉市長ハ何レ近ク南京ニ赴クニ付貴方要求ニ付テモ政府当路ト相談ノ上追テ何分ノ回答ヲ為スヘシト応酬セルニ付本官ハ当地方我方居留民人心異常ニ昂奮ヲ来シ居ル際ナルニモ顧ミ速ニ我方要求ヲ容レ之レ以上事態ヲ紛糾セシメサルコト両国ノ為緊要ナルコトヲ説明シ置キタリ尚本官ヨリ抗日会解散要求ノ次第ハ廿一日ノ朝刊ニ発表シ尚在留官民有力者ヨリ成ル時局委員会ニ披露シタルモ期限付ナラサルモノハ従来ノ所謂厳重抗議ト何等異ル所無ク之ニテハ到底居留民ヲ押へ得サルヘントスル意見ナリ

守屋書記官ニ転報セリ

広東ヨリ香港ニ転電アリタシ

北平、奉天、天津、青島、済南、南京、漢口、福州、広東ヘ転電セリ

(別電)

第五七号

一、市長総領事ニ対シ陳謝ノ意ヲ表スルコト

二、加害者ノ捜査逮捕処罰ヲ遅滞ナク切実ニ実行スルコト

三、被害者五名ニ対シ治療費及慰藉料ヲ提供スルコト(金額ハ追テ協議決定ノコト)

四、排日侮日ニ亘ル不法越軌言動ハ総テ之ヲ取締リ特ニ上海各界抗日救国委員会ヲ始メトシ各種抗日団体ヲ即時解散セシムルト

守屋書記官ニ転報セリ

広東ヨリ香港ニ転電アリタシ

北平、奉天、天津、青島、済南、南京、漢口、福州、広東ニ転電ス

[14] 昭和7年1月26日 在南京上村(伸一)領事より芳沢外務大臣宛

日本海軍の上海における実力行使と右に伴なう居留民の安全保護方について

南京 1月26日後発

本省 1月26日後着

第七○号(暗、至急、極秘扱)

本官発上海宛電報

第四号

大臣宛往電第六三号ニ関シ

(一)二十六日当地我海軍側ニ達セル電報ニ依レハ塩沢司令官ハ上海ノ事態益々悪化シ来レルニ鑑ミ帝国海軍ハ二十八日以後自衛手段ヲ執ルヘキ旨宣言シ先大臣発貴官宛電報第一二号後段司令官稟請ノ第二項及第三項ヲ実行スヘキ決心ナル旨東京ニ電報シ更ニ当地駐在海軍武官ニ対シテハ帝国海軍ハ何日カ(日付ハ追テ電報スヘシトノコト)ヨリ必要ナル自衛手段ニ出ツヘキ旨、支那側ニ対スル通告文案ヲ電報シ来リ日付決定ト同時ニ右ヲ陳紹寛ニ手交スヘキ旨訓令シ来レル趣ニテ当地海軍側ハ二十八日若ハ二十九日ニハ必ス上海ニ於テ実力行使ノ挙ニ出ツヘキヲ信シ居レリ依テ本官ハ大臣発貴官宛第一一号及第一二号ノ趣旨ヲ話シ上海総領事ト海軍トハ密接ナル連絡ヲ執リ居リ而モ外務大臣ヨリハ実力行使ノ時期ハ予メ請訓スヘキ旨ノ訓令モアルコトナレハ司令官ニ於テ右総領事、本省ニ対スル請訓ヲ待タス兵力行使ニ出ツル筈ナキ旨説明シ自重ヲ求メ置キタルニ就テハ右特ニ御含ノ上海軍側ト連絡方御配慮相成度シ

(二)当地碇泊ノ先任艦長ヨリ司令官宛電報ヲ以テ上海ニ於テ兵力使用ノ場合ハ当地ニ於テ如何ナル事件突発セサルトモ限ラサルニ付予メ領事館員及在留民ヲ軍艦ニ収容シ置キ度キ旨ノ意見ヲ稟申シタル処司令官ヨリ軍艦ニ収容スルハ避ケラレ度キ旨回訓アリタル趣ニテ艦長ノ解釈ニ依レハ右訓令ノ趣旨、非常ノ際ニ於ケル軍艦ノ戦闘カ阻害ヲ恐レタル為ナル可ク此ノ上ハ予メ日清汽船ヲ一隻当地ニ回航セシメ置クヨリ外ナキニ付本官ニ於テ右取計方依頼シ越セリ本官ノ見ル処ニ依レハ支那側カ南京ノ治安維持ニ全力ヲ尽シ居ルハ事実ニシテ当地ニ於テハ我方ヨリ挑発セサル限リ先ツ大事ナル事件ヲ見ル事無カル可シトハ思ハルルモ我海軍側ノ意気込ニモ顧ミ全然楽観シ得可キニ非ス従テ上海ニ於ケル兵力使用ノ場合ハ当地在留民ヲ安全地帯ニ移シ置ク事万全ノ策ナル可ク而モ当地ニハ安全地帯トテハ之無ク「ハルク」トテ万一砲火ヲ交ユルカ如キ場合ニハ頗ル危険ナルニ付予メ汽船一隻ヲ当地ニ回航シ置キ在留民ヲ之ニ収容スル外安心シ得ル方法無キ次第ニ付大臣宛拙電第七一号ニ対スル本省ノ回訓ニ依リ差支ヘナキニ於テハ適当ト認メラルル時期ニ汽船一隻当方ニ回航セシムル様御取計相成度シ

大臣へ転電セリ

[15] 昭和7年1月27日 芳沢外務大臣より在ジュネーヴ沢田連盟事務局長宛(電報)

上海方面に軍艦増派について

別電 同日芳沢外務大臣より在ジュネーヴ沢田連盟事務局長宛第一四号

   軍艦増派に関する海軍当局談話

第一三号(暗)

上海方面ノ事態ニ鑑ミ万一ニ備フル為メ二十六日巡洋艦一、駆逐艦十二ヨリ成ル水雷戦隊及約六百名ノ陸戦隊ヲ増派セルカ右ニ関シ二十八日別電第一四号ノ通海軍当局談トシテ発表ノ筈右増派ニヨリ上海ニ於ケル現在海軍力ハ軍艦七、駆逐艦十六及陸戦隊約千八百トナル訳ナルカ右計数ハ連盟首脳部等ヨリ質問アリタル場合、内密ノ含トシテ説明セラレ差支ナキモ外部ニ公表スルコトハ差控ヘラレ度尚在上海各国海軍力ニ関シテハ客年在支公使発大臣宛第一○六五号ニテ御承知アリタシ

米ニ転電セリ

在欧各大使(土ヲ除ク)ニ転報アリタシ

(別電)

第一四号

支那各地ニ於ケル排日運動ハ多年醸成セラレタル排外思想ニ其ノ根底ヲ有シ決シテ一朝一夕ノコトニアラサルモ満州事変ノ勃発ニ依リ益々激甚ヲ加フ排日ハ遂ニ侮日ニ変シ或ハ言語ニ絶スル非人道的行為ニ依リ暴戻ナル挙措ニ出テ或ハ対日経済絶交ヲ敢行シテ所謂武力ヲ用ヰサル挑戦行為ヲ続行シツツアルハ世人ノ周ネク知レル所ナリ右ノ如キ実情ナルニモ不拘帝国海軍ハ政府ノ方針ヲ体シ常ニ穏便自重ノ態度ヲ以テ我居留民ノ生命財産ノ保護並ニ帝国権益ノ擁護ニ最善ノ努力ヲ傾注シ以テ今日ニ及ヘリ

然ルニ今次ノ上海事件ノ如キニ至リテハ極メテ合理且妥当ナル我要求ニ対シ民国側ノ態度極メテ驕傲不遜言ヲ左右ニ托シテ毫モ誠意ノ認ムヘキモノナク而ノミナラス陽ハニ各種ノ手段ヲ講シテ邦人圧迫ノ暴挙ニ出テツツアリ殊ニ最近ノ情報ニ依レハ彼等ハ其ノ正規兵ヲ以テ急遽我ニ敵対スルノ準備促進シツツアルノ実情ナリ

帝国海軍ハ如上ノ情勢ニ鑑ミ此ノ種不法行為ノ制止ヲ期シ曩ニ軍艦大井駆逐艦四隻及特務艦能登呂ヲ増派シ更ニ本月二十六日我水雷戦隊及陸戦隊ヲ増派スルニ至リタル次第ナリ

帝国海軍トシテハ民国側ノ不法行為根絶ニ依リ事態ノ平和的解決ヲ望ム次第ナルモ万一民国側ニシテ猶毫モ反省スル所ナク依然其ノ不法行為ヲ停止セサルニ於テハ我自衛上適当ト認ムル行動ニ出テ帝国臣民ノ保護並ニ我既得権益ノ擁護上万遺憾ナカランコトヲ期スルモノナリ

米ニ転電セリ

本電通リ転報アリ度

[17] 昭和7年1月(28)日 在上海村井総領事より芳沢外務大臣宛(電報)

僧侶遭難事件への中国側回答を期限付で要求について

第一一四号(暗、大至急)

往電第一一三号ニ関シ

二十七日午後八時電話ヲ以テ呉市長ニ対シ二十八日午後六時ヲ限リ明確ナル回答ヲ得度旨要求セリ

往電第一一三号ノ通転電報セリ

連盟及米ヨリ然ルベク

広東ヨリ香港ヘ転電アリ度シ

[21] 昭和7年1月28日 在上海村井総領事より芳沢外務大臣宛(電報)

日中軍事衝突の勃発に備え上海各地区居留民の避難方について

上海 1月28日後発

本省 1月28日後着

第一二九号

陸戦隊時局委員会等トモ協議ノ上昨夜閘北(淞滬鉄道線路ノ西北側及江湾路)居住邦人ニ対シ今二十八日中ニ六三花園又ハ租界内ニ避難方又同線路ヨリ北四川路ニ亘ル地域内ノモノニ対シテハ同沿線ニ於テ万一日支衝突発生ノ場合ニハ家内ニ引込ミ窓等ニハ応急ノ防弾設備ヲ為ス様勧告シ又東亜同文書院及其付近ニ在ル愛光社(牛乳屋)ニ対シ租界内ニ避難方ヲ勧告シタルカ何レモ今朝来避難ヲ開始シ居レリ尚閘北方面ニテハ支那側防備ノ増設及邦人避難開始ニ依リ急ニ怯へ出シ支那住民中ニ動揺ヲ生シ北停車場ヲ中心トシテ付近混雑シ居レリ(午後五時)

公使へ転報ス

北平、奉天、天津、青島、済南、南京、漢口、蘇州、杭州、福州、広東、香港へ転電セリ

[22] 昭和7年1月(28)日 在上海村井総領事より芳沢外務大臣宛(電報)

日本人僧侶殺傷事件に関する上海市長の回答容認について

第一三二号(暗、至急)

往電第一一三号ニ関シ

愈秘書長廿八日午後三時呉市長ヨリ本官宛回答公文ヲ斎シタル処右ハ大体満足ノモノト認メ今後ノ実行振リヲ見ルコトトシ一応之ヲ容レタリ公文要旨発表シ置キタリ委細後報

北平、奉天、天津、青島、済南、南京、福州、 廈門、汕頭、漢口、広東、蘇州、杭州、九江、蕪湖、連盟、米ニ転電シ支へ転報セリ

[29] 昭和7年1月30日 芳沢外務大臣より在ジュネーヴ沢田連盟事務局長宛(電報)

上海事変の真相に関する海軍側情報について

別電 同日芳沢外務大臣より在ジュネーヴ沢田連盟事務局長宛第二四号

   右海軍側情報

第二三号(暗、大至急)

上海事件ノ真相ニ付貴地軍縮会議海軍側全権ヨリ問合モアリ海軍省ヨリ出先ニ照会ノ結果別電第二四号ノ通リナリ

別電ト共ニ在英大使、在米大使、加奈陀、紐育、シカゴ、桑港転電セリ

別電ト共ニ英ヲ除ク在欧各大公使ニ転電アリタシ

(別電)

第二四号 大至急

一、事件前ノ状況

支那側ノ累年頻々タル排日侮日不法行為ニ対シ殊ニ自重的態度ヲ以テ彼ノ反省ヲ促シ来レルニ上海在留民ハ今次ノ執拗無法ナル抗日運動ニ対シ憤激其ノ極ニ達シ居レル状況ナリシ折柄一月十八日日蓮宗僧侶惨殺事件ニ依リ遂ニ勘忍袋ノ緒ヲ切レリ事件ニ対スル我方要求ニ対シ呉市長ハ抗日会解散ハ即時承認シ難シトシテ回答方遷延シ来レル一方抗日会ハ却テ益々不逞ノ言動ヲナシ淞滬鉄道其ノ他各要所ニ内々堅固ナル防禦陣地ヲ築キ戦闘準備ヲ整へ居タル等不安ノ空気ハ市中ニ漂ヒ在上海各国人共仮令支那側カ屈服スルトモ支那軍隊ノ統制固ク到底此ノ儘無事ニハ収マラスト観測スルモノ大多数ノ状況ナリキ

二十八日午後三時呉市長ハ漸ク要求全部ヲ容ルルニ至レルカ総領事ヨリ呉市長ニ対シ付帯事件トシテ不慮ノ衝突等ヲ避クル為日本軍付近ノ支那軍隊ノ撤退ヲ要求シ一遣(第一遣外艦隊)ニ於テハ承認条項ノ実行及一般形勢ノ推移ヲ静観中ナリシ所市政府方面ニ民衆多数集合シテ不穏ノ形勢アリ且謡言蜚語流行シ閘北一帯ノ保安隊ハ逃亡シテ不安甚シク一部ニハ既ニ避難ヲ開始セルモノアリ工部局ハ二十八日午後四時戒厳ヲ布キ午後五時各国軍隊ハ協定ノ配備ニ就ク第一遣外艦隊司令官ハ午後八時三十分上海発本大臣宛第一三四号ノ通リ声明ヲ発シ支那側ニ対シテハ之ヲ遺漏ナク伝達スルコトヲ促スノ手段ヲ執リ午後九時三十分在泊各艦ノ陸戦隊ヲ揚陸シ上海特別陸戦隊ニ協力ヲ命シタリ

二、事件発生時ノ情況

在留邦人ノ生命財産保護ノ為陸戦隊ハ工部局カ戒厳ヲ布告シタル際実施スヘキ列国駐屯軍協同防備計画ニ基キ日本側担任区域タル北四川路ノ東西両側ニ対シ二十九日午前零時敵若シ攻撃ニ出テサルトキハ我ハ進テ攻撃行動ヲ執ルヘカラサル命令ノ下ニ配備ヲ開始セルトコロ東側地区ハ無事ナリシモ西側地区ニ於テハ虬江路及(陸戦隊兵出動其他)閘北支那街ニ通スル街路ニ顔ヲ出スヤ否ヤ支那側ハ突如射撃ヲ開始セルヲ以テ我軍自衛上之ニ応戦シ茲ニ交戦状態ニ入レリ

三、雑件

イ、事件ノ発端ハ敵正規軍ノ予メ準備セル攻撃ニ対スル我陸戦隊ノ自衛行為ナリ

ロ、閘北保安隊カ二十八日夕刻ヨリ全部逃亡セシハ彼等カ事件発生ヲ予知シ居タルモノト認メラル

ハ、我陸戦隊ハ治安維持ノ為必要トスル工部局ノ戒厳ニ依リ各国軍ト協定ノ警備地ニ配備セントシタルモノニシテ即チ該区域ハ在留邦人多数ヲ含ム北四川路方面ノ確保ニ対シ絶対必要トスル範囲タルコトハ夙ニ各国軍ニ於テモ認メタル所ナリ

ニ、一遣司令官ハ声明書ヲ発スルト同時ニ支那側市長、公安局長等ニモ厳達シ事件発生予防ニ手段ヲ尽シタルノ外総領事ヨリハ前日支那側ニ対シ警告要求スルトコロアリシハ前記ノ通ナルニモ拘ラス此ノ衝突ヲ見タルハ支那軍隊カ予メ衝突ヲ準備シ居リシカ故ナリ

ホ、飛行機ノ爆撃ハ敵兵ノ集団地ヲ目標トシ停車場ノ如キ公共ノ建物ハ之ヲ除外シ居リタル所敵ノ装甲列車停車場付近ニ占位シ盛ニ我ヲ射撃セル為已ムヲ得ス之ヲ攻撃スルニ至リシモノナリ

[48] 昭和7年2月2日 在上海重光公使より芳沢外務大臣宛(電報)

上海帰任以後の状況について

上海 2月2日後発

本省 2月2日後着

第六一号

本使着任以後ノ当方面状況左ノ通リ尚総領事電報参照アリタシ

一、我陸戦隊ハ其占拠地域ヲ死守シ居リ兵力既ニ最大限度ニ達シ之以上増員ノ余地ナキ為支那兵ノ上海付近ニ在ルモノニ対シテハ強力ナル爆撃機ヲ用フルノ計画ナリ海軍力ハ第三戦隊ノ来援等ニ依リ充実セルモ陸上ニ於テハ飛行機ノ外別ニ用フヘキ所ナク爆弾投下ハ一般人心ヲ極度ニ恐怖混乱セシメ外国人側ノ急速ナル非難ヲ招キツツアリ

二、二十九日事件当初海軍側ハ手薄ノ為在郷軍人団及一時青年団又ハ自警団ヲ閘北占拠地内ノ治安維持ニ用ヒタル行懸モアリ彼等ノ行動ハ便衣隊ニ対スル恐怖及憎悪ト共ニ恰モ大地震当時ノ自警団ノ朝鮮人ニ対スル態度ト同様ナルモノアリ支那人ニシテ便衣隊ノ嫌疑ヲ以テ処刑(殺戮)セラレタルモノ既ニ数百ニ達セルモノノ如ク中ニハ外国人モ混入シ居リ将来ノ面倒ナル事態ヲ予想セシムル為ニ支那人外国人ハ恐怖状態ニアリ

三、支那軍隊(第十九路軍)ハ恰モ戦勝者ノ如キ宣伝ヲ為シ満州軍ノ無抵抗主義ニ憤慨セル広東精神モ加ハリ戦意強ク一挙ニ無勢ナル陸戦隊ヲ撃滅スヘシト称シ居リ漸ク停戦交渉及支那側有力者ノ斡旋ニ依リ極端ナル行動ヲ起ササルモノノ如シ右ノ状況ニテ一旦重大ナル衝突再発センカ我居留民ハ尼港事件再発スヘシト為シ極端ナル恐怖心ニ襲ハレ海軍側ヲ非難スルモノ等出テ冷静ヲ失フモノ多シ

外国人ハ日支衝突ノ結果延ヒテ租界ノ安否若ハ奪回セラレンコト迄ヲモ懸念シ日本側ニ対スル非難ハ益々昂マリツツアリ支那人始メ一般ハ全然「パニック」ニ襲ハレ交通ノ許サレタル昼間ハ東部租界内外居住者ハ家財ヲ持チテ旧英租界及仏租界ニ殺到シ上海未曾有ノ混乱状況ナリ

連盟、米、北平、奉天、漢口、天津、青島、済南、蘇州、杭州、福州、広東、南京、香港へ転電シ上海へ転報セリ

[50] 昭和7年2月2日 在上海重光公使より芳沢外務大臣宛(電報)

上海居留日本人の強硬論の海軍側への影響について

上海 2月2日後発
本省 2月2日後着

第六三号

二十八日支那側ガ我総領事ノ要求条項全部ヲ承諾セルニ拘ラズ我居留民ノ主ナルモノ(時局委員会)ハ之ニ対シ絶対反対シ千載一遇ノ機会ヲ失スト論ズルモノアリ同委員会ノ籠城(日本人「クラブ」)ニ集リ居タル在郷軍人等ハ或ハ泣クモノアリ喧騒ヲ極メタル由ニテ総領事ニ対シテハ勿論海軍側ヲモ批難スルモノアリ然ルニ其内海軍側ハ飽ク迄予定ノ行動ヲ断行スベシトノ消息伝ハリ倶楽部内ノ喧騒ハ変ジテ万歳ノ声トナリタリ(以上ハ在留有力者ノ談)

海軍司令官ガ二十八日午後支那側ノ回答ヲ得タル際総領事等ハ此上ハ断然日本人側ヲ抑ユル方法アルノミトテ大ナル意気込ナリシモ右居留民等ノ態度等ニ鑑ミ方針ヲ換ヘタルカ其夜ニ至リ領事館ヲ通ジ支那側(市政府)ニ対シ警備線ニ進出ヲ予告シ(右予告ハ十一時頃先方ニ到着)殆ド同時ニ進出ヲ開始シ直ニ衝突ヲ見タリ右海軍側ノ態度ノ変化ハ充分ニ判明セザルモ要スルニ日本全体ノ空気ニ支配セラレ強硬論ヲ唱ヘ極端ニ昂奮シ来リタル居留民及部下ヲ抑ヘルノ方法ナカリシモノト認メラル

右ノ風潮ハ恐ラク今後モ最モ大ナル困難トナルベシ

[65] 昭和7年2月3日 在上海重光公使より芳沢外務大臣宛(電報)

上海における混乱状態急遽解決の必要について

付記 上海事件(外務省調書)

上海 2月3日前発

本省 2月3日後着

第六九号

一、上海ニ於テハ孫科陳友仁(陳ハ上海外交部長ト謂ハル)等ノ広東派ノ宣伝激シク外国ニ於テハ恰モ日本海軍カ上海付近ノ広大ナル支那領土ヲ占領シ居ルカ如ク信シ居ル模様ナルモ事実ハ勢力僅少(約四千)ナル海軍陸戦隊カ平時ノ駐屯ニ依リ租界道路(租界外拡張区域)ヲ守ル為其ノ両側数百米ヲ隔テテ防禦線ヲ構築シ右カ強大ナル支那軍ヨリ絶エス脅威セラレ夜ニ入リテ(休戦ヲ顧ミス)小銃及野砲等ノ射撃ヲ受ケ(我方ヨリ応射シ居リ)居ル状況ナリ目下ノ問題ハ右守備区域カ此ノ儘保持出来ルヤ否ヤノ問題ニシテ支那側ノ新ナル攻撃アル場合(広東軍ハ戦勝ヲ報シ大イニ気勢ヲ挙ケ居レリ)ハ右守備区域ノミナラス租界其ノモノノ安否気遣ハレ一般ノ「パニック」ヲ惹起シ居ル次第ナリ日本人居住地域ハ全然廃墟ニ等シ

二、広東派ハ青幇ト連絡シ数千ノ便衣隊(「スナイパー」)ヲ日本軍守備区域及日本人居留区域即チ上海蘇州河以東ニ入レ背後ノ撹乱ヲ試ミ(之カ為日本人ノ死者数名傷者数十名ヲ出シ放火セラレタル家屋相当アリ)若シ日本カ飛行機爆撃ヲ行フニ於テハ右区域ヲ焼キ払フヘシト揚言シツツアリ支那住民ハ家財ヲ携へ連日英租界内ニ避難シ一般ノ業務ハ殆ト絶エタリ

三、欧米ニ於テハ支那ノ宣伝モアリ恰モ日本カ上海占領ヲ企テ居ルカ如ク考へ居ルモノアルヘキモ当地ニ於テハ外国人一般間ニハ日本ノ「ヘルプレス」ノ状況ニ対シ甚シク不満軽侮ノ感情時局ト共ニ昂マリ現時ノ如キ上海混乱状態ヲ惹起シタル日本ハ之レカ処理ニ対シ無能力ナルニ依リ自ラ協力シテ(英米仏伊)一種ノ事態ヲ日支ニ強制スルノ外ナシトノ説多キニ至レリ

四、今日ノ事態ニ於テハ日本人独力ニ依リ混乱状態ヲ回復スルコトカ総テノ先決問題ニシテ我方ニ於テ其ノ能力及意思ナク外国ノ斡旋等ニ放任スルニ於テハ支那人ニ対スル関係ハ素ヨリ一般外人ニ対シ極メテ不利ノ地位ニ立チ延イテ上海ニ於ケル日本勢力ノ根底ハ永久ニ覆ヘサルルニ至ルヘシ此ノ際ハ先ツ速ニ我方ノ力ヲ以テ混乱状態ノ復旧ニ全力ヲ傾倒スル外何物モ事態ヲ救済スルモノ無カルヘシ(外国側トノ協力ヲ以テハ勿論ナリ)一刻ノ猶予ハ重大ナル国家ノ損害ヲ意味スルモノト思考ス右混乱状態ヲ回復スルトモ更ニ便衣隊ノ一層ノ活動ハ勿論国際的ニハ連盟其ノ他ニ関シ各種各様ノ困難アルモ右ハ已ムヲ得サル処ニシテ今日ニ至リテハ時局ノ対策中要点ノ処理ヲ急速ニ行フノ外無カルヘシ

米ヨリ在米主要公館へ、連盟ヨリ在欧各大使へ転電アリタシ

(付記)

上海事件(外務省調書)

(編注) 上海事変勃発前後の外務省記録は相当部分が焼失し編纂上不備の点が多いので、参考のため当時作成された調書を付記する。

上海事件

目次

第一節 日蓮宗徒ニ対スル暴行事件

一、事件ノ発端

二、在上海帝国総領事ノ措置

三、市政府ノ陳謝ト犯人ノ検挙

四、解決条件ニ関スル村井総領事ノ請訓(抗日会解散要求方ニ関スル件)

五、本省ノ回訓

第二節 居留民ノ感情激発ト帝国政府ノ方針 (第一回軍艦増派)

六、青年同志会ノ復讐暴行事件 (三友社事件)

七、居留民大会ノ開催ト散会後ノ暴行事件(北四川路事件)

八、抗日会解散方要求ノ提出ト呉市長ノ応酬

九、第一遣外艦隊司令官ノ声明

十、上海事件解決ニ関スル帝国政府ノ方針ト軍艦ノ派遣

十一、三友社事件ニ対スル上海市長ノ抗議

十二、三友社事件抗議ニ対スル帝国政府ノ回訓

十三、支那官民ノ態度

十四、我居留民ノ態度緩和、総領事ノ声明及紡績同業者ノロックアウト

十五、工部局ノ態度

十六、北四川路事件ニ対スル支那側ノ抗議

十七、民国日報社ノ捏造記事ト陸戦隊ノ抗議

十八、公使官邸ニ対スル放火及我総領事館ニ対スル投弾

第三節 解決交涉

十九、支那側ノ回答猶予申出ト村井総領事ノ応酬並会見顛末ノ発表

二十、工部局ノ民国日報社閉鎖並ニ抗日会本部閉鎖決定

二十一、村井総領事ノ期限付回答督促

二十二、海軍ノ声明ト第二回軍艦増派

二十三、支那側ノ条件承諾

第四節 日支衝突ノ経緯

二十四、支那側ノ軍隊集中

二十五、工部局ノ戒厳施行ト列国共同警備計画

二十六、帝国海軍ノ配備ト日支衝突

二十七、総領事ノ措置、支那側ノ抗議文提出

二十八、村井総領事、帝国海軍及帝国政府ノ声明

第五節 停戦ニ関スル交渉

二十九、呉市長ノ依頼ニ基ク英米両総領事ノ停戦幹旋

三十、支那側ノ再度ノ違約、英支衝突

三十一、停戦協議

三十二、領事団誘導方訓令

三十三、敵対行動停止方南京政府へ申入レノ件

三十四、支那側ノ第三次違反及停戦条件ニ関スル帝国政府ノ回訓

第六節 形勢ノ逼迫ト我軍反撃、停戦交渉ノ成行

三十五、形勢ノ逼迫ト租界内引揚ニ関スル請訓及帝国政府回訓

三十六、停戦交渉ノ成行

三十七、南京及呉淞ニ於ケル我海軍ノ行動

第七節 上海二於ヶル英米総領事、抗議各国軍増派ノ状況

三十八、我軍ノ警備ニ関スル各国ノ抗議

三十九、各国軍ノ増派ノ状況

第一節 日蓮僧侶ニ対スル暴行事件

一、事件ノ発端

昭和七年一月十八日午後上海日蓮宗妙法寺ノ僧侶天崎啓昇(二十一歳)水上秀雄(三十二歳)及其ノ信徒後藤芳平(四十三歳)黒岩浅次郎(三十八歳)藤村国吉(三十八歳)ノ五名ハ寒行ノ為団扇太鼓ヲ打鳴ラシツツ市中ヲ練リ歩キ共同租界東部ノ街外レニ在ル東華紡績工場付近ヨリ寺へノ近道ノ為支那ノ道路ニ差シ掛ルヤ午後四時頃其付近ニ在ル支那人経営三友「タオル」工場ノ職工五十名許リヨリ何等理由無キニ急ニ打掛ラレ引捕へラレテ棒切、石塊様ノモノニテ殴打セラレ黒岩藤村ノ両名ハ軽傷ヲ受ケ辛フシテ逃レ現場ヨリ稍離レタル楊樹浦ノ租界警察及東華紡績等ニ急ヲ告ケ得タルモ逃レ遅レタル三名ハ其後加ハレル三百余名ノ群衆ノ為ニ打捲ラレ重傷ヲ負ヒ畑中ニ倒ルルニ至リ支那巡警其他ノ援ニ依リ租界内最寄ノ外国人経営病院ニ収容セラレタルカ水上秀雄ハ二十四日ニ至リ遂ニ絶命セリ以上ヲ本件上海事件ノ発端トス

二、在上海帝国総領事ノ措置

在上海村井総領事ハ翌一月十九日午前市政府ニ愈秘書長ヲ往訪シ(市長呉鉄城ハ孫科ト共ニ杭州ニ赴キ不在)事態ノ重大性ヲ告ケ本件ノ解決条件ニ就テ追テ何分ノ儀申入ルヘキモ不取敢加害者ノ検挙取調ニ全力ヲ尽サレ事態ヲ拡大セシメサル事ノ必要ナル事ヲ説示シタルニ愈秘書長ハ事件ニ関スル詳細ナル報告未接到ナル為発端ノ曲否何レニアルヤ不明瞭ナルモ中国領域ニテ中国人カ日本人ニ傷害ヲ与ヘタル事ニ付テハ市政府トシテ責ヲ負フヘキ筋合ナルニ付誠意ヲ以テ責ニ任スル積リニテ加害者ノ捜査逮捕及日本人ノ保護方ニ付テハ御要求ヲ待ツ迄モ無ク既ニ必要ナル命令発出済ナリト語リタルニ付之ヲ諒承シ更ニ事件ノ迅速解決ヲ計ル為市政府側ニ於テ本官ニ対シ陳謝ノ意ヲ速ニ表明スル事必要ナリト述ヘタルニ秘書長ハ之ヲ即座ニ応諾シタリ

三、市政府ノ陳謝及犯人ノ検挙

右ニ依リ愈秘書長ハ同十九日午後帝国総領事ヲ来訪、市政府ヲ代表シテ本件発生ニ関シ遺憾ノ意ヲ表シ且加害者逮捕処罰並ニ日本人保護方ニ付誠意ヲ以テ事ニ当ルヘキ旨述ヘタルヲ以テ総領事ハ今後提出スヘキ解決条件ニ付テモ迅速誠意ヲ披瀝スル事然ルヘキ旨ヲ告クル処アリタリ

尚公安局警察ハ二十三日日蓮宗徒加害関係者トシテ三友実業社ヨリ支那職工一名ヲ又二十四日ニハ三名ヲ検挙拘禁セリ

四、日蓮事件解決ニ関スル村井総領事ノ稟請

村井総領事ハ排日運動取締方ニ関シ予而強硬手段ノ必要ヲ痛感スル処アリ客年十月六日付電報ヲ以テ其ノ旨稟申ノ次第アリタルカ民国日報ノ不敬事件(別記不敬事件ニ関スル調書参照)ニ次キ本件邦人被害事件ノ勃発スルニ及ヒ之カ根本原因ハ結局抗日会カ所有非法手段ニ依リ支那民衆ノ対日感情激発ニ努メ来レル結果ナリトシ従ツテ本件解決ニ付テハ当局者ノ陳謝、加害者ノ処罰及被害者ニ対スル慰問金ノ外之カ原因タル抗日会ノ解散ヲ期限付ニテ要求シ若シ期限内ニ実行ヲ見サル時ハ我方ニ於テ必要ト認ムル自衛行為ニ出ツルノ要アル旨稟申シ越セリ(二十日付電報)

五、本省ノ回訓

右村井総領事ノ電稟ニ対シ本省ニ於テハ同二十日付ヲ以テ(イ)市政府ニ対シ当局ノ陳謝、加害者ノ処罰、被害者ニ対スル慰藉並抗日会ノ解散ノ各項ヲ要求スルコト但抗日会ノ解散要求ニ関シ期限ヲ付スルコトハ各方面ニ対スル関係上深重ノ考慮ヲ要スルノミナラス其ノ聴カレサル場合ニ執ルヘキ手段ニ関シテモ慎重考究セサル可ラサル所ナルヲ以テ期限ノ点ハ明示セサルコト及(ロ)此ノ際我居留民側ニテ暴行ヲ為スハ折角有利ナル我立場ヲ覆シ交渉ヲ不利ニ導キ却ッテ支那側ノ術中ニ陥リ対外的反響モ頗ル憂慮セラルル次第ナルニツキ厳ニ軽挙ヲ戒ムヘキ旨厳重諭示方訓令セリ

第二節 居留民ノ感情激発ト軍艦ノ第一回増派並上海事件解決ニ関スル帝国政府ノ方針

上海ニ於ケル排日運動ハ満州事件発生以来特ニ執拗ニ行ハレタル所民国日報社ノ桜田門外不敬事件ニ関スル不敬記事事件ニ次グニ前記僧侶ニ対スル暴行事件発生スルニ及ビ之迄隠忍ニ隠忍ヲ重ネタル居留民ノ感情一時ニ激発シ其結果下記三友社襲撃事件及北四川路暴行事件ノ発生ヲ見我政府ノ強硬方針ヲ知ルニ及ビ漸ク鎮静セリ其ノ次第左ノ如シ

六、青年同志会ノ復讐暴行事件(三友社事件)

即チ本件ニツキ憤慨セル青年同志会員三十名ハ復讐ノ為メ一月二十日午前三時三友タオル公司ニ放火シ同公司ハ工場ノ一部ヲ焼キ鎮火セリ而シテ其ノ際宿舎内ニ在リタル工人等ハ社内ニ怖ケ込ミ逃出シモセサリシ為支那人トノ衝突ハ無カリシカ同志ノ者放火後喊声ヲ挙ケ租界内ニ引揚ケ東華紡付近ノ華徳路上ニ差懸リタル際巡邏ノ工部局支那人巡捕二名ニ誰何サレタルモ直ニ之ヲ圧倒シテ警笛ヲ吹キツツ逃クル両巡捕ヲ追フテ派出所ニ到リ同所ヲ襲ヒ巡捕三名(全部)ヲ負傷セシメ電話機等ヲ破壊シ引返シテ臨青路ニ入ルヤ警笛ヲ聞キ付ケ馳セ付ケ来レル巡捕二名ニ出会シ茲ニ乱闘ヲ演出シ巡捕一名ヲ即死セシメ他ノ一名ニ瀕死ノ重傷ヲ負ハシメ(日本刀ニテ斬リタリト言フ)邦人側亦一名(柳瀬松十郎)工部局巡捕ニ射殺セラレ二名(北辻卓二及森正信)重軽傷者ヲ出セリ

七、居留民大会ノ開催ト散会後ノ暴行事件(北四川路事件)

一方居留民ハ二十日日本人倶楽部ニ於テ居留民大会ヲ開キ「不敬事件ニ次クニ邦人傷害事件ヲ以テシ今ヤ抗日暴状其極ニ達ス帝国政府ハ最後ノ腹ヲ決メ直ニ陸海軍ヲ派遣シ自衛権ヲ発動シテ抗日運動ノ絶滅ヲ期スヘシ」トノ決議ヲ為シタルカ閉会間際ニ至リ実行委員頼ムニ足ラサルニ付吾人ハ之ヨリ総領事館ニ至リ総領事ヨリ右決議実行方ニ関スル確答ヲ求ムヘシトノ緊急動議ヲ為シタルモノアリ閉会後会衆三四百隊伍ヲ組ミテ総領事館ニ押寄セ来リ実行委員ヨリ提出セル前記決議ニ対スル総領事ノ即答ヲ求メタルヲ以テ総領事ハ右趣旨ニハ賛成ナルニ付出来ル事ハ実行スヘキ旨答ヘタル処会衆ノ大多数ハ満足ノ意ヲ表シ万歳三唱後陸戦隊本部ニ向ヘリ

依ッテ租界工部局及総領事館警察官ヲ一行(約二三百名)ノ先頭其他ニ配セシメ進行中ニ靶子路付近ニ差掛ルヤ支那人二階ヨリ一行ニ対シ銅幣ヲ投ケタル者アリシヤニテ激昂セル数名ノ邦人ハ警官並警戒中ノ陸戦隊兵士ノ制止ヲモ聴カス同商店ニ闖入シ階上階下ノ窓硝子其ノ他ヲ破壊スル等手ノ付ケラレサルモノアリ更ニ北四川路筋ノ支那人商店数軒ノ「シヨーウインドー」並電車及「バス」ニモ投石損傷セシメ又工部局外人巡査トモ衝突シテ同巡査及支那人巡捕二名ヲ殴打重傷セシメ(入院シタル由)陸戦隊本部ニ於テ鮫島指揮官ニ会見陳情ヲ遂ケタルカ其ノ後トモ大分ノ者ハ退散セス更ニ日本人俱楽部ニ引返シ協議スル所ア七時頃漸ク退散セリ

八、抗議文ノ提出ト呉市長ノ応酬

一月二十一日午前村井総領事ハ呉市長ヲ往訪シ左記四項ノ要求ヲ記載セル公文ヲ提出セリ

一、市長ハ総領事ニ対シ陳謝ノ意ヲ表スルコト

二、加害者ノ捜査逮捕処罰ヲ遅滞ナク切実ニ実行スルコト

三、被害者五名ニ対シ治療費及慰藉料ヲ提供スルコト(金額ハ追テ協議決定ノコト)

四、排日侮日ニ亘ル不法越軌言動ハ総テ之ヲ取締リ特ニ上海各界抗日救国委員会ヲ始メトシ各種抗日団体ヲ即時解散セシムルコト

之ニ対シ呉市長ハ排日取締方ニ関シテハ極力尽力スヘキモ抗日会解散命令ヲ発スルコトハ民衆運動ノ高潮時ナルニモ顧ミ直ニ実行ハ不可能ニシテ且上海ニハ自分ノ権力ノ直接及ハサル地域モアリ仮令命令ヲ出ストモ単ニ民衆ヲ刺激スルノミニテ実効ハ無カルヘキ旨ヲ説キ難色アリタルヲ以テ総領事ハ不法団体ノ存在ヲ認メ乍ラ不法行為ヲ取締ルト云フカ如キハ本末顛倒ナルコト此ノ際同団体ノ解散ハ形勢ノ緩和ニ絶対必要ナルコト等ヲ力説セルニ呉市長ハ何レ近ク南京ニ赴クニ付貴方要求ニ付テモ政府当路ト相談ノ上追テ何分ノ回答ヲ為スヘシト応酬セリ

尚総領事ハ抗日会解散要求提出ノ次第二十一日ノ朝刊ニ発表スルト共ニ在留官民有力者ヨリ成ル時局委員会ニ之ヲ披露セリ

九、遣外艦隊司令官ノ声明

右ト同時ニ塩沢第一遣外艦隊司令官ハ二十一日付ヲ以テ「本職ハ上海市長ニ帝国総領事ノ提出セル抗日会員日本僧侶暴行事件ノ要求ヲ容レ速ニ満足ナル回答並其履行ヲ要望ス

万一之ニ反スル場合ニ於テハ帝国ノ権益擁護ノ為適当ト信スル手段ニ出ツル決心ナリ」トノ声明ヲ為セリ

十、本件解決ニ関スル帝国政府ノ方針ト軍艦ノ派遣

右事態ニ対シ帝国政府ニ於テハ本件之以上拡大セシメス局地的ニ急速落着セシムル必要ヲ認メ一月二十二日在上海総領事ニ対シ左記ニヨリ善処方更ニ補足訓令スル所アリタリ

(イ)飽迄市政府ノ責任ヲ追究シ我方提出ノ各条件(第五項参照)全部ヲ容レシメ殊ニ抗日会ノ解散ハ飽迄之カ貫徹ヲ期スルコト之カ為メニハ政府ニ於テ新ニ巡洋艦一隻、駆逐艦四隻ニ特別陸戦隊約四百名ヲ搭載上海ニ派遣シ先方ニ於テ抗日会ノ解散ヲ肯セサル場合ニハ我方トシテモ勢ヒ其ノ必要ト見ル自衛手段ヲ執ルノ已ム無キニ至ルヘキ旨通告シ我方ノ決意ヲ示スコト

注、支那側カ我要求ヲ容レサル場合執ルヘキ対策腹案トシテ二十一日一遣司令官ヨリ海軍省ニ対シ(一)呉淞沖ニテ支那商船及「ジヤンク」ニ対シ必要ノ封鎖ヲ行フコト(二)抗日会本部及支部ニ弾圧ヲ加フルコト(三)飛行機ニテ示威偵察ヲ行フコト(四)状況ニ依リ租界外在留邦人ノ現地保護ヲ行フコト(五)支那側ヨリ積極的行動ヲ執ルニ於テハ呉淞砲台ヲ占領スルコトノ各項ヲ具申シ越セルニ対シ海軍省ニ於テハ翌二十二日一遣司令官ニ対シ(一)同意シ難キモ一応実行方法ニ付司令官ノ意向ヲ確ムルコトトシ(二)(三)(四)ヲ承認スルト共ニ(二)ニ付テハ弾圧ノ実行方法ヲ問合セ(五)ニ付テハ支那側ノ出方如何ニ依リ更ニ考究ヲ要スル旨回訓セリ

(因ニ前掲派遣巡洋艦大井、駆逐艦萩、藤、薄、蔦ノ四隻ハ二十三日午後三時航空母艦能登呂ハ二十四日午前十一時何レモ上海へ入港シ其ノ結果滞泊軍艦数十一隻ニ達セリ)

(ロ)我居留民ノ為セル暴行ニ対シテハ動機ニ於テ同情スヘキモノアルモ其ノ行為ハ常軌ヲ逸シ対外交渉上ニモ差障ヲ来スモノナルヲ以テ犯人ヲ検挙シ情状ニ応シ夫々処断スルコト

(ハ)工部局ノ巡査及巡捕ニ対スル暴行ニ関シテハ我方ノ咎メントスル所ハ支那側ニ在リテ工部局トハ寧ロ親善関係ヲ付クルヲ必要トスル此ノ際我方ノ非ハ非トシテ率直ニ之ヲ認ムルコト得策ト認ムルヲ以テ総領事ヲシテ不取敢工部局当局ニ対シ鄭重挨拶セシムルコト

尚右抗日会ノ解散ニ関スル要求ハ同会カ本件ノ因ヲ成シタル抑々ノ根源タルノミナラス其存続スル限リ将来ニ於テモ此種不祥事件ノ褐因ハ絶ヘサルヘキニ鑑ミ此機会ニ禍因ヲ芟除スルコト最モ必要ナルニ付此際是非共之カ達成ヲ期セサル可ラサル次第ナル処期限ヲ付シテ之ヲ要求スルコトハ前回々訓ノ考慮ニ依リ(第五項参照)此際見合ハスコトトシ度キモ之カ貫徹ヲ期スル為メニハ其ノ聴カレサル場合ニ於テ従来ノ如ク決シテ其儘ニ付スルモノニ非ストノ我方ノ堅キ決意ヲ仄カシ結局力ヲ用ヒスシテ目的ヲ達スルノ策ニ出ツルコト必要ナルヘク海軍側ニテハ近ク巡洋艦一隻駆逐艦四隻ニ特別陸戦隊約四百名ヲ搭載貴地ニ派遣スルノ手筈成リ居レル次第ニモアリ其ノ上海ニ出揃フヲ俟テ本件要求ヲ督促シ先方ニ於テ抗日会ノ解散ヲ肯セサル場合ニハ我方トシテモ勢ヒ其ノ必要ト認ムル自衛手段ニ出ツルノ已ム無キニ至ルヘキ旨ヲ厳重申入ルルニ於テハ相当ノ示威的効果アルヘク而シテ先方ニ於テ本件要求ヲ容レサル場合結局我方トシテ執ラサル可ラサル自衛手段中各方面ニ対スル影響ヲ考慮シ最モ名目モ立チ而モ簡単ニ実行シ得ルハ陸戦隊ニ依ル抗日会本部ノ手入ナルヘシト思考セラルルモ之レトテモ愈々実行トナリテハ事態願ル重大トナルヲ覚悟セサル可ラス殊ニ南京其他我海軍力ノ直接保護及ハサル地ノ領事館員及居留民ハ予メ安全地帯ニ避難セシムルノ必要モ起ルヘク旁々最モ慎重ニ著手セサル可ラサル次第ナルヲ以テ右自衛行動ノ実行已ムヲ得サル場合ニモ其ノ方法及時機等ニ関シ遣外艦隊側トモ充分協議ノ上前以テ請訓スヘキ旨併セテ訓令セリ

十一、青年同志会員暴行事件(三友社事件)ニ対スル上海市長ノ抗議

然ルニ右訓令ト行違ニ上海市長ヨリ二十二日付公文ヲ以テ日本人カ隊ヲ組ミ工場ニ放火シ服務中ノ巡捕ヲ殺戮セルハ法律ニ触ルル行タルノミナラス時節柄影響スル処大ナルニ付キ厳重抗議ストテ左ノ要求ヲ提出シ越セリ

(一)総領事ノ陳謝

(二)犯人ノ逮捕厳罰

(三)被害者ニ対スル充分ナル賠償(其額ハ別ニ協定ノコト)

(四)今後ノ保障

十二、三友社襲撃事件ニ関スル市長ノ抗議ニ対スル帝国政府ノ訓令

右支那側ノ抗議ニ対シ帝国政府ニ於テハ元来今回ノ事件ニ付テハ支那側ニ於テ全責任ヲ負フヘキ筋合ニシテ工部局巡捕ニ対スル加害モ工部局トノ関係ニ於テ問題トナルヘキモ支那側ヨリ咎メ立テラルヘキ理由ナク従ッテ我方ヨリ陳謝スヘキ筋合ニ非ス又我方ニ犯行者アラハ其ノ処罰ハ支那側ノ要求ノ有無ニ関係無ク我方独自ニ措置スヘキハ勿論ニテ之ヲ回答中ニ明記スルノ必要ナキノミナラス居留民鎮撫上ヨリスルモ面白カラサルニ付一月二十四日村井総領事ニ対シ前記市長ノ抗議ニ対スル回答ニ於テハ単ニ今回ノ事件ハ斯々ノ理由ニ依リ支那官憲ニ於テ全責任ヲ負ハサル可ラサルコト当然ナルヲ以テ上海市長申出ノ各項ハ容認ノ限ニ在ラストノ趣旨ニテ応酬スヘキ旨訓令セリ(尚村井総領事ニ於テハ之ヨリ曩呉市長ト会見ノ際(第八項参照)本件ノ発生ヲ遺憾トスルト共ニ日本人ニ罪アラハ犯人ハ法ニ依リ処分スヘキ旨挨拶セル趣ナリシニ依リ右回答中ニハ特ニ之等挨拶ヲ引用セサル様併セテ訓令セリ)

十三、支那官民ノ態度

三友社襲撃事件ニ対スル上海市長抗議ノ次第ハ前述ノ通リナル処一方支那側官民ノ態度ヲ見ルニ

(一)上海市各界抗日救国会ハ二十二日緊急執行委員会ヲ開催シ(イ)抗日会ノ宣言トシテ上海各界ノ市民ハ国家存亡ノ危機ニ直面シ一大決心ヲ以テ正当防衛ヲ計ルト共ニ一面経済絶交ノ徹底ヲ期シ彼ノ死命ヲ制セントス云々ノ発表ヲナシ(ロ)国民政府ニ対シ直ニ対日絶交ヲ宣布アリタキ旨電請シ(ハ)市長呉鉄城ニ対シ日本側要求ヲ峻拒スヘキ旨申入レ(ニ)各界ニ対シ正当ノ自衛手段ヲ執ルヘキ旨警告シ(ホ)代表ヲ派シ三友実業社工人及同地市民ヲ慰問スルコト等ヲ可決シ

(二)抗日会ノ反対宣言ニ引続キ市党部ハ抗日運動ハ日本ノ不法侵害ニ対スル全国民衆ノ一致セル消極抵抗策ニシテ中国唯一ノ活路ナルニ付何人ノ干渉モ許サス如何ナル状勢ニ於テモ決死奮闘目的貫徹迄誓テ停止セサル旨宣言ヲ発表シ

(三)工業連合会ハ日本人ノ暴戻愈究リナシ政府ハ速ニ本次事件ニ関シ処罰賠償陳謝及将来ノ保障ヲ要求セラレタク本会ハ所属工人全体ヲ率ヒ誓テ政府ノ後楯トナルヘシト宣言シ

(四)北四川路商人連合会ハ緊急会議ノ結果

(イ)租界及支那街当局ニ防衛力充実方稟申ス

(ロ)市政府、被害商店ノ損害賠償処罰及謝罪方日本側ニ要求スヘク右目的達成セサレハ市政府ニ対シ一切ノ税金納付ヲ停止スヘシ

(ハ)各商店ハ自衛団ヲ組織シ警笛及棍棒等ノ武器ヲ備へ又一挺宛拳銃購入許可方工部局ニ稟請ス

(ニ)日本陸戦隊ノ撤退方要求ス

等ノ決議ヲナシ代表ヲ派シテ市政府及工部局ニ夫々要求スル処アリタリ

十四、我居留民ノ態度緩和、総領事ノ声明及紡績同業者ノロックアウト警告

支那官民ノ態度前記ノ通リナル処我居留民側ニ於テハ其後一遣司令官ヨリ前掲声明書ノ発表アリ(第九項参照)加フルニ電通連合ニ依リ外務省ノ期限付通牒発出方針決定軍艦ノ増派並佐世保ニ於ケル巡洋艦駆逐隊十八隻ノ待機等報道セラレタルト総領事館始メ各方面ヨリノ勧説モアリ一般邦人ノ感情漸次緩和シ越軌行動ニ出ツル虞レナキニ至リタルカ第十項記載本省訓令ニ接シタル村井総領事ハ談話ノ形ニテ左ノ趣旨ヲ二十三日朝刊ニ発表セシメ「プレスユニオン」ヲシテ外国新聞等ニモ訳報セシメタリ

村井総領事談話

『民国日報ノ不敬事件ニ次テ起レル日蓮宗徒ニ対スル支那人ノ暴行ハ反日団体ノ長キニ亘ル策動ニ依リ培養セラレタル支那一般民衆ノ邦人ニ対スル反感及軽侮心ノ発露ニシテ事茲ニ至リタルコトニ付テハ之等不法団体ノ行動ヲ看過シ或ハ時ニ之ヲ利用シ我方累次ノ警告ニ拘ラス何等実質的取締ノ誠意ヲ示ササリシ支那官憲ニ於テ全責任ヲ負ハサルヘカラサルハ当然ノ儀ナルヲ以テ本暴行事件ニ関シ上海市長ニ対シ抗日、反日団体ノ解散方ニ付厳重ナル要求ヲ為ス若シ支那側カ之ニ対シ満足ナル回答ヲ為ササルニ於テハ我方ニ於テハ其ノ必要ト認ムル自衛手段ニ出ツル筈ナルニ付在留民諸氏ハ時局ノ推移ヲ静観シ軽挙妄動ヲ慎ミ国家ノ大計ヲ誤ラシムルカ如キコト無キヲ切望シテ熄マス尚不幸ニシテ邦人中不法越軌ノ行動ニ出ツル者アルトキハ其ノ動機ノ如何ニ拘ラス国法ニ依リ処断スヘシ』

尚二十日朝工部局巡捕ノ為射殺セラレタル柳瀬松十郎ハ義憤ニ殉シタルモノナリトテ同日ノ民衆大会ニ於テ大会葬ニスルコトニ決議セラレ二十三日午後二時実施サレタルカ無事終了セリ在留邦人態度ノ緩和前述ノ通リナルカ紡績同業会ハ事態ニ依リ「ロックアウト」ヲ敢行スルコトニ決シ二十四日呉市長ニ対シ工場閉鎖ハ今ヤ万已ムヲ得サルニ至レルカ之ニ依リ生スル責任ハ支那官憲ノ負フヘキモノナリト警告シ且即刻排日排貨ノ諸団体ヲ解散セシメ経済常道ノ復旧方ヲ要望スル処アリタリ右ハ主トシテ我方抗議ヲ側面ヨリ支持スル趣旨ニ出テタルモノノ由

十五、工部局ノ態度

(イ)加害邦人ニ対スル処置

之ヨリ曩邦人暴行事件ノ発生ヲ見ルヤ村井総領事ハ不取敢市参事会議長マクノーデンヲ往訪シ事態ヲ説明シ鄭重遺憾ノ意ヲ表シタルカ其際村井総領事ハ加害者側ニ之等支那人巡捕ニ対シ加害ノ意思アリタル次第ニ非サルコトハ断言シテ憚ラサル所ナルカ殉職警察官ニ対シ何等慰藉ノ方法モアラハ出来得ル限リノコトハ致スヘキニ付御考ノ上「サジェスト」アリタキ旨申入レタルニ「マ」ハ事態ヲ良ク諒解シ我方ノ誠意ヲ諒トシ同日夕刻ノ市参事会席上ニ於テ本事件報告ノ際日本総領事ヨリ鄭重ナル挨拶アリタルコトヲ披露シタルニ外人市参事会員モ之ヲ諒トシタル由ナリ其後工部局警察ヨリ柳瀬松十郎(即死者)北辻卓二及森正信(負傷者)ノ三名ヲ加害者トシテ告発シ敢テ他ヲ追及セス本件工部局警官トノ衝突事件ハ何レモ単ナル警察事項トシテ処置セルモノト認メラル

(ロ)我方ノ執ルコトアルヘキ措置ニ対スル態度

一方我方ニ於テ執ルコトアルヘキ強力措置ニ関シテハ工部局側ニ於テハ右措置カ租界内ニ行ハルルコトアルヘキヲ憂慮シ「マクノーデン」及「フェッセンデン」(事務総長)ヨリ総領事及司令官ニ対シ質問アリタルヲ以テ若シ何等措置ヲ執ル必要アラハ予メ租界側ト相談スヘキ旨回答シタルニ安堵セルモノノ如シ(因ニ抗日会本部ノ手入ニ付テハ右ハ租界内ニ在ルモ土地章程ニ依リ租界警察ノ権力行ハレサル次第ナル処租界ノ中心地ニ於テ排外運動公然行ハレ商人監禁等不法行為ノ行ハレ居ルハ租界警察ノ威厳保持上苦痛トスル所ナルヲ以テ工部局トシテハ従来及今回ノ排日運動ニ際シ領事団ノ「サッポート」アラハ之カ手入ヲ為シタキ意向ヲ有センカ領事団側殊ニ英国側カ自重論ヲ執レル為其ノ儘トナリタル関係モアリ日本側カ実力ヲ以テ之カ手入ヲ行フコトヲ歓迎ノ意向ヲ洩ラシ居ル趣ナリ)(括弧内発表差控)

十六、北四川路事件ニ対スル支那側ノ抗議

其ノ間市政府ヨリ二十三日付公文ヲ以テ北四川路事件ノ概要ヲ叙シ当時中国民衆ノ憤激甚シカリシモ公安局警察力ニ依リ極力諫阻シ事ナキヲ得タル次第ナルカ日本居留民ノ此種不法行為取締方ニ関シテハ予テヨリ要求シ居ル所ニモ拘ハラス日本人カ今回又故意ニ事ヲ起サントセルハ民心激昂シ居ル際如何ナル誤解ヲ発生スルニ至ルヘキヤモ知レス若シ斯カルコトアランカ其責任ノ帰属ハ自ラ明カナルヘシ依テ茲ニ抗議ヲ提議スルニ付貴官ニ於テ事件関係人ヲ速ニ取調ノ上処罰シ又今後厳重取締アリタク各商店ノ損害ハ判明次第賠償ヲ要求スヘキ旨申越シタリ

右ハ事件発生ノ場所カ「エキステンシヨン」ナルト被害者カ支那商ナル関係ヨリ申出テ来レルモノト認メラルル処之ニ対シテハ総領事ニ於テ事件発生カ支那商民ノ侮日行為ニ基ク所以ヲ指摘シ責ハ却テ支那側ニ在ルコトヲ挙ケ然ルヘク回答セリ

十七、民国日報社ノ捏造記事ト陸戦隊側ノ抗議

二十一日ノ当地民国日報ハ青年同志会員ノ三友実業社襲撃事件ニ関シ大見出ニテ「右襲撃ハ陸戦隊援護ノ下ニ行ハレタリ」トノ捏造記事ヲ掲載セルカ陸戦隊側ニ於テハ右ハ同隊ヲ侮辱スルノミナラス帝国軍人ノ威信ニ係ハル問題ナリト重要視シ曩ノ不敬事件モアリ二十二日午前十時工部局ニ通報ノ上将校ヲ直接民国日報社ニ派シ

一、主筆ヲ陸戦隊ニ出頭陳謝スルコト

二、二十三日ノ紙上ニ陳謝文ヲ掲載スルコト

三、将来此種事件ヲ発生セシメサルコト

四、直接責任記者ノ処分

ヲ要求シタル処二十三日ノ民国日報ハ訂正記事ヲ掲載セルモ陳謝ノ点ハ応シ難キ旨述へタルカ其後民国日報カ工部局ノ手ニヨリ閉鎖サルルニ至レル次第ハ第二十項記載ノ如シ

十八、公使官邸ニ対スル放火及総領事館ニ対スル投弾

二十四日午後七時公使官邸食堂ノ庭ニ面セル鎧戸二個所ニ石油ヲ注キタル支那蒲団ヲ寄セ掛ケ放火ヲ企テタル者アリタルカ当総領事館配置ノ警察官逸早ク発見消止メタリ現場付近ニ国民自動抗日救国決死総隊員郭渄武及同張南生ト記名シ同隊ノ印ヲ捺シタル布切ヲ付セル上衣二着及拳銃一挺アリ裏門ニ日本人ヲ膺懲スル為直接行動ニ出ツル趣旨ヲ認メ同隊名ヲ付シ捺印セル二尺平方大ノ支那文貼紙アリタリ又犯人ハ裏門近ク隣家ノ塀ヲ乗越へ入リタル形跡アリタルカ本件ハ地方的問題トシテ取扱ヒ証拠等調ヒタル上総領事ヨリ適宜抗議方取計フ予定ナリキ

然ルニ其後二十八日午前九時頃総領事館ノ黄浦路及武昌路角ニ当リ一大爆音起ルト同時ニ監獄窓ガラス一枚ニ拳銃丸大ノ穴ヲ穿チ四方ニ亀裂ヲ生セシメタリ直ニ付近警戒中ノ工部局警官及総領事館警官等現場ニ駈ケツケタルカ犯人ラシキ者見当ラス路上ニハ鳥打帽子一個ト爆弾ノ破片四散シ居リ他ニ被害ナク右帽子ノ裏ニハ公使邸ノ放火ノ現場付近ニ遺棄シアリタルト同様ノ党員章縫針ニテ止メアリ又爆弾ノ表皮ハ亜鉛板ナリシカ如ク自製ノ不完全ナルモノト認メラレタリ

第三節 解決交渉

十九、支那側ノ回答猶予申出ト村井総領事ノ応酬

二十四日朝市政府愈秘書村井総領事ヲ来訪シ支那側回答ヲ金曜日迄延期スルコト(右申出ハ恐ラク新聞紙等ニ依リ我方カ期限付要求ヲ為スヘシトノ報道伝ヘラレタル為ナルヘシ)並我方ノ解散ヲ要求スル抗日団体ノ範囲ニツキ我方ノ内意ヲ伺ヒタルヲ以テ村井総領事ヨリ可然応酬スル処アリシカ翌二十五日午後村井総領事ハ呉市長ヲ往訪シ我方提出要求ニ対スル回答ヲ督促シタル処市長ハ我方条件全部ニ対シ円満ナル回答ヲ為スタメ折角尽力中ナルカ第四項ハ関係スル処尠カラス市長トシテ就任以来日浅キ際ナルニモ顧ミ円満ナル回答ヲスル為ニ籍スニ少シク時日ヲ以テセラレンコトヲ希望シ来ル土曜日(三十日)迄待タレ度シト申出テタルニ付総領事ハ不法ナル抗日運動ノ発生ハ今日ニ始マリタルニ非ス我方ハ既ニ数ヶ月怺へ来レル末ノ事ニテ形勢逼迫ノ際土曜日迄待ツト云フカ如キ事ハ到底約束スルコト能ハサルモ市長ニ於テ折角苦心シ居ラルル点ハ諒察スルニ付事情ノ許ス限リ御希望ニ副フ様努力シ此ノ上待ツ能ハスト云フ事件生シタル際ハ予メ御注意スヘキニ付一日モ速ニ円満ナル回答ヲ要求スル旨ヲ述へ尚抗日運動ハ過去五ヶ月ニ亘リ行ハレ居ルニ鑑ミ我方ハ既ニ何時ニテモ自衛手段ヲ執リ差支無キ次第ナレハ将来モ何時其措置ニ出ツルヤモ計ラレサルニ付右厳重警告スト述へ

尚説明ノ為第四項排日運動取締ノ具体的内容ノ主ナル例トシテ左記文書ヲ手交セリ

(一)各種抗日団体ニ対シ解散命令ヲ発シ之ヲ中外新聞ニ相当期間広告スルコト

(二)市商会ヲ始メトシ各種同業公会ノ対日経済絶交決議ヲ取消サシメ之ヲ中外新聞紙上ニ相当期間広告スルコト

(三)封存日貨及押収日貨ヲ即時解放シ各所有者ニ返還セシムルコト

(四)抗日運動ノ違反者トシテ拘禁中ノモノヲ即時解放セシムルコト

(五)市商会ヨリ当地各外国人商業会議所其他ニ対シ客年十月二十日付ヲ以テ通知セル通告書ヲ取消サシムルコト

(六)新聞紙、雑誌其他印刷物ノ抗日煽動記事ヲ厳重取締ルコト

尚村井総領事ハ右会見ノ顛末ヲ左ノ通リ発表セリ

『二十五日午後村井総領事呉市長ヲ往訪シ日蓮宗僧侶遭難事件我方申入ニ対スル支那側回答ヲ督促シタルニ対シ呉市長ハ或ル期間ノ猶予ヲ求メタルカ総領事ハ之ヲ拒絶シ適当ナル時期迄ニ満足ナル回答ヲ得ラレサル時ハ我方ニ於テ必要ト認ムル自衛手段ニ出ツルノ已ムヲ得サル可キ旨警告シ出来ルタケ早ク我方申入ヲ受諾センコトヲ要望セリ』

二十、工部局ノ民国日報社閉鎖及抗日会本部閉鎖決定

二十五日呉市長ト村井総領事トノ会見ハ前項記載ノ通リ未タ呉市長ノ回答ニ接スルニ至ラサリシ所之ヨリ曩民国日報社ノ所謂我陸戦隊三友社襲撃援護ナル捏造記事事件(第十七項参照)ニ付キ陸戦隊当局ニ於テ直接同社ト交渉ヲ開始セル旨ノ通告ニ接セル工部局ニ於テハ福島(日本側市参事会員)及フェッセンデンノ斡旋モアリ之カ調停ニ乗出スコトトナリ二十五日外人参事会員ノミノ会議ヲ開キ議長ヨリ事件ノ成行ヲ説明シ工部局ニテ本件ヲ取上ケ民国日報社ヲ閉鎖スルコトヲ諮リタル処右ハ陸戦隊対同社ノ問題ニハ関係セシメス寧ロ工部局ノイニシアチーブヲ以テ同社ノミナラス天后宮内抗日会本部ヲ租界ノ治安妨害ノ理由ニ依リ閉鎖スルニ如カストノ議出テ満場一致之ヲ可決シ支那人会員ニハ右決議ヲ単ニ通告スルニ止メ直ニ実行ニ著手スルコトトナリ二十六日午後二時民国日報ヲ閉鎖セリ尚天后宮ハ我方ニ於テ何等手入等ヲ為ス場合之ヲ援助スルコトトナレル趣ナリ

二十一、村井総領事ノ期限付通告

呉市長トノ会見及工部局ノ調停乗出ノ状況前述ノ通ニシテ時局ノ推移明瞭ナラサル為メ村井総領事ハ差シ向キノ腹案トシテ二十七日中ニ市長ニ対シ二十八日午後十二時ヲ限リ最後ノ回答督促ヲナシ若シ夫レ迄ニ回答ニ接セサルカ若クハ拒絶ニ会フ時ハ事後直チニ海軍側ノ行動(不取敢支那ノ抗日諸団体事務所ヲ強力閉鎖ス)ヲ開始スルコトト致度旨並右督促ハ口頭ニ依ル単ナル督促ノ形式ニテモ差支ナカルヘシト思考スルモ若シ最後通牒ノ形ヲ可トスルニ於テハ折返シ電示アリ度ク又二十八日迄ニ支那側ヨリ回答来リタル時ハ其ノ内容ニ依リ改メテ請訓スヘキ旨二十六日電報シ越セリ

右ニ対シ本省ニテハ諸般ノ情勢上「タイムリミット」ヲ付スルコト無ク単ニ口頭ヲ以テ両日中ニ満足ナル回答ヲ為スヘキ旨厳重督促スルコトヲ切望スルモ現場ノ状勢上「タイムリミット」ヲ付スルコト是非必要ナルニ於テハ右様取計フモ已ムヲ得サルヘキ旨二十七日回訓セリ然ルニ同日愈秘書殷汝耕同伴非公式ニ総領事ヲ来訪シ回答案ヲ内示セル処同案ハ我方要求第三項迄ハ全部之ヲ入レタルモ第四項抗日会解散要求ニ対シテハ「抗日救国会ハ越軌不法アリ之カ取締方商民ヨリ願出アリタルニ付既ニ主管官庁ニ命シ解散セシムルコトトナシタルカ之ニ類似ノ団体ニシテ若シ不法行為アラハ之ヲ厳重取締ルヘシ」トノ趣旨ニテ我方ノ要求ニ依ルニ非サルカ如キ書振リナルト類似団体カ越軌行為アル際ノ取締ヲノミ掲ケ抗日ナル名称ヲ冠スル団体ノ存在ヲ公認シ居リ我方ノ満足スル能ハサルヲ以テ之カ訂正ヲ要求セルニ対シ市長ニ相談ノ上改メテ何分ノ儀甲越スヘキ旨述へ辞去シタルカ諸般ノ情勢上村井総領事ハ右本省回訓ヲ待ツノ遑無ク同日午後八時電話ヲ以テ呉市長ニ対シ二十八日午後六時ヲ限リ明確ナル回答ヲ得タキ旨要求スルニ至レリ

二十二、海軍ノ声明ト軍艦ノ増派

上海ニ於ケル呉市長トノ交渉前述ノ通リナルト一方上海四囲ノ情況日増ニ紛糾悪化シ租界外ハ戒厳ヲ布キ支那兵邦人居住地ニ近キ各所ニ戦闘施設ヲ為シ対抗準備ヲ行フニ至リ危険刻々ニ迫レル為メ海軍ニ於テハ二十六日更ニ水雷戦隊ヲ増派セルカ(二十七日着)右ニ関シ二十七日当局談ノ形式ヲ以テ左ノ通リ声明セリ

『支那各地ニ於ケル排日運動ハ多年醸成セラレタル排外思想ニソノ根底ヲ有シ、決シテ一朝一夕ノコトニ非サルモ、満州事変ノ勃発ニヨリ益々激甚ヲ加へ、排日ハ遂ニ悔日ニ変シ或ハ言語ニ絶スル非人道的行為ニヨリ暴戻ナル挙措ニ出テ、或ハ対日経済絶交ヲ敢行シテ所謂武力ヲ用ヒサル挑戦行為ヲ続行シツツアルハ世人ノ普ク知レルトコロナリ、右ノ如キ実状ナルニモ拘ラス帝国海軍ハ政府ノ方針ヲ体シ常ニ穏便自重ノ態度ヲ以テ我カ居留民ノ生命財産ノ保護並ニ帝国権益ノ擁護ニ最善ノ努力ヲ傾注シ以テ今日ニ及ヘリ、然ルニ上海事件ノ如キニ至ッテハ極メテ合理且ツ妥当ナル我カ要求ニ対シ民国側ノ態度極メテ驕傲不遜言ヲ左右ニ託シテ毫モ誠意ノ認ムヘキモノ無ク、加之顕ニ各種ノ手段ヲ講シテ邦人圧迫ノ暴挙ニ出テツツアリ、殊ニ最近ノ情報ニヨレハ彼等ハソノ正規兵ヲ以テ急遽我ニ敵対スルノ準備ヲ促進シツツアルノ実状ナリ、帝国海軍ハ如上ノ情勢ニ鑑ミ、コノ種不法行為ノ制止ヲ期シ先ニ軍艦大井、駆逐艦四隻及ヒ特務艦能登呂ヲ増派シ、更ニ本月二十六日我水雷戦隊及ヒ陸戦隊ヲ増派スルニ至リタル次第ナリ帝国海軍トシテハ民国側ノ不法行為根絶ニヨリ事態ノ平和的解決ヲ望ム次第ナルモ万一民国側ニシテ尚毫モ反省スルトコロナク依然ソノ不法行為ヲ停止セサルニ於テハ我カ自衛上適当ト認ムル行動ニ出テ帝国臣民ノ保護並ニ我既得権益ノ擁護上、万遺憾ナカランコトヲ期スルモノナリ』

(付記)

満州事変発生以来支那本部ニ於イテ生起セル対邦人暴行ノ主要ナルモノ左ノ如シ

(一)六年九月九竜ニ於ケル邦人虐殺

(二)同十月内外綿紡績会社襲撃 宜昌海軍集会所放火

(三)同十一月北平ニ於ケル我海軍武官邸爆弾投下

(四)同十二月広東ニ於ケル邦人虐殺

(五)七年一月福州ニ於ケル帝国軍艦艦長ニ対スル暴行

(六)同一月上海ニ於ケル邦人僧侶ニ対スル暴行並ニ民国日報不敬事件及ヒ同興紡績会社襲撃

(七)昨年中ニ於ケル我軍艦及ヒ商船ニ対スル不法射撃七十七回

二十三、支那側ノ解決条件全部承諾

然ルニ二十八日午後三時愈秘書長総領事館来訪第四項抗日会以外ノ排日諸団体ノ解散ヲ承認セル同日付総領事宛呉市長公文ヲ齊シタルニ付村井総領事ハ之ヲ以テ我方ノ要求全部ヲ容レタルモノト認メテ受領セリ而シテ其ノ際村井総領事ハ本件公文カ一片ノ空文ニ終ラサランコトヲ望ムト前提シ

(一)市長カ誠意ヲ以テ排日運動取締ヲ実際ニ履行セラルルコトヲ期待シ居ル次第ナレハ今暫ク其ノ実否ヲ監視シ実行不充分ト認ムルトキハ更ニ要求スルコトアルヘク又場合ニ依リテハ無警告ニ自衛手段ヲ執ルコトアルヘキ旨ヲ予メ声明シ置クヘシ

(二)市政府カ今回我方要求ヲ容レタルニ対シ反対スル者多数アルヘキハ想像ニ難カラス特ニ反動分子ノ活動盛ナル由ノ聞込モアル際ナレハ中華民衆其ノ他カ此ノ機会ヲ利用シ我居留民ノ生命財産ニ対スル被害万一発生スルカ如キコトアルニ於テハ我方ハ自衛手段ニ訴ヘ要所ニ派兵スルコトアルヘシ

(三)支那側カ我方ニ対スル敵対行動ト解セラルル虞アル行動ヲ慎ミ支那要所ニ準備セル土嚢、鉄条網等ヲ即時撤去シ又軍ノ移動等ヲ停止セシメラレ度シト告ケタルニ

兪秘書長ハ

(一)充分誠意ヲ以テ事ニ当ルコト勿論ニシテ各界抗日会ハ新聞紙ニ命令発表ノ通リ二十八日午前二時ニ既ニ公安局ヲシテ封鎖セシメ抑留及封存貨物ハ官憲ニ於テ責任ヲ以テ保管シ逐次所有者ニ返還スヘク五百余名ノ抗日会関係者ニハ抗日会収入金ヨリ旅費手当等ヲ支給シテ分散セシムル手配中ニシテ爾余ノ各団体ハ看板ノミヲ掲ケ居ルカ如キ団体ニ対シテモ其ノ看板ヲ撤去セシムルノ手段ヲ執リツツアリ此ノ度コソハ難キヲ押切リ真面目ニ履行当リツツアリ

(二)御懸念ノ如キ虞アルハ事実ニシテ市政府焼打等ノ噂モアル際ナレハ支那側トシテ今後ノ民衆運動弾圧ニ苦心シ居リ有能ナル憲兵ヲ呼寄セタル次第ナルカ支那街ノ日本人生命財産保護方ニ付テハ充分手配シ居リ責任ヲ以テ之ニ当ルコト勿論ナルモ民衆ノ取締ハ相互ニ之ヲ為ササル可ラス相互ニ誤解ニ依リ大事ヲ発生セシメサル様致度シ日本軍隊カ支那街ニ勝手ニ出動セラルルカ如キコトハ誤解ヲ招キ易キニ付右ノ点御留意アリ度シ

(三)右土嚢等ノ貴方ニ対スルモノニ非サルコトハ既ニ説明セル所ナルカ此ノ緊張セル状態カ本件回答ノ受諾ニ依リ収マルコトトモナラハ其ノ要無キニ至ルヘク又極力之ヲ速カニ撤去セシムヘシト答弁セリ

(右ノ兪秘書ノ言明セル抗日会措置ニ関シテハ二十八日ノ上海時事新報等ニモ記載サレ其ノ報スル所ニ依レハ市政府ハ二十七日午後十一時公安局及社会局ニ対シ抗日会ニ対シ断然タル処置ヲ執ルヘキ旨密令シタル結果両局ニ於テハ翌二十八日午前二時半ヨリ上海抗日救国会、浦東、呉淞、楊樹浦、曹家渡等六ヶ所ノ同会ヲ一律ニ査封シ就中天后宮内ノ抗日救国会ノ弁法ヲ取消シ抗日会ノ看板ヲ下シ公安局ニ持チ去リ抗日会内ノ物件モ全テ封印セル趣ナルモ之実際ノ措置振ニ付テハ帝国総領事館側ニテ実地視察ノ運ヒニ至ラスシテ日支衝突事件発生スルニ至レリ)

第四節 日支衝突ノ経緯

二十四、支那側ノ軍隊集中

支那側カ我解決条件ヲ容諾セル次第ハ前述ノ通ナル処之ヨリ曩支那側ニ於テハ南京蘇州方面ヨリ上海方面ニ軍隊ヲ集中シ其数約三万ニ達シ市ノ四囲呉淞及鉄道沿線一帯ニ配備シ外事起ラハ公安局保安隊軍警隊約六千及支那海軍モ戦闘参加ノ用意アリト伝ヘラレ閘北及南市ニ通スル各要路ニハ土嚢ヲ築キ鉄条網ヲ張リ塹壕ヲ掘リテ着々防備ノ充実ニ努力スルト共ニ市内一帯ニ厳重ナル戒厳ヲ施行シ夜間ノ通行ヲ禁シ鉄道砲台虹橋飛行場真茹無線台江南機器局付近ニ厳重警戒ヲ加へ為メニ支那民衆ハ極度ノ不安ニ駆ラレ租界内及安全地帯ニ避難スルモノ続出シ公安局ハ二十六日布告ヲ出シ民衆ノ動揺ヲ抑止スルニ努メタリ

二十五、工部局ノ戒厳施行

一方租界当局ニ於テハ事態重大ナルニ鑑ミ二十六日夜工部局幹部英米軍隊司令官義勇隊長等会見シ警備方法ヲ協議シタル結果危急ノ場合支那兵ノ侵入及混乱セル支那民衆ノ殺到ヲ防ク為メ租界周囲ノ重要地点ニ鉄条網等ヲ架設スル準備ヲナスニ至リシカ村井総領事ハ第二十一項所載期限付回答督促ヲ為スヤ早速其ノ旨英米仏各総領事ニ通報スルト共ニ仏及共同租界工部局側ニモ通知シ必要アラハ戒厳其他準備手配方依頼シ又海軍側ニテハ工部局警察側ニ対シ我方ノ執ルヘキ措置中租界内関係事項ハ抗日会本部手入排日伝単撤退及排日宣伝施設ノ廃止並ニ封存日貨ノ解放等ナルカ若シ工部局ニテ直接実施セラルル意向ノモノハ予メ承知シ度ク又我方実行ノ期日ハ改メテ通知スル旨通告セルカ二十八日ニ至リ我方ノ期限付通告閘北方面ニ於ケル支那民ノ引揚等ニヨリ人心益動揺シ北四川及狄思威路方面(日本人、支那人六千名居住)ハ混雑ヲ極メタルニ加ヘ便衣隊出現ニ関スル確タル情報アリ更ニ上海呉淞鉄道付近ニハ支那兵進出土嚢鉄条網等ヲ設ケ挑発的態度ニ出テタルヲ以テ人心恟々タルモノアリ刻々危険ノ度ヲ加ヘタルヲ以テ共同租界当局ハ二十八日正午市参事会ノ決議ニ依リ同日午後四時ヨリ戒厳令ヲ施行スルコトトナリ義勇団及義勇巡査ヲ召集シ警備ニ就カシムルト共ニ前日各駐屯軍指揮官及工部局代表者会合シ決定セル左記警備受持区域ニ基キ同時刻ヨリ各国軍隊ハ協定ノ配備ニ就ケリ

(イ)日本ハ北江西路以東蘇州河北ヨリ楊樹浦迄

(ロ)義勇団ハ旧英租界(バンドヨリ競馬場ニ至ル間ノ)

(ハ)米国ハ馬霍路ヨリ膠州路迄

(ニ)英国ハ膠州路ヨリ「ゼスフィールド」迄

(ホ)仏国ハ仏国租界全部

(ヘ)伊国ハ「ゼスフィールドパーク」ヨリ「フェリーロード」迄

注、因ニ右共同防備計画ハ昨夏来工部当局ノ希望ニ基キ各駐屯軍指揮官間ニ於テ租界共同防備計画ヲ協定中大体各指揮官ノ間ニ満足ナル草案ヲ得目下各指揮官ヨリ本国政府ニ請訓中ノモノヲ略其儘採用セルモノナル処客年八月一遣司令官ヨリ海軍省ニ請訓セル共同防備協定草案ノ内容左記ノ通リナリ

上海共同防備ニ関シ客年八月一遣ヨリ請訓内容

(イ)改正要点

(前略)共同防備草案協定ニ於テ左記三要点ヲ是認セシメタルヲ以テ此ノ辺ニテ協定ヲ成立セシムルヲ妥当ト認ム(第一遣外艦隊司令官意見)

(一)統一指揮ヲ認メサルコト

(二)統一指揮ヲ形成スルカ如キ権能ヲ委員会ニ付与セサルコト

(三)受持区域及其ノ他ニ於テ何時タリトモ我独自ノ立場ニ於テ兵力ヲ行使シ得ルコト

(ロ)前号(三)ニ関シ日英指揮官ノ意見

(日)各国指揮官ハ他国軍ノ分担区域内ニアル自国民ノ生命、財産ニ対シ特ニ直接保護ノ必要アリト認メタル場合ニハ当該分担指揮官ト協議ノ上適宜部隊ヲ派遣スルコトヲ得

(英)貴官ハ受持区域ノ基礎ニハ御賛成ナリタルモノナリ而シテ貴官若ハ他ノ区域指揮官カ自己受持区域以外ノ他ノ区域内ニアル自国民ノ生命、財産カ適当ナル保護ヲ受ケ居ラスト思考シタル際ハ勿論自己ニ於テ処理スル権利ヲ有ス然レ共小官ハ斯ル実際上ノ場合ハ貴官カ自己ノ部隊ヲ派遣セラレストモソノ事件ニ関係スル区域ノ指揮官卜協議シテ満足ナル処置ヲ取リ得ルモノト考フ勿論此ノ問題ハ必要カ生シタル場合取ルヘキ手段ニシテ然ラサル限リハ各受持区域分担ノ基礎ニ之ヲ置クモノトス

因ニ右請訓ニ対シ海軍省ニテハ其後満州事変勃発等ニ依リ未タ回訓ノ運ヒニ至ラサル中本件上海事件勃発ヲ見ルニ至レル次第ナリ(注、終)

二十六、帝国海軍ノ配備ト日支衝突

之ヨリ囊前述ノ通リ閘北鉄道沿線付近及線路以外ノ邦人租界内引揚クル者続出シ殺到ヲ極メ其ノ間学生約五千市庁ニ押掛ケ呉市長ノ我要求無条件承諾ヲ難詰シ形勢不穏ノ兆アリタル処夕刻ヨリ閘北保安隊全部逃亡シ居留邦人ノ生命財産ニ危険ヲ感スルニ至レルヲ以テ塩沢司令官ハ午後八時左記布告及声明ヲ発スルト共ニ之ヲ支那側市長、公安局長等ニモ通告ノ上午後九時半在泊各艦ヨリ陸戦隊ヲ上陸シ上海特別陸戦隊ト協力ヲ命シタリ

布告

「我海軍ハ工部局ノ発セル戒厳令ニ依リ警備担任区域内ノ直接治安ニ任スルコトトナレリ担任区域内ニ於テ時勢ニ妨害アリト認メル集会ヲ停止スル外戒厳施行上必要ト認ムル職権ヲ施行スルコトヲ布告ス」

声明

「目下上海ハ租界内外ヲ問ハス人心動揺シ形勢不穏ニシテ刻々悪化シ工部局ハ戒厳令ヲ布キ各国軍モ亦警戒ヲ厳ニシツツアリ帝国海軍ハ多数邦人ノ居住スル閘北一帯ノ治安維持ニ関シ不安ト認ムルヲ以テ兵力ヲ配備シ之カ保安ニ任セントス

本職ハ閘北方面ニ配備セル支那軍隊ノ敵対施設ヲ速ニ撤退センコトヲ支那側ニ要望ス」

然ルニ前記列国駐屯軍協同防備計画ニ基キ日本側担任区域タル北四川路ノ東西両側ニ対シ二十九日午前零時敵若シ攻撃ニ出テサルトキハ我ハ進ンテ攻撃行動ヲ執ルヘカラサル命令ノ下ニ陸戦隊出動配備ヲ開始セル処北四川路東側地区ハ無事ナリシモ西側地区ニ於テハ虬江路其他閘北支那街ニ通スル街ニ顔ヲ出スヤ否ヤ予メ準備セル支那正規軍ハ突如射撃ヲ開始セルヲ以テ我軍ハ自衛上之ニ応戦シ茲ニ交戦状態ニ入レリ

我陸戦隊ハ午前一時三十分迄ニ虬江路西部ヲ除キ概ネ協定ノ警備地ニ到達シ午前二時四十五分虬江路鉄路交叉点ヲ占領セルカ支那軍隊ハ其ノ北約百五十米ノ四叉路付近ニ於テ頑強ニ抵抗シ又占領地域及租界内ニ於テ便衣隊活躍シ其ノ為ニ被レル損害少カラス軍人ニ非サルモノニシテ不意ニ射撃サレタルモノモアリシカ能登呂飛行機ヲシテ吊光弾及爆弾ヲ以テ支那軍隊ヲ脅威セシメ、我陸戦隊亦兵力ヲ集中シ攻撃ノ結果午前五時四叉路ヲ占領シ茲ニ全警備受持区域ヲ掃蕩スルヲ得タリ右戦闘ニ於ケル彼我損害相当多ク我方戦死十一、重傷六十四、軽傷二十四ヲ出セリ

二十七、総領事ノ措置、支那側ノ抗議文提出

之ヨリ嚢日支両軍衝突ノ報ニ接セル村井総領事ハ直ニ呉市長ニ対シ差当リノ措置トシテ我方ハ鉄道線路ノ下ニ出ツル考無キニ付支那兵ヲ閘北ヨリ撤退シ攻撃ヲ止メシメラレ度旨愈秘書長ヲ通シ申入レタル処支那側ハ先ツ我方ニ於テ支那街ヨリ撤退シ原状恢復ヲ希望スル一方支那軍ハ北停車場ニ装甲列車ヲ持来リ攻撃的態度ニ出テタルカ二十九日午前四時市長呉鉄城ハ総領事宛二十八日付公文ヲ以テ左ノ通申越セリ

「本市ニ於ケル最近ノ日中交渉ニ関シテハ本市長ニ於テ和平解決ヲ求ムル為貴方提出ノ四項ヲ受諾シ其旨回答シタル処当時貴官ハ満足ノ意ヲ表示セラレタリ然ルニ図ラスモ本夜十一時二十五分公安局ハ貴方ヨリ一遣司令官ノ本市長及公安局長宛抗告各一通ヲ接到セルカ同夜十二時公安局カ閘北ヨリ得タル報告ニ依レハ日本陸戦隊ハ同処ニ於テ自由軍事行動ヲ開始シ支那街ニ向ッテ進行セル趣ナリ

査スルニ貴方ハ我方ノ回答ヲ既ニ満足ノモノト認メラレタルニ貴国海軍カ突然此種軍事行動ニ出ツルハ殊ニ奇異ノ感ニ堪エス所有和平及本市ノ安寧ヲ破壊シタル一切ノ責任ハ貴方ニ於テ負フヘク本市長ハ茲ニ厳重ナル抗議ヲ提出スルニ付貴国海軍側ヲシテ速ニ軍事行動ヲ停止シ以テ事態ノ拡大ヲ免レシメラレ何分ノ回答アリタシ」

尚市長呉鉄城ハ右ト同趣旨ノ書翰ヲ在上海各国領事ニ送リ公平ナル態度ヲ執ラレ度キ旨申入レタリ

二十八、村井総領事、帝国海軍及帝国政府ノ声明

今回ノ衝突事件ト日蓮宗徒殺傷事件ニ依リ惹起セラレタル交渉事件ハ其ノ性質全然別個ノモノニシテ直接ニハ無関係ナルコト上述ノ通リナルニ拘ラス前記呉市長ノ公文ニモアル通リ恰モ一体ナルカ如キ誤解アリ支那側カ我方ノ解決条件ヲ全部容レタルニ拘ラス何故ニ日支衝突スルニ至レルヤノ事情ハ中外ニ明瞭ナラシムルヲ以テ村井総領事ハ二十九日海軍側トモ打合セノ上別紙甲号ノ通リ発表セルカ帝国海軍及帝国政府ニ於テモ夫々乙号及丙号ノ通リ声明セリ

別紙甲号

It is true that the mayor of Greater Shanghai conceded late on January twenty-eighth to all demands contained in my note of January twentieth and we are anxiously watching for the development in view of various rumours and questionable ability of the local Chinese authorities to control the situation particularly the undisciplined soldiers and dissatisfied elements. By four o’clock the Shanghai Municipal Council declared a state of emergency. Meanwhile the excited refugees most of whom were Chinese poured into the settlement from all directions. The rumour of surreptitious entry of the “plainclothed corps” gained wide circulation. To make the situation from bad to worse all the Chinese constables fled from the Chapei district where about 7000 Japanese reside. The excitement of the populace grew to feverpoint. As an emergency measure of protecting the Japanese lives and property in Chapei a Japanese landing force was despatched in accordance with a previous arrangement with authorities of the Municipality and British, American and other forces and in conformity with former precedents of similar cases (the territory in question is a strip of land in Chapei on the east side of the Shanghai-Woosung Railway which by the above named agreement was assigned to the Japanese). No sooner had the Japanese landing force appeared on the emergency duty near its head-quarters that the Chinese soldiers in plain clothes attacked them with hand grenades in the neighborhood of the Shanghai-Woosung Railway. This attack served as a signal for the Chinese regulars to open fire on the Japanese force whereupon the latter was forced to return fire. At about the same time these disguised outlaws commenced shooting at the Japanese at random in the area mentioned about. They have already claimed a number of Japanese lives in the same area. I made it a special point to ask Mr. Yui Secretary-General of the Municipality of Greater Shanghai to withdraw the Chinese troops from the section in question. When I received the mayor’s reply yesterday to which he gave his ready assent and assured me that it would be done. Had the mayor been able to bring the Military to coordinate speedily with him we might have averted the unfortunate incident. I am demanding again for an immediate withdrawal in view of what took place and is now taking place. If the Chinese authorities are unable to stop the assault and complete the
withdrawal from that section I see no other alternative but to enforce it by force. I should like to make it clear that this clash is to be distinguished from the question contained in my note of January twentieth which was solved for the time being. At any rate I would also like point out that the wild story about the Japanese attack on the Woosung fort is groundless. This Chapei incident is entirely a matter of self-defense in emergency in an effort to protect that Japanese life and property and indeed those of their nationals including Chinese themselves. I am hoping for a speedy cooperation of the Chinese side to avoid any further conflict or sacrifices and to that end to withdraw its troops.

別紙乙号

海軍当局談

上海事件ニ対シ予テ要求中ナリシ我条件ハ昨二十八日午後三時ニ至リ民国側ニ依リ承認セラレタリシモ一遣司令官ハ之ニ対シ尚満ヲ持シテ実行ヲ監視シ且反動分子ノ策動ニ対シ警戒ヲ厳ナラシメタリ一方上海工部局ハ午後四時戒厳令ヲ布告シ列国駐屯軍ハ協同防備計画ニ就クコトトナリタルヲ以テ我陸戦隊ハ日本担任区域タル北四川路両側ニ対シ二十九日午前零時ヨリ陸戦隊配備ヲ開始セル所民国正規ノ軍隊カ進出シテ武力挑戦ヲナシタル結果遂ニ我ハ之ニ応戦スルノ已ムナキニ至レリ

我国ハ予テヨリ極力事件ノ拡大ヲ防止スル為事前ニ各種手段ヲ尽シテ民国軍隊ノ和平撤退ヲ勧告セシニ拘ラス其ノ効ナク事茲ニ至レルヲ以テ我一遣司令官ハ外交機関ヲ通シ民国軍隊カ速ニ本邦人居留区域付近ヨリ撤退センコトヲ要求中ナリ

民国当局カ我要求条件ヲ承認セルニ係ラス其ノ威令行ハレス彼ノ正規兵カ民国当局ノ意志ニ反シカカル事態ヲ惹起スルニ至レルハ甚遺憾トスル所ナリ

別紙丙号

帝国政府ノ声明

一、帝国政府ハ国民政府ニ対シ客年十月九日付覚書ヲ以テ支那各地ニ於テ暴威ヲ逞フスル排日運動ハ組織上及実際上国民政府ト其ノ職能ヲ分ツコト困難ナル国民党党部ノ直接間接ノ指導下ニ国策遂行ノ手段トシテ行ハルル武力ニ依ラサル敵対行為ナルコトヲ指摘シ党部及其ノ指導スル各種排日団体ノ策動ヲ控制スヘキハ勿論其他排日運動ヲ取締リ並ニ本邦人ノ生命財産及利益ヲ保護スルニ必要且有効ナル措置ヲ執ラムコトヲ要求シ、尚ホ其以後ニ於テモ幾度トナク支那中央及地方官憲ニ対シ右要求ノ趣旨ヲ繰返シ其ノ深甚ナル注意ヲ喚起シ来レリ

二、然ルニ国民政府ニ於テハ叙上帝国政府ノ要求ニ応スルノ誠意ナク甚シキニ至リテハ支那官民ノ帝国及帝国臣民ニ対スル不法行為ヲ以テ愛国心ノ発露ナリトシ寧ロ之ヲ奨励スルカ如キ態度ニ出テタル為メ排日運動ハ愈々深刻執拗ヲ加へ、殊ニ近時広東、青島、福州等ニ於テ帝国臣民殺害事件、帝国官吏侮辱事件等ヲ惹起シタルノミナラス、支那諸新聞紙ノ我皇室ニ対スル不敬記事事件ヲサヘ発生スルニ至レリ

三、就中上海ニ於テハ抗日会本部其他各種ノ排日団体、跳梁最モ甚シク、殊ニ最近民国日報ノ不敬記事事件及日蓮宗僧侶ニ対スル殺傷事件等ノ発生以来事態益々悪化セルニ依リ在上海帝国総領事ハ同地方支那官憲ニ対シ排日運動ノ取締其他ニ関スル要求ヲ提出シタル処、右ハ極メテ公正妥当ナルモノナリシニ拘ラス支那側ニテハ荏苒回答ヲ遷延スル一方、上海ノ周囲ニ軍隊ヲ集中シテ我方ヲ威嚇スルカ如キ態度ヲ示シ為メニ居留邦人ヲシテ極度ノ危虞ヲ抱カシメタリ

四、尤モ支那側ニテハ二十八日午後三時ニ至リ結局我方ノ要求ヲ容認スルニ至レル処、我方ニ於テハ支那側従来ノ遣口ニ顧ミ之カ実行ヲ監視スルト共ニ不逞分子ノ策動ニ対スル警戒ヲ怠ラサリシカ一方共同租界工部局ニ於テモ同租界付近ノ支那軍隊等ニシテ不穏ノ行動ニ出ツルモノアリタルニ顧ミ同日午後四時戒厳令ヲ布告セリ、其ノ結果列国駐屯軍ハ協同防備計画ニ基キ各々配置ニ就クコトトナリ、我陸戦隊モ亦其担任区域タル北四川路両側ニ対シ二十九日午前零時ヨリ配備ヲ開始セルニ支那正規軍隊ヨリ突如トシテ発砲挑戦セルニ依リ我軍之ニ応戦スルノ已ムナキニ至レルカ、目下我方ハ支那当局ニ対シ同国軍隊ノ本邦人居留区域付近撤退方ヲ引続キ要求中ナリ

五、今次上海方面ニ於ケル我海軍ノ行動ハ既往ニ於テ主要列国カ同地方ニテ度々執リ来レル実力行動ト均シク全ク居留邦人ノ生命財産其他我方権益ノ擁護ヲ目的トスル外他意無キト共ニ今回ノ派兵ハ従来我方カ英米仏等ノ上海駐屯軍ニ比シ少数ノ陸戦隊ヲ同地ニ駐メ居リタルヲ事態ニ応ジ増加セルニ過キサル処、我方ニ於テハ固ヨリ列国協調ノ方針ヲ持シ、現ニ出先帝国官憲ハ関係各国領事官、共同租界工部局、各国駐屯軍ト密接ナル連絡ヲ保チ居レル次第ニシテ、我方ニ於テ上海地方ニ対シ何等政治的野心ヲ有セサルハ勿論同地方ニ於ケル列国ノ権利利益ヲ侵害スルカ如キ意図ナキコトハ多言ヲ要セサル所ナリ

第五節 停戦ニ関スル交渉

二十九、呉市長ノ依頼ニ基ク英米両総領事停戦斡旋

日支衝突発生ノ経緯前述ノ通ナル処二十九日午前英米両総領事呉市長ノ依頼ニ依リ村井総領事ヲ来訪シ租界ノ治安ニ関シ重大ナル影響アルニモ鑑ミ別ニ日本軍ノ行動ニ干渉スル趣旨ニアラサルモ何トカシテ停戦ノ途ナキヤトテ同総領事ノ斡旋ヲ求メタルニ付同総領事ハ両総領事ヲ帯同シテ塩沢司令官ヲ往訪シ種々懇談ノ末司令官ハ我方トシテハ日支軍双方トモ現在ノ状態即チ我軍ハ上海呉淞鉄道以東支那軍ハ同鉄道以西ニ駐屯シタル儘停戦ニ異議ナキ旨ヲ告ケ両総領事ハ右ニ付支那側ノ意向ヲ糺スコトトナリタルカ右ノ結果午後六時殷汝耕呉市長ノ依頼ニ依リ来訪シ同夜八時ヨリ停戦スルコトニ決定セリ

三十、支那側ノ再度ノ違約、英支ノ衝突

斯クテ二十九日午後八時以後両軍ハ交戦停止ノ状態ニテ三十日朝ニ至リタル処支那軍ハ野砲兵ヲ北停車場付近ニ集結シ我方ヨリ何等挑発行動ナキニ拘ラス午前六時二十分頃ヨリ我軍ニ対シ攻撃ヲ開始セルニ付我軍ハ事態悪化ヲ防ク為メ一時後退セルモ危険極リ無キニ依ツテ総領事ハ右事実ヲ英米総領事及呉市長ニ通告シ支那軍ニシテ右砲撃ヲ即時中止セサルニ於テハ我方ヨリモ応戦スヘク又飛行機ヨリノ爆撃ヲ再開スヘキ旨フモ併セ通告セルカ三十日午前九時司令官ハ英米両総領事ノ来訪ヲ求メ停戦約定ニ反スル支那側砲撃ノ事実ヲ指摘シ支那側ニ警告方依頼シタルニ両総領事トモ既ニ総領事ヨリノ電話ニ基キ呉市長ニ申入レ呉ハ尽力ヲ約セル旨答へ司令官ノ自重ヲ希望セルカ司令官ハ出来得ル限リ忍耐スヘキモ砲弾ノ刻々落下シツツアルヲ以テ忍耐スル時間ハ約束出来スト述へ尚北停車場ヨリ装甲列車ノ撤退要求伝達ヲ依頼セリ

然ルニ右ト同時刻ニ殷汝耕ヨリ電話ヲ以テ支那側報告ニ依レハ日本側ニ於テ進撃ヲ開始セルニ依リ迫撃砲ヲ以テ防禦セルモノナル旨申出アリタルニ付総領事ハ其ノ無根ナルヲ指摘シ斯ル風説ヲ信スルハ停戦ニ関スル支那側ノ誠意ヲ疑ハシムト詰問セルカ英米総領事斡旋ノ結果三十一日午前十時英国総領事館ニ於テ停戦協定ヲ為スコトトナレリ

然ルニ支那側ハ三十一日午前一時二十分及四時四十分約定ニ反シ北停車場付近ヨリ不意ニ我陣地ヲ攻撃(支那軍ノ野砲一発陸戦隊本部付近ニ落下炸裂ス)シ又英国義勇隊(北河南路及以西ニ配備)モ支那側ト交戦セリ更ニ午前八時四十分支那側ノ発砲セル野砲弾三発租界内靶子路上ニ落下炸裂シ午前九時半鳳翔飛行機十七台偵察飛行ヲ行ヒ同十時半支那軍ハ北四川路横浜橋(陸戦隊第三大隊本部タル北部小学校付近)西方ヨリ我軍ニ向ケテ発砲シ又六三花園ヨリ陸戦隊本部ヲ攻撃シ我軍歩哨二名戦死セリ依ツテ我軍亦已ムヲ得ス反撃ヲ加へタル有様ナリキ

三十一、停戦協議

一方停戦ニ関スル協議ハ三十一日午前十時英国総領事館ニ於テ行ハレ支那側ヨリハ十九路軍毛師長及市長呉鉄城我方ヨリハ塩沢司令官及村井総領事出席セリ

協議ノ結果日本側ハ衝突以前ノ地域即チ大体租界延長道路迄退ク代リニ支那側モ現在ノ地帯ヨリ撤退(撤退距離未定)中間区域ハ中立国軍隊ニ依リ警備スルコトニ略話纏リ午後三時ヨリ中立国司令官ヲ加ヘ更ニ協議セル処列国先任指揮官タル英国陸軍少将「フレミング」ヨリ中間区域ヲ第三国軍ヲ以テ警備スルハ極メテ困難ナルヲ以テ寧ロ日本軍カ現在ノ警備区域ヨリ租界内ニ撤退シ第三国軍カ日本軍撤退区域全部ノ警備ニ当ル案ノ方実際的ナルヤニ認メラルル旨ヲ述へ支那側之ニ賛成シタルカ日本側ハ敢テ第三国軍ノ力ヲ信セスト云フニ非サルモ右案ハ平常時ナラハ兎モ角現在ノ不安状態ニテハ同区域在住邦人ノ撤退ヲ命スルニ等シク到底同意シ得スト述ヘタル処同少将ハ出来得レハ日本側ニ於テ右案ニ付政府ニ請訓セラレタキ旨述ヘタルニ付我方ハ政府ノ同意ヲ得難シ兎モ角一応請訓シテ見ルコト差支ナシト答ヘ種々協議ノ結果若シ日本政府ニ於テ右ニ同意ナラハヨキモ反対ナル場合ハ支那側ニテモ中央ニ請訓スルコトニ決定シ右結果判明スル迄双方ニ於テ差当リ停戦スルコトニ申合セタリ

尚支那側ハ停戦ノ条件トシテ爆撃ノ中止大砲ノ撤去日本ヨリ援軍ヲ呼ハサルコト等ヲ要求セルモ我方ニ於テ之ヲ拒絶シ要スルニ日本側トシテハ支那側ヨリ攻撃セサル限リ絶対ニ進ンテ攻撃ニ出テサルモ支那側ニシテ攻撃スレハ之ヲ反撃スヘキ旨ヲ告ケ置キタリ斯クテ再度停戦ニ関スル協議ノ成立セル処右ニ拘ラス支那側ニ於テ更ニ停戦違約行為ニ出テタル次第及本項英国案ニ対スル帝国政府回訓ニ関シテハ夫々第三十三項及第三十四項ニ記述スヘキ処之ニ先チ右停戦交渉ト併行シテ行ハレタル領事団開催方ニ関スル交渉ニツキ一言セントス

三十二、在上海領事団ヲシテ支那側ニ対シ敵対行動停止方申入ルル様誘導方ニ関スル訓令

之ヨリ曩日支衝突スルヤ村井総領事ハ逸早ク政府ニ対シ現在兵力ノミニテハ居留民ノ現地保護不可能ナルヤニ観測セラルル旨電報シ越セリ右電案ニ対シ政府ハ二十九日夜同総領事ニ対シ我方トシテハ居留民ノ生命財産其他我方権益ノ擁護ヲ目的トスル外他意無ク之カ為メ事態ヲ拡大セシムルヲ欲セサルハ勿論支那側ト開戦セムトスルカ如キ意図固ヨリ無キ次第ナルニ不拘支那側正規軍カ漸次租界付近ニ集中シテ我方ニ反撃スルノ態度ヲ執ルニ於テハ我方トシテモ勢ヒ之ニ対抗セサル可カラス其ノ結果ハ益々重大化シ勢ノ赴ク所遂ニハ各国夫々複雑ナル利害関係ヲ有スル租界内ニ擾乱ヲ波及セシムルノ虞大ナルニ鑑ミ同総領事一個ノ思付トシテ領事団ニ対シ以上我方ノ憂慮スル所ヲ告ケ右ノ如キ重大ナル結果ノ発生ヲ防止スル為ニハ此ノ際領事団ヨリ支那側当局ニ対シ正規軍カ速カニ日本陸戦隊ニ反抗スルカ如キ行動ヲ已メ租界付近ニ構築セル攻撃及防禦工事ヲ撤退シ且其ノ移動ヲ停止スル様厳重警告ヲ発スルコト機宜ニ適スルモノト思考スル旨ヲ開談シ成ル可ク右ニ議ヲ纏メ実行セシムル様誘導スヘキ旨訓令スル処アリタルカ右訓令ニ基キ村井総領事ハ一月三十日米国総領事ニ対シ同総領事一個ノ意見トシテ支那側ハ前夜以来南京真茄方面ヨリ増援部隊ヲ派遣シ居リ次第ニ対抗ノ勢顕著ナルモノアリ我方ニ於テモ之ニ対抗スル為メ反撃ヲ加フルコトヲ必要トスルニ至ルヤモ知レス斯クテハ事態由々敷ク租界ニ擾乱ヲ波及スル虞アルヲ以テ領事団トシテ右支那側ノ租界付近ニ構築セル攻撃的防禦工事ヲ撤退シ軍ノ移動ヲ停止センコトヲ警告スルコト機宜ニ適スト認メラルル旨申入レタル処同総領事ハ早速先ツ英仏伊国領事ノ意見ヲ聴キ出来得ル丈ケ貴意ニ副ヒ度旨述ヘタルカ右領事団会議ニ対スル村井総領事ノ提案ハ折柄進行中ノ第三十一項記載停戦ニ関スル話合ノ結果ヲ俟ツコトトナレリ

三十三、敵対行動停止方南京政府へ申入レノ件

帝国政府ニ於テハ右ト同時ニ在南京上村領事ヲシテ至急南京政府ニ対シ正規軍カ我方ニ敵対行動ヲ執ルカ如キコト無カラシムル様厳重訓令方申入ルヘキ旨訓電セルヲ以テ上村領事ハ一月三十一日外交部次長徐謨ト会見シ我方ノ態度ヲ説明シタル上訓令ニ依ル趣ヲ以テ支那側正規軍カ我方ニ敵対行動ヲ執ル事無キ様申出タル処徐ハ日本側カ勝手ニ支那領土ニ侵入シ戦闘行為ニ出テタルヲ以テ支那側ニ於テ自衛的行為ニ出テタルニ過キストテ種々詭弁ヲ弄シタルニ依リ上村領事ハ従来ノ経過ヲ述へ我方ノ公正ナル態度ヲ充分説明シタル処結局徐ハ上村領事申出ノ次第ハ政府ニ報告ノ上何分ノ回答為ス可キ旨答ヘタリ

尚同日上村領事ハ宋子文ト会見シタルニヨリ同人ニモ右ノ次第ヲ話シタルニ宋ハ上海事件ノ経過ヲ詳細ニ亘リ質問シ相当我方ノ態度ヲ了解シタル模様ナルカ国民政府ヨリ第十九路軍ニ停戦命令ヲ出スコトハ支那ノ民心頗ル硬化シ居心此ノ際可ナリ困難ナル旨述ヘタルヲ以テ上村領事ハ十九路軍ハ最早ヤ南京ノ命令ヲ奉セストノ風説アリ果ンテ然ラハ上海事態ハ誠ニ憂慮ニ堪ヘスト述ヘタルニ宋ハ極メテ自信アル態度ニテ右ノ如キ風説ハ全然虚構ニシテ十九路軍ハ完全ニ南京政府ノ統制下ニ在リ現ニ自分一人ノ命令ニテモ自由ニ之ヲ動シ得ル次第ナリト述ヘタリ

上村領事ハ翌二月一日羅外交部長ト会見ノ際更ニ本件抗議ヲ申入レタルカ右抗議ニ対スル国民政府ノ回答ハ接受スルニ至ラサリキ

三十四、支那側ノ第三次違反及停戦条件ニ関スル帝国政府ノ回訓

一月三十一日午後停戦ニ関スル第二次協定成立ノ次第ハ第三十一項記載ノ通リナル処前日来逐次我陸戦隊本部ヲ包囲ノ形勢ニ集結セル支那正規軍ハ又モヤ協定ニ違反シ同夜十一時頃商務印書館付近ヨリ野砲及小銃ヲ以テ攻撃ヲ開始シ砲弾ハ旗艦安宅付近ノ江中初メ我警備区域内各地ニ落シ一方便衣隊ノ活動愈々猖獗ヲ極メ各所ニ出没シテ拳銃及手榴弾ヲ以テ邦人及邦人家屋ヲ狙撃シ同夜我警備区域内外ニ於テ在留邦人中ニ死者三名重傷者四名ヲ出シ邦人工場又ハ商店ニシテ掠奪放火ノ禍ニ遭へルモノ数所ニ及ベリ支那側ノ攻撃ハ我反撃ニヨリ一時中止セルモ海軍側ニテハ右支那側ノ態度ニ顧ミ翌二月一日午前九時ヨリ飛行機ニヨル爆撃ヲナスニ決セルモノノ如ク其ノ旨村井総領事ニ通知アリタルカ同日朝ニ至リ偶霧深クシテ視界利カサル為メ爆撃計画ヲ中止スル旨更ニ通告アリ而テ村井総領事ヨリハ其ノ後ハ両軍前線対峙ノ儘ニテ静謐ナル模様ナル旨電報シ越セリ

之ヨリ曩僧侶事件紛糾スルヤ政府ニ於テハ折柄帰朝中ナリン重光公使ヲ至急帰任セシムルコトトシ同公使ハ二十七日夜東京発三十一日上海へ帰着セルガ前記村井総領事ノ報告ニ接セル政府ハ外務、海軍協議ノ結果直ニ重光公使ニ対シ(二月一日午後発電)海軍側ノ爆撃計画モ中止セラレ前線モ一応静謐ニ帰セル趣ニモアリ此ノ機ヲ逸セス関係各国出先官憲ノ協力ヲ藉リテ事態ノ悪化防止ニ努ムルコト機宜ニ適スルモノト認メラルル処停戦協定モ此ノ際ナラバ成立シ得ヘシト認ムルニ付一遣司令官及村井総領事トモ充分協議ノ上右成立方ニ関シ関係国総領事ノ誘導ニ努メラレ度ク尤モ右協定ハ第一項記載英国指揮官ノ提案ニテハ実情上問題トナラサルヘキヲ以テ第三国軍側ニテ或ハ多少困難ナル事情アルヘキモ大局ノ見地ヨリ是非同日午前ノ話合ノ程度即チ日本側ハ衝突前地域即チ大体租界延長道路迄退ク代リニ支那軍モ現在ノ地点ヨリ撤退シ中間区域ハ中立国軍隊ニ依リ警備スル案ニテ至急取纏ムル様訓電セリ

第六節 形勢逼迫ト我軍ノ反撃、停戦交渉ノ成行

三十五、形勢ノ逼迫ト租界内引揚ニ関スル請訓及帝国政府ノ回訓

二月一日午前中カ比較静謐ナリシハ前記ノ通ナル処午後ニ至リ形勢逆転シ支那側ハ午後一時ヨリ五時迄四時間ニ亘リ北停車場付近ヨリ執拗ニ射撃シ又午後二時半ヨリ横浜路付近ニ在ル支那軍ハ我軍ニ対シ一斉射撃ヲ開始スル等支那側ノ態度再ヒ積極的トナリ形勢逼迫スルニ至リタルヲ以テ一遣司令官ハ再村井総領事ニ対シ明二日午前六時ヨリ飛行機偵察ヲ行ヒ状態躊躇ヲ許ササルモノアル場合ハ断然爆撃ヲ実行スヘキ旨通告アリ右ハ居留民ノ現地保護上已ムヲ得サル次第ナルモ其ノ結果ハ休戦中恰モ我方ヨリ手出セルカ如ク見エ外交上頗ル不利ナルノミナラス場合ニ依リテハ支那民衆ノ憤激ヲ齎ラシ邦人虐殺等ノ惨事ヲ惹起スルノ虞無キニシモアラサルヲ以テ村井総領事ハ此ノ上ハ在留民全部ニ対シ共同租界内ニ引揚ヲ命スルカ又ハ爆撃ヲ決行スルカニ付キ同日午後一時迄ニ回訓方電報シ越セリ

右村井総領事ノ請訓ニ対シ政府ニ於テハ外務、海軍協議ノ結果村井総領事ニ対シ租界外居留民ヲ共同租界内ニ引揚ケシムルハ時宜ニヨリ已ムヲ得サル措置ト認ムルモ之ト同時ニ陸戦隊トシテハ我方分担ノ防備区域ヲ抛棄スルカ如キハ大局上極メテ好マシカラサルニ付右区域ノ防備ヲ厳ニスルト共ニ支那側ニ於テ休戦ノ約ヲ守ラス飽ク迄攻撃的態度ニ出ツルニ於テハ断然支那軍ニ対シ爆撃ヲ加へ事情ヲ中外ニ明ニスルノ外無シ就テハ右ノ趣旨ニテ司令官トモ打合ノ上善処スヘキ旨回訓セリ

海軍側ハ二月二日午前五時、「支那軍ハ停戦約定成立後モ連日連夜我警備区域内ヲ攻撃シテ止マス特ニ三十一日夜十一時頃商務印書館付近ヨリ野砲及小銃ヲ以テ攻撃ヲ加へ又一日午後ヨリ五時迄四時間ニ亘リ北停車場付近ヨリ執拗ニ射撃スル等支那軍カ停戦ヲ口実トシテ続々兵力ヲ集中シ我軍ヲ掩撃スル計画ナルコト明カトナリ之ヲ黙視スルハ我等ヲ危険ニ曝スモノナルヲ以テ不取敢二日飛行機ヲ以テ支那軍隊ノ配備ヲ偵察スルコトニ決セル」旨声明ヲ発シ同時ニ総領事館ニ於テモ右ノ趣呉市長、英、米、仏三国総領事及共同租界工部局ニ通報セルカ支那軍ハ二日午前十時頃ヨリ再ヒ我軍ヲ射撃セルヲ以テ我方ハ直ニ之ニ応射シ又我飛行機六台ハ偵察飛行ヲ為セル所支那軍ハ之ニ発砲セルヲ以テ我軍亦砲撃スルノ止ムナキニ至レリ

三十六、停戦交渉ノ成行

其ノ間第三十二項停戦条件及領事団誘導方ニ関スル重光公使宛訓令ノ転報ニ接シタル村井総領事ハ同日(二月二日)午後二時支那側及各関係国総領事ニ対シ英国指揮官案ハ受諾シ難キ旨従ッテ当初ノ約束通リ(第三十一項参照)支那側ニ於テ更ニ中央政府ニ措置振リヲ請訓セラレタキ旨要求セリ(中立地帯設置案ハ現状ニ於テ実行困難ナル事情アリ司令官ノ同意ヲ得ルニ至ラサリシヲ以テ放棄ス)然レトモ支那側ニ於テハ停戦期間内ヲ通シ大砲其他ヲ以テ我方及共同租界ノ攻撃ヲ続ケ危険極リナク右ハ二日夜ヨリ益々激シク成リタル為村井総領事ハ三日午前十一時過市政府ニ対シ電話ヲ以テ至急攻撃ヲ中止シ撤兵方申入タル処支那側ハ右ニ対シ同時ニ日本側ニ於テモ撤退セラルヘキヤト述へタルニ付日本側ハ各国協定ノ防備線以外ニハ進出シ居ラサルニ付此上撤退ノ余地無シトテ拒絶セル処先方ハ兎ニ角御申越ノ次第ハ軍隊側ニ通スヘキモ此際支那側ノミノ撤退ハ到底実現シ得サルヘシト答ヘタリ

三十七、南京及呉淞ニ於ケル我海軍ノ行動

之ヨリ曩南京ニ於テハ上海事件発生以来支那側ハ盛ニ防禦工事ヲ施行中ナリシカ二月一日夜獅子山砲台ヨリ突然砲撃ヲ開始セルニヨリ警備艦ハ直ニ応射沈黙セシメタル事件発生セリ又呉淞ニ於テモ三日朝佐世保ニ向ケ出航シタル第二十六駆逐隊ノ楡、柿、栗ノ三隻呉淞通過中午前十一時ヨリ砲台ヨリ発砲セルニ付之ニ応射シ第三戦隊及航空機ヨリ攻撃ヲ加へ午後一時五十分沈黙セシメ同二時十分之ヲ占領セリ

第七節 上海ニ於ケル英米総領事ノ抗議、各国軍増派ノ状況

三十八、我軍ノ警備ニ関スル各国ノ抗議

共同租界防備委員会委員タル英米伊守備隊長英国海軍先任士官工部局市参事会長義勇隊長及警視総監連名ヲ以テ伊国代理公使米国総領事及英国総領事宛日本海軍ノ受持区域外駐屯及前記区域内ノ積極的巡視並ニ支那人ニ対スル不必要ナル野蛮行為ニ関シ抗議アリタル趣ヲ以テ二日付英総領事ヨリ右抗議書写ヲ総領事宛送付越スト共ニ右ニ付日本海軍司令官ノ注意ヲ喚起セラレ前記行動ノ停止方要求スベキ旨申出ツルト共ニ抗議書写ハ駐支英国公使駐日英国大使及英米海軍司令官ニ通知サルル筈ナル旨申越セリ

同抗議書ハ共同防備協定中ニハ其受持区域内ノ秩序維持ノ為警察官ヲ援助スヘク且独立行動ヲ執ル必要アル際モ防備委員長ト相談スヘキ旨規定アル事ヲ指摘セル上日本軍ノ行動中抗議スヘキハ受持区域外ノ日本紡績工場ニ於ケル日本軍駐屯及積極巡視ナリトテ左記事実ヲ指摘シ斯カル行為ハ日支人間ノ感情阻隔ノミナラス一般外人ニ対スル支那人ノ反感ヲ挑発スヘク英米軍及義勇隊側ノ日本軍ニ対スル感情ハ「アキュート」ニシテ若シ斯ル行為ニシテ継続セラルレハ極度ノ「プロボケーシヨン」ヲ長ク忍耐シ得サル下級兵士ノ抑制不可能ナリ戒厳以来英米軍受持区域内ニハ日本人ノ生命財産ニ対スル危険無キヲ以テ同部分ニ於ケル日本軍ノ積極的巡視ハ全然不要ナリ日本司令官ニ対シ厳重抗議セルモ何等結果無カリシ旨記載セリ

尚米国総領事館ヨリ同様ノ趣旨申出アリタリ

左記

(一)「ペナン」路北米国受持区域内ノ日本紡績工場(内外綿)ニ五十ノ機関銃ヲ有スル五百名ノ日本軍駐屯ス右ハ防備協定ノ違反ニシテ日本軍カ共同租界内ニ於テ行動シ得ル事ヲ利用シ「オフェンシブリー」ニ武力ヲ用ヒントスル計画ノ証拠ナリ

(二)一月三十日英国受持区域「ロビンソン」路「ペナン」路交叉点ニ近接スル日本軍「ポスト」付近ニ於テ日本兵ハ二名ノ支那人苦力ヲ突殺セリ(工部局巡査ノ報告添付)

(三)米国軍「ポスト」ニ近接スル「ゴルドン」路ノ橋付近ニ日本軍ハ二個ノ機関銃ヲ備へ防塞ヲ築ケリ日本将校ハ米国軍「ポスト」ハ日本機関銃ノ弾道内ニアリトテ米国兵ノ立退ヲ求メタリ

(四)毎日米国軍本部ヲ通過スル日本軍自動車巡察隊ハ銃及機関銃ヲ米国軍ニ向ク

(五)二月一日夕「プレナンピース」付近ニ於テ十六歳ノ武器ヲ持タサル支那軍小児ハ日本兵ノ為銃殺サレタリ(義勇隊将校ノ報告書アリ)

右各国ノ抗議ニ対シ村井総領事ハ二月三日一遣司令官ヲ往訪シ英、米、伊三国総領事ヨリ我軍ノ受持区域外ニ於ケル日本軍ノ行動ニ関シ抗議ノ次第ヲ述ヘタル処一遣司令官ハ右ハ従来ヨリ駐屯シ来レルモノナルカ列国側カ其ノ撤退ヲ希望スルニ於テハ直チニ之ヲ実行スヘキ旨声明セルヲ以テ右ノ次第ヲ不取敢、英、米、伊三国総領事ニ伝達シ置キタルカ之ニ対シ先任指揮官タル英国指揮官ヨリ日本紡績工場内ニアル日本人ハ責任ヲ以テ保護スヘク又該工場内ノ日本人ニシテ外出ノ必要アル場合ハ通知アレハ護衛スベキ旨通知アリタリ

因ニ受持区域外ノ我軍ハ四日引揚ヲ行フコトトナレルカ二月三日現在我陸戦隊ノ警備部署左ノ通リナリ

第一大隊、陸戦隊本部内

第二大隊、女学校

第三大隊、北部小学校

第四大隊、日本人俱楽部

同派出隊、日本電信局及月廼家「ガーデン」

常磐陸戦隊、中部小学校

大井陸戦隊、東部公大紡績

右ノ内第四大隊及電信局派出隊、常磐及大井陸戦隊ハ共同租界内ニテ他ハ「エキステンション」ニ在リ

三十九、各国軍ノ増派

時局ニ依ル各国軍増派状況大体左ノ通リ

(一)米国亜細亜艦隊旗艦「ヒューストン」ハ陸戦隊三百名登載駆逐艦三隻ヲ率ヒ三日午後三時到着又運送艦「ショーモント」ハ歩兵三十一連隊一千余名及海兵四百名登載馬尼刺ヨリ五日到着ノ筈右ニ依リ陸兵総数ハ三千二百名海軍陸戦隊計三千名在泊艦艇総数十七隻トナル由

[122] 昭和7年2月(9)日 在上海重光公使より芳沢外務大臣(電報)

上海事変調査委員会の第一次報告要領送付について

付記 二月六日付国際連盟上海調査委員会第一次報告

第一四九号(至急)

連盟発村井宛電報第二号ニ関シ本件報告「ハース」ヨリ入手セルニ付要領別電第一五〇号ノ通リ電報ス写ハ九日発上海丸ニテ送付済

(付記)

国際連盟上海委員会第一次報告(仮訳文)

一九三二年二月六日上海ニ於テ

上海及其付近ニ於ケル事件ヲ報告スヘク国際連盟事務総長ニ依ツテ任命セラレタル委員会ハ其独自ノ情報ヲ基礎トシテ下ノ如キ第一報告ヲ作成セリ本報告ハ個々ノ事実或ハ事実ノ敷衍ニ関シ将来補正ヲ要スルコトアルヘク又将来発生スヘキ事件ニ関スル報告ニ依リ続行セラルヘシ委員会ハ亜米利加合衆国総領事「カンニングハム」氏ノ協力ヲ得タリ本委員会ハ上海及其付近ニ於ケル事件ノ原因、事実及其発展ニ関シ報告スヘキコトヲ求メラレタリ

朝鮮事件ノ結果トシテ七月以来存在セル反日「ボイコット」ハ満州ノ占領ニ依リ激化セラレ且厳重ニ実行セラレ日本貿易ニ莫大ノ損害ヲ生セシメタリ「ボイコット」ハ各種支那人商業団体ニ依ッテ組織セラレタル反日「ボイコット」協会ニ依リ育成セラレタルモノニシテ商店捜索、日本貨ノ差押斯ル物品ヲ使用若ハ販売スル支那人ニ対スル罰金及監禁及其他不法行為ヲ含ムモノニシテ之等不法行為ニ対シテハ法廷ヲ通シ何等補償ヲ得ラレサリキ従テ深刻ナル敵愾ノ精神ハ支那人ニ対シテ醸成セラレタリ学生ノ示威運動及彼等ニ依ッテナサレタル対日宣戦布告ノ要求ハ対日支那人ノ感情ヲ激化セリ激烈ナル緊張ノ此事態ニ於テ暴行事件頻発セリ加フルニ日本人ヲ憤激セシメタル日本皇帝ニ対スル支那人ノ不敬記事アリ又耐フヘカラサル事態ヲ消滅セシメム為ニ直接行動ヲ採ル日本政府ニ対シ日本人ノ為セル要求ハ執拗トナリタリ

一月十八日日本人五名内若干名ハ仏教僧侶ナルカ閘北ニアル三友「タオル」工場前ヲ通行中支那人ニ襲撃セラレタリ襲撃者ノ若干ハ恐ラク最近組織セラレタル反日義勇団ノ団員ナルヘシ

支那警官ノ来ルコト余リニ遅カリシヲ以テ犯人捕縛スルヲ得サリキ日本人二名ハ重傷ヲ負ヒ内一名ハ僧侶ニシテ其後傷ノ為ニ死亡セリ

一月二十日日本青年自警団員約五十名ハ日本刀及棍棒ヲ携ヘ三友「タオル」工場ニ至リ建物ニ放火シ其帰路租界工部局警官ト衝突セリ支那人巡捕三名ハ負傷シ内一名ハ其後死亡セリ日本人三名ハ警官ノ為ニ射撃セラレ一名ハ其後死亡セリ

同日僧侶襲撃及日本皇帝ニ対スル新聞紙ノ不敬記事ニ対シ抗議ヲナス為日本居留民ノ大会ハ日本人俱楽部ニ開催セラレタリ会合ハ反日運動ノ完全ナル鎮圧ノ為軍艦及陸兵派遣方日本政府ニ求ムル決議ヲ採択セリ会衆ノ大半ハ右決議ヲ手交スル為先ツ日本総領事館ニ後海軍陸戦隊本部ニ赴クヘク出発セリ彼等ハ総領事ニ面会ノ後(総領事ハ彼等ニ対シ事件ヲ彼ノ手ニ残サレンコトヲ求メタリ)

海軍本部ニ行ク途中共同租界警察ト衝突セリ、英人部長補一名負傷セリ、日本官憲ハ遺憾ノ意ヲ表セリ、日本人七名ハ其ノ後日本官憲ニ自首シ日本国法律ニ従ヒ長崎ニ於テ裁判セラルヘク逮捕セラレタリ

同日午後日本総領事ハ一月十九日(一月十八日ノ誤ナルヘシ)発生セル事件ニ関シ左記要求ヲ大上海市長秘書長ニ提出セリ

(一)市長ノ正式謝罪

(二)犯人ノ即時捕縛

(三)慰藉料及治療代ノ支払

(四)排日運動ノ至急取締

(五)敵対感情反日暴動及擾乱ノ育成ニ当ル総テノ排日機関ノ即刻解散

一月二十一日朝大上海市長ハ日本総領事ニ対シ最初ノ三項ヲ考慮スルノ用意アルモ最後ノ二項ヲ応諾スルハ困難ナルヘキ旨ヲ通知セリ

同日後刻日本海軍司令官ハ新聞ニ大上海市長カ日本側ニ対シ満足ナル回答ヲ与へ遅滞ナク其ノ要求ヲ実行セサル場合司令官ハ日本帝国ノ権利及利益ヲ保護スル為適当ナル手段ヲ採ルヘク決心セル旨ヲ公表シ其写ハ村井総領事ヲ通シ租界当局及大上海市公安局ニ送付セラレタリ

(欄外注記1)

一月二十四日日本海軍増援隊ハ上海沖ニ到着セリ閘北ニ於ケル支那軍隊増援セラレツツアリトノ風評亦行ハレタリ同日日本総領事ハ大上海市長ニ対シ同答カ適当ナル時間内ニ到着セサルカ或ハ不満足ナルニ於テハ日本政府ハ事態ノ要求スルカ如キ行動ヲ採ルノ権利ヲ留保スル旨ヲ伝ヘタリ此ノ間ニ市長ハ衝突ヲ避クル為能フル限リノ譲歩ヲナス意向ヲ第三国人ニ表明セルカ反日会ヲ閉鎖シ又反日ナル語ハ口本人ニヨリ国民的侮辱ヲ意味スルモノナルヲ以テ他ノ団体ノ名称ヨリ除去スルコトニ同意セラレル様支那地方団体ノ指導者ノ説得ニ努力シツツアリタリ其ノ結果一月二十七日ヨリ二十八日ニ至ル夜間支那官憲ニ依リ抗日会ハ閉鎖セラレ各所ノ事務所ハ封鎖セラレタリ

(欄外注記2)

一月二十五日日本総領事ハ特定期限ヲ付セサルモ一月二十八日迄ニ全般的回答ヲ期待スル旨大上海市長ニ通知セリ

一月二十七日日本総領事ハ彼ノ要求ニ対シ満足ナル回答ヲ翌日午後六時迄ニ得サルヘカラス然ラサルトキハ日本側ハ右要求ヲ実行スルニ必要ナリト考フル如何ナル手段ヲモ採ルヘキ旨ヲ市長ニ通知セリ

一月二十八日午前七時半日本司令官ハ他国防備軍司令官ニ対シ何等満足ナル回答カ支那側ヨリ受領セラルルニ非サレハ翌朝ヲ期シテ行動ヲ採ルコトヲ提議スル旨通知セリ共同租界ノ市参事会ハ午前中ニ会合ヲ催シ戒厳状態カ午後四時ヨリ布告セラルヘキコトヲ決セリ此決定ハ市参事会自身ノ責任ニ依ッテ為サレタリ戒厳状態ノ布告ハ各国軍ノ司令官ニ対シ彼等カ其区域ヲ防備スル為準備セラル可ク期待セラルル旨ノ通知ノ効力ヲ有スルモノナリ

同日午後早々大上海市長ハ日本総領事ニ対シ日本側要求ヲ全然受諾セル回答ヲ手交セリ午後四時日本総領事ハ此回答受領ノ次第ヲ領事団ニ報告シ右回答ハ全ク満足ナルモノナリト云ヘリ彼ハ市長カ受諾セラレタル条件ヲ実行セシメ得ルヤ否ヤヲ見守ルコトカ残サレ居レリト付言シ併シ要求ハ既ニ大部分履行セラレ居リ現在ノ処何等行動ハ採ラレサルヘキ旨ヲ付言セリ外交上ノ事態ニ於ケル此変化ニモ拘ハラス日本海軍当局ハ何時ニテモ行動ヲ起スヘク決セリト一般ニ信セラレタリ支那側ハ其約束ヲ履行スル意向ナクシテ日本側ヲ襲撃スヘク準備シツツアリトノ煽動的声明カ日本側「プレス・ユニオン」通信ニ現レツツアリタリ又日本側要求ヲ市長カ受諾セルコトニ対シ支那民衆中ニ暴動起ルヘシト予想セラレタリ之等考慮ハ防備委員会ノ目ニハ戒厳状態ハ強行セラルヘキコト望マシキコトナリトセラレタリ依テ戒厳状態ハ午後四時ヨリ実行セラレタリ共同租界防備委員会ハ駐屯軍指揮官、上海市参事会議長、上海市警視総監及上海義勇軍指揮官ニ依リ組織セラレ先任駐屯軍指揮官ニ依ツテ主宰セラルルモノナルトコロ各指揮官ニ対シ其防備区域ニ於テ彼等カ採ルコトヲ予期セラルル個々ノ手段ニ対シテ命令ヲ与フル権限ヲ有ストハ認メラレ居ラサルコトニ注意スルヲ要ス租界防備委員会ハ単ニ区域ヲ分轄シ各国指揮官ニ依ッテ採ラルル行動ヲ同等ニ補佐シ防備ノ大綱ヲ定ムルモノナリ

(欄外注記3)

英国及米国軍隊ハ戒厳状態布告ノ後直チニ各自区域ヲ占拠スヘク出発シタリ伊太利軍隊ハ二十九日其区域ヲ占拠セリ日本区域ハ租界東北一帯ノ地域ヨリ成リ西ハ北河南路ニ依リ境セラレ又上海防備委員会ノ見解ニ依レハ租界外区域モ含ミ西ハ北江西路及呉淞鉄道線路ニ依リ北ハ虹口公園北境界線ニ依リ東ハ虹口公園東北端ト哈爾賓路警察署ヲ大体ニ於テ連ヌル線ニ於テ境セラル

虹口公園地方ニハ多数ノ日本人住居ス公園自体及北四川路及「ディクスウェル・ロード」ハ租界外ト雖モ上海市参事会ノ所有ニシテ通常市参事会ニ依ツテ警備セラル支那側当局ハ午後十一時事件発生ニ先立チ此租界外日本区域ニ関シ何等通報ヲ受ケサリシモノノ如シ、日本側ハ戒厳状態カ実行セラレタル時ニ於テハ租界外区域ヲ占拠スへキ何等ノ企図モナササリキ然レトモ日本海兵ハ常ニ其人民保護ノ為此区域ニ於ケル上記市道路ニ沿ヒテ駐紮所ヲ有シ其陸戦隊本部ハ此突端ノ終点ニ位スルトヲ理解スルヲ要ス

(欄外注記4)

午後十一時ニ於テ日本司令官ハ二個ノ宣言ヲ発布シ其写ハ市長ニ通達セラレタルモ市長ハ右宣言書ヲ午後十一時二十五分ニ受領セリト言明ス右宣言書ノ一ハ戒厳状態ニ言及シ帝国海軍ハ日本人民ノ多数居住セル閘北ニ於ケル事態ニ関シ極度ノ不安ヲ感セルヲ以テ其地方ニ於ケル法律及秩序ノ維持ノタメニ此ノ区域ニ軍隊ヲ派遣スルニ決定セリト云へリ之等ノ事態ニ於テ彼ハ支那当局カ閘北ニ在ル支那軍隊ヲ鉄道ノ西ニ速カニ引揚ケ此地方ニ於ケル凡テノ敵対防備ヲ撤去スルコトヲ希望セリ此ノ宣言ハ租界ニ於ケル秩序維持ノタメ日本側ニ与ヘラレタル地方ニ於テハ戒厳状態ニ関連セル予想セラルル義務ノ正当ナル遂行ノ為必要ト思考セラルルアラユル行動カ採ラルヘキ旨ヲ述ヘタリ

日本海軍及武装セル市民ハ海軍陸戦隊本部ニ於テ動員シ北四川路ヲ前進シ西方老靶子路ニ至リ北河南路迄進出シ、其間彼等ノ通過セル小路ノ入口毎ニ部隊ヲ残シ置キタリ而シテ夜半特定信号ノ下ニ此等部隊ハ全部鉄道ニ向テ北方及西方ニ前進セリ装甲車ヲ伴ヘル海兵約百名ヨリナル最終部隊ハ河南路終点ニ於テ支那地域ト租界トヲ区画スル門ヲ通過セントセルモ門ノ位置スル地域ニ在ル上海義勇団ノタメニ阻止セラレタリ該門ハ鉄道停車場ニ通ス

支那軍事当局ハ其軍隊ヲ撤退スヘキ日本司令官ノ要求ニ応セサリキ然シ乍ラ支那当局カ此要求ニ応セント決心セリトスルモ恐ラク該地方ニ於ケル支那軍隊ニ現実撤退ヲ手配スルコトハ短時間ニ於テ彼等ノ自由ニナシ得ルコトハ不可能ナリシナラント思ハル又日本海軍当局ニ依テ採ラレタル手段カ大ナル軍事行動ノ一部ヲナスモノナリト支那当局ヲシテ解スルニ至ラシムヘキ緊張モ亦数日来ノ事態ニ依テ醸成セラレタルコトヲ考慮スルヲ要ス日本海兵ハ続イテ支那正規兵ノ抵抗ニ遭遇セリ彼等ハ宝興路南部ノ鉄道線路迄ハ到達スルニ成功シタルカ該地点ノ南部ノ線路ニハ達スルニ至ラサリシモノノ如ク而シテ彼等ノ戦線ハ鉄道線路東ヲ走リ結局北河南路及北四川路間ノ租界境界線ニ至レリ日本側ハ停車場ヨリ出テ呉淞線ヲ巡警セル支那装甲列車ニ依テ悩マサレタリ其ノ後装甲列車ハ支那軍隊ニ依テ堅固ニ防備セラルル車場ニ逃避セリ此処ニ於テ一月二十九日日本側ハ飛行機ヲ以テ停車場ヲ爆撃シ装甲列車ヲ破壊セリ宝興路ニ沿ヘル他ノ建物モ焼夷爆弾ニ依リ放火セラレタリ然シテ右ハ日本側戦線ヲ瞰下スル有利地点ヲ破壊スヘク慎重ニナサレタリト一般ニ信セラル死傷者ハ判明セサルモ多数ノ死者ヲ出セリト信セラル

(欄外注記5)

(欄外注記6)

(欄外注記7)

大上海市長ハ日本側行動ニ対スル抗議ヲ領事団ニ提起セリ日本当局ハ其行動ハ彼等ノナシ而シテ受諾セラレタル要求ニ関連セルモノニ非ラスシテ彼等カ占拠セルコトニ決セル地域ノ一部ニ住居スル日本人民ノ保護ノ必要ニ基クモノナリト主張セリ彼等ハ又彼等ノ行動(右ハ武力抵抗ニ遭遇シ而シテ其行動ニ際シテハ彼等ハ充分ナル責任ヲ取レリ)ハ共同租界防備計画ニ依リ必要ノ生セル場合ニ許容セラレタル限度内ニ在ルコトヲ主張セリ戦闘ハ二十九日ノ大部分中継続セラレタリ二十九日午後大上海市長ノ要求ニ因リ英国及米国総領事ハ停戦ヲ取極ムルニ成功セリ右停戦ハ二十九日午後八時ヨリ開始セリ本休戦ハ此ノ上発砲スルコトヲ差控フル協定ナリ

(欄外注記8)

一月三十一日日本総領事日本海軍司令官大上海市長及支那地方軍隊指揮官ニ依テ開催セラレタル会合ニ於テ米及英国総領事立合ノ上日本総領事ハ日本軍隊カ其突端ヨリ撤退セラルヘキ提案ヲ政府ニ報告スヘキコトカ協定セラレタリ其回答カ好マシカラサルモノナリトスルモ支那側ハ政府ニ通報スヘク而シテ最終回答カ到達スル迄彼等ハ最初ニ発砲セラルルニアラサレハ発砲セサルヘキコトヲ協定セリ

「チアノ」議長(署名)

(欄外注記1)海軍 「必要ナル手段」トハ我方ニテ抗日会ヲ閉鎖スル等ノ手段ヲ採ルコトヲ意味シ支那攻撃スルノ意ニアラス

(欄外注記2)海軍 抗日会本部ヲ閉鎖セルハ工部局カ自発的ニ断行セルモノナリ

(欄外注記3)日本側ノ後レシハ北四川路付近ノ閘北避難民ノ雑沓鎮マラサリシ為日本ノ警備区域カ支那軍ノ防備陣地ニ近キ為支那側ニ(脱文)等ノ為遅ル

(欄外注記4)海軍 午後八時三十分ヲ正トス村井総領事ハ午後六時十五分要求承認回答ニ対スル付帯条件トシテ支那軍隊ノ撤退ヲ呉市長ニ申入レタリ

(欄外注記5)海軍 上述ノ如ク相当ノ時間アリシモノニシテ支那側ニシテ抗戦ノ意ナクハ事件ヲ避クル事可能ナリシ也

二十九日午前零時陸戦隊本部ヲ出テタル部隊ハ門前ニ於テ直ニ向側ノ家ヨリ便衣隊ニ狙撃セラル待伏ノ証拠ナリ

(欄外注記6)海軍 凡テ支那軍ノ陣地構築等ノ為ナリ責ハ支那側ニ帰ス

(欄外注記7)海軍 停車場ヲ攻撃セルニアラス停車場ニ占拠セル部兵及装甲列車ヲ襲撃セルナリ

宝興路ノ建物ニハ部兵三千アリ

同館ニハ部兵二千アリ

(欄外注記8)海軍 呉市長カ我要求ヲ承認セル結果僧侶事件ハ一段落トナリ支那軍トノ衝突ト僧侶事件トハ全然別ナリ

[138] 昭和7年2月13日 在上海重光公使より芳沢外務大臣宛(電報)

連盟上海調査委員会第二次報告中の事実に反する点について

付記 二月十二日付右第二次報告

上海 2月13日後発

本省 2月14日後着

第一八六号(暗、極秘)

本使発連盟宛電報

第八号

調査委員第二回報告書草案ヲ関係者ヨリ極秘ニ一覧シタル処(当方ニテ内覧シタル事ハ極秘トセラレ度シ)左ノ諸点ハ事実ニ反スト認メラレタルニ付当方ニ於テ関係者ノ注意ヲ喚起シ置キタルカ右ハ既ニ発電済ナルヤノ聞込モアルニ付報告書披露アリタル際ハ貴方ニ於テ左ノ趣旨ニ依リ必要ノ説明ヲ加フル様御配慮アリ度シ

一、「日本側カ常ニ攻勢ヲ執リツツアリ」トノ句アルモ御承知ノ通リ日本軍ハ支那側ヨリ攻勢アリタル場合ニ之ニ反撃シ居ル過キス

二、「停戦違反ノ責ハ日支何レカノ側ニ於ケル私人団体又ハ煽動者カ負フヘキモノナルヤモ知レス」トアルモ我方ニ於テハ支那軍ト接触スル如キ地点ニハ私人ノ進出シ居ルモノナキヲ以テ我方ノ私人又ハ煽動者ニ依ル違反行為ハ之ヲ想像スルヲ得ス

三、「日本側ハ在郷軍人ヲ動員シ武装セシメ」トアル処右ハ動員ト云フカ如キ大袈裟ノモノニ非ス事変勃発当時少数ノ有志ノモノヲ使用シ之ニ護身用ノ拳銃、小銃等(便衣隊ノ危険ニ備フル為)ヲ持タシメタルニ過キスシテ之等ハ事変後数日ニシテ全部之ヲ廃止シ(武器ヲ返サシメ)今日ニ於テハ通訳、案内等ノ為少数ノ在郷軍人等ヲ使用シ居ルノミ

四、日本軍ハ便衣隊ヲ追ヒテ其ノ潜伏家屋ヲ捜索スル事ハアルモ報告書ニ云フカ如ク大規模ニ一軒々々ニ家宅捜索ヲ為シタル次第ニ非ス又便衣隊ヲ退シムルカ為家屋ニ放火セルカ如キ事無シ尚「工部局ノ作用ヲ停止セシメタリ」トアル処事件発生当時混乱ト工部局巡捕ノ逃亡等ニ依リ一時其ノ作用カ実際上停止状態ニアリタル事ハ事実ナルモ日本側ハ其ノ復活ヲ最希望シ常ニ之カ為協力シ来リ之亦事変後数日ニシテ殆ト常態ニ復セリ(今日ハ唯便衣隊ニ対スル手当ノ為少数ノ哨兵及「パトロル」ヲ置クノミ)特ニ消防隊ニ関シテハ租界及拡張道路内ハ勿論租界隣接地域ノ火災ニ対シテモ日本側ハ工部局消防隊ニ対シ緊急ノ措置トシテ出動ヲ求メ(平時ハ工部局消防隊ハ租界及拡張道路外ニ出動セス)消火ニ協力セリ其ノ他ニモ工部局ノ活動ノ復活ニ対シテハ出来得ル限リ尽力シ居レリ

事件当初工部局巡捕カ姿ヲ潜メタルハ支那側ノ砲撃、便衣隊ノ活動及之ニ対スル我方ノ応射ニ依リ危険ヲ感シタル結果ナルヘク又工部局病院等ノ撤退モ同様ノ理由ニ基クヘク日本側ニテ之等ニ何等妨害ヲ加ヘタルカ如キコト素ヨリ無シ(我方ニテ事件当初ノ混乱状態ノ際誤解ニ基キ少数支那人巡捕ノ武装ヲ解除シタルコトアルモ右ハ全クノ過失ナリ)

又「日本海軍、在郷軍人及roughsカ越軌ノ行動ヲ為シタルコト多々アリ」トアルモ海軍側及在郷軍人ニハ斯ル行為ヲ為シタルモノナシ所謂浪人連ニハ相当乱暴ナル行為アリタル事ハ之ヲ認ムルモ之等ハ既ニ総領事館ニ於テ拘禁中ナリ(過激ナル者六名、在留ヲ禁止シ日本ニ送還ス又支那人ニ故無ク暴行シタルモノ等モ夫々法ニ依リ処分ノ筈)

五、便衣隊引渡シニ対シ「行衛不明者尚二七〇アリ」ト言フモ右ハ支那人ノコトナレハ逸早ク逃レ其ノ所在判明セサル次第ナルヘシ仮ニ真ニ行衛不明ナリトスルモ之等ヲ日本側ニ於テ殺傷シ又ハ密ニ拘禁シ居ルカ如ク推測セラルヘキニアラス

土ヲ除キ在欧各大使ニ転電アリ度シ

大臣、米へ転電セリ

(付記)

国際連盟上海調査委員会第二次報告

(昭和七年二月十二日)

『(上海五参照)午前六時二十分頃ヨリ我軍ニ対シ攻撃開始我軍ハ一時(脱文)セリ而シテ英米両総領事ハ既ニ支那側ノ砲撃警告方総領事ノ申入ヲ呉市長ニ伝ヘタルニ呉市長ハ尽力スヘキ旨答ヘタル由(五二号参照)加之三十日午前三時砲弾三箇邦人住宅地ニ落下ス(五六ノ五)』1

一月二十九日午後八時ニ至リ即チ協定停戦時刻到来以後発砲ハ次第ニ終熄セルモ日本海軍司令官ハ翌日英米両国総領事ニ対シ北停車場ニ在ル支那軍装甲列車カ再ヒ砲火ヲ開ケリト抗議シ(呉市長ニモ通告セリ)支那側ハ之ヲ否定シ発砲セルハ日本軍ナリト申立テタリ

(欄外注記1)

一月三十一日午前日本飛行機十七台ハ上海及支那軍陣地上ヲ飛翔セルモ爆撃ヲ行ハス日本海軍当局ハ右示威行動ヲ以テ支那軍ニ於テ再ヒ停戦協定ニ違反セルニ依リ行ハレタルモノナリト主張シ支那側ハ熱心ニ右破約ヲ否定セリ同日同委員会第一次報告末項ニ言及セル会合催サレ中立地帯案提出セラレタルカ日支双方ヨリノ最終的回答アル迄停戦ヲ継続スヘキコトニ意見一致セリ

(欄外注記2)

二月一日散漫ナル発砲多少再ヒ行ハレシモ停戦ハ相当遵守セラレタリ(上海一八〇号前半参照)英米総領事共同租界ニモ支那側停戦方申入ル

二月二日日本海軍司令官ハ支那側カ前日停戦ノ約ニ背ケル旨再ヒ主張シ尚ホ支那側カ日本軍ヲ包囲スル目的ヲ以テ其兵力ヲ増加シツツアルコト明白ナルカ如キヲ以テ飛行機ヲシテ偵察セシメントシ居ル旨付言セリ(二日午前五時声明上海一九七号参照、総領事ヨリモ市長、英、米、仏、(脱文)ヲ通報ス)同日正午頃日本軍飛行機ハ上海及支那軍陣地上空ヲ飛翔シタルカ支那側ヨリ射撃セラレタルヲ以テ閘北ニ爆弾ヲ投下シ間モナクシテ日支双方ヨリノ全般的撃チ合ヒ再開セラレタリ三時頃(即チ交戦再開後)日本総領事ハ列国領事ニ対シ日本政府ハ前記中立地帯案ヲ拒絶セル旨通告セリ

(欄外注記3)

同日上海市長ハ一月三十一日、会合ニテ成立セル停戦ニ関スル協定ニ言及シ日本側カ支那軍ヲ攻撃シ殊ニ前項ニ述ヘタル如ク爆撃ヲ行ヒ繰返シ右協定ニ違背セル旨述ヘタル書翰ヲ列国領事ニ送付セリ(右書翰ハ二月三日接受セラル)二月三日日本海軍当局ハ支那側当局カ協定実行ニ関シ終始一貫誠意ヲ示スコト能ハサリシヲ以テ支那軍隊ハ閘北ヨリ充分ナル距離ニ撤退セシメラレサルヘカラス右目的貫徹ノ為ニハ日本軍飛行機ハ支那軍陣地ヲ爆撃スルノ已ムヲ得サルニ至ルコトアルヘキ旨声明セリ其ノ後日本総領事ハ列国領事ニ対シ日本駆逐艦三隻ハ呉淞砲台ヨリ砲撃セラレタル旨並日本側ハ従テ右砲台占領ノ意向アル旨通告セルカ支那側ハ再ヒ右砲撃ノ事実ヲ否認セリ

(欄外注記4)

二月三日以降最早停戦ナル体裁ヲ捏フコトハ抛棄セラレ公然タル交戦状態ニアリ砲戦ハ閘北及呉淞両地方ニ於テ野砲ヲ使用シ断続的ニ引続キ行ハレ日本側ハ空中爆撃ヲ行ヒ居レリ攻勢ハ全然呉淞砲台ノ占領及上海ヨリ余程ノ距離ニ支那軍ヲ排除スルコトヲ以テ公然其目的トナス日本側ノ手ニ存ス

(欄外注記5)

停戦協定違反問題ニ関連シ未タ嘗テ完全ナル停戦ナルモノハ実際ニ存在シタルコトナキ旨及戦線ニ外人視察者カ居ラサリシ為メ何レノ側カ停戦違反ノ責ヲ負フヘキヤヲ確定スルコト不可能ナル旨掲記セサルヘカラス日支何レカノ側ニ於ケル私人団体又ハ「煽動者」カ右責任ヲ負フヘキモノナルヤモ知レス

(欄外注記6)

前線両国正規軍間ニ於ケル戦闘行為再開ノ問題ハ別トシテ上記期間内ニ共同租界内日本区域ニ於テ発生シタル事実ヲ簡単ニ想起スルノ要アリ右事実ハ共同租界ノ地位ヨリ見レハ国際的ニ重要ナリ

(欄外注記7)

一月二十八日夜ノ日本側行動ノ開始当初ヨリ共同租界内日本区域ニハ支那便衣隊侵入シ屋内又ハ屋根ノ上ニ身ヲ隠シ自動拳銃ヲ以テ日本側ノ市街巡邏兵ヲ狙撃セリ日本側ハ其駐屯区域防備ニ充分ナル正規兵力ヲ有セサリシカ如ク所謂在郷軍人全員ヲ動員シ武装セシメタルコトヲ指摘セサルヘカラス右在郷軍人ハ平服ヲ着シ腕章ニ依リテ他ト識別セラレタリ

陸戦隊及在郷軍人ハ支那便衣隊ノ狙撃ニ機関銃ヲ以テ応戦シ又便衣隊員ノ所在ヲ突キトムル為メ戸別的屋内捜査ヲ行ヒタルカ其ノ際家屋ニ多大損害ヲ与へ便衣隊員ヲ引戸外ニ逐出ス為ニ放火ヲサヘ為シタリ日本海軍当局ハ街路ニ往来止ヲ設ケ工部局警察官ノ武装解除ヲ行ヒ消防隊ヲモ含ム其ノ他一切ノ共同租界工部局ノ活動ヲ無力ニ帰セシメタリ巡警派駐所ハ其本部ト一切通信ヲスルヲ得ス工部局ハ学校及病院ヲ引払ハサルヲ得サリキ陸戦隊在郷軍人及壮士ハ即決処刑ヲ含ム多クノ暴行ヲ行ヒタルカ壮士ハ何等公ノ資格ナク多分支那側初期ノ反日運動ニ対スル単ナル復讐心ニ促カサレ斯カル行動ニ出テタルモノノ如シ其結果トシテ恐怖時代ノ現出ヲ見同地方ノ日本人以外ノ殆ト全部ノ外人ハ他ニ避難セリ

日本側ニ逮捕セラレ又ハ殺害セラレタリト信セラレ其ノ行方不明ナル支那人ノ数多キニ鑑ミ二月五日工部局ハ領事団ニ対シ調査ノ為メ日本当局ト交渉センコトヲ求メタルカ日本総領事ハ人心昂奮シ混乱状態汎ク存スル時期ニ際シ日本人カ暴行ニ出テタルモ事態ハ著シク改善セルコトヲ是認シ日本海軍当局カ被嫌疑者トシテ共同租界内ニ於テ逮捕セル者凡テ共同租界工部局ニ引渡スヘキ旨同意セリ右引渡ハ其ノ後実行セラレタルカ今猶ホ行方不明ナル支那人ハ甚タ多数ナリ租界工部局巡警ハ既ニ約三百ノ事例ニ付詳細ナル事実ヲ蒐集セリ便衣隊ノ狙撃ハ今ヤ著シク減少シタルモ日本側ノ監視ハ依然厳重ニシテ警察及其他ノ工部局側ノ機能ノ恢復ハ頗ル遅々タリ日本側当局ハ日本ノ行ヘル暴行ニ関シ痛心シ望マシカラサル者数名日本ニ送還セラレタリ

委員会ハ従来ノ陳述ノ訂正ヲ必要トスルカ如キ新シキ情報ヲ入手スル迄又ハ第一次及第二次報告記述中ノ特定事項ヲ敷衍シ又ハ之ニ付加スルヲ必要トスル迄更ニ報告ヲ送付スルコトヲ差当リ発議セス

(欄外注記1)海軍 支那側ノ詭弁

前夜来別働隊便衣隊約二十日本軍警備区域ヲ擾乱セシメ翌早朝支那軍隊発砲セルハ他ニ証人無シトスルモ支那軍隊ガ従来不法射撃ヲ行ヘルニ鑑ミ疑ヲ抱ク余地ナシ

(欄外注記2)海軍 飛行ハ示威ノミニアラス支那側カ軍隊ヲ集中シツツアル情報ニ基キ自衛的見地ヨリ必要ナル偵察ヲ行ヘリ故ニ爆弾ヲ携行セシメサリキ

三十一日夜ヨリ便衣隊ノ活動甚シ軍隊之ニ応シ銃砲射撃ヲナス

(欄外注記3)海軍 詭弁ナリ

支那ヲ相手ニ交渉シタル外交官ノ経験ヲキケバ直ニ分ルコトナリ

(欄外注記4)海軍 三日午前十一時半砲撃シ之ヲ反撃ス日本側ハ元ヨリ砲撃ノ意志ナク既ニ支那海軍トハ友好関係ニアリ既ニ我ヲ砲撃セル以上其除マムハ必要ナリ

(欄外注記5)海軍 我方ハ敵掃湯ノ要ヲ認メシモ常ニ攻勢ヲトリシニハアラス

(欄外注記6)海軍 規律アル帝国陸戦隊ト十九路軍トヲ同一ニ取扱フハ我海軍ニ対スル侮辱ナリ

支那軍ト接触地点ニ私人ノ進出シアル者ナク煽動者ノ違反行動モ従テアリ得ス

(欄外注記7)歩哨ノミナラス日本人ト見レハ行人ヲモ狙撃セリ

在郷軍人約百ハ地理案内及通訳又ハ土嚢運搬負傷者運搬ニ使用戦闘行為又ハ警備行為ヲ行フ拳銃ハ便衣隊ニ対スル自衛ノ為ノミ

便衣隊ハ敵ニシテ現行犯ハ之ヲ攻撃セリ

逃亡又ハ潜伏ノ際ニ必要限度ニ行ヘリ

必要ナル防禦施設ヲスルハ当然ナリ一九二七年ノ時ハ更ニ甚シ

右ハ事実ノ全部ニアラス大部ノ理由ハ支那便衣隊ノ(脱文)及支那側ノ砲撃並ニ支那新聞紙其他ノ流布セル謡言ニ因ル

支那人巡捕ヨリ成ル警察ガ支那便衣隊ノ取締徹底セサルニ依リ自衛上厳重ニスルハ当然ナリ

[341] 昭和7年5月5日

上海停戦協定

上海停戦協定

昭和七年(一九三二年)五月五日上海ニ於テ調印

第一条

日本国及中国ノ当局ハ既ニ戦闘中止ヲ命令シタルニ依リ昭和七年五月五日ヨリ停戦ガ確定セラルルコト合意セラル双方ノ軍ハ其ノ統制ノ及ブ限リ一切ノ且有ラユル形式ノ敵対行為ヲ上海ノ周囲ニ於テ停止スベシ停戦ニ関シ疑ヲ生ズルトキハ右ニ関スル事態ハ参加友好国人代表者ニ依リ確メラルベシ

第二条

中国軍隊ハ本協定ニ依リ取扱ハルル地域ニ於ケル正常状態ノ回復後ニ於テ追テ取極アル迄其ノ現駐地点ニ止マルベシ

前記地点ハ本協定第一付属書ニ掲記セラル

第三条

日本国軍隊ハ昭和七年一月二十八日、事件前ニ於ケルガ如ク共同租界及虹口方面ニ於ケル租界外拡張道路ニ撤収スベシ尤モ収容セラルベキ日本国軍隊ノ数ニ鑑ミ若干ハ前記地域ニ隣接セル地方ニ当分ノ間駐屯セシメラルベキモノトス前記地方ハ本協定第二付属書ニ掲記セラル

第四条

相互ノ撤収ヲ認証スル為参加友好国ヲ代表スル委員ヲ含ム共同委員会ヲ設置スベシ右委員会ハ又撤収日本国軍ヨリ交代中国警察へノ引継ノ取運ニ協力スベク右中国警察ハ日本国軍ノ撤収スルトキ直ニ引継ヲ受クベシ右委員会ノ構成及手続ハ本協定第三付属書ノ定ムル通ナルベシ

第五条

本協定ハ其ノ署名ノ日ヨリ実施セラルベシ

本協定ハ日本語、中国語及英吉利語ヲ以テ作成セラル意義ニ関スル疑又ハ日本語、中国語及英吉利語ノ本文ノ間ニ意義相違アルトキハ英吉利語ノ本文ニ拠ルベシ

昭和七年五月五日上海ニ於テ之ヲ作成ス

陸軍中将 植田謙吉(署名)

特命全権公使 重光葵(署名)

海軍少将 嶋田繁太郎(署名)

陸軍少将 田代皖一郎(署名)

外交次長 郭泰祺(署名)

陸軍中将 戴戟(署名)

陸軍中将 黄強(署名)

 同席者トシテ

昭和七年三月四日ノ国際連盟総会決議ニ従ヒ商議ニ助力スル友好国代表者

中国駐箚英国公使「サー、マイルズ、ウェッダーバーン、ランプスン」

中国駐箚米国公使「ネルスン、トルースラー、ジヨンスン」

中国駐箚仏国公使「アンリー、オーギュスト、ウィルダン」

中国駐箚伊国代理公使伯爵「ジェー、チアノ、デイ、コルテラッツォー」

SHANGHAI TRUCE AGREEMENT.

Signed at Shanghai, May 5, 1932.

ARTICLE 1.

The Japanese and Chinese authorities having already orderd the cease fire, it is agreed that the cessation of hostilities is rendered definite as from May 5th, 1932. The forces of the two sides will so far as lies in their control cease around Shanghai all and every form of hostile act. In the event of doubts arising in regard to the cessation of hostilities, the situation in this respect will be ascertained by the representatives of the participating friendly Powers.

ARTICLE 2.

The Chinese troops will remain in their present positions pending later arrangements upon the reestablishment of normal conditions in the areas dealt with by this Agreement. The aforesaid positions are indicated in Annex I to this Agreement.

ARTICLE 3.

The Japanese troops will withdraw to the International Settlement and the extra-Settlement roads in the Hongkew district as before the incident of January 28th, 1932. It is, however, understood that, in view of the numbers of Japanese troops to be accommodated, some will have to be temporarily stationed in localities adjacent to the above mentioned areas. The aforesaid localities are indicated in Annex II to this Agreement.

ARTICLE 4.

A Joint Commission, including members representing the participating friendly Powers, will be established to certify the mutual withdrawal. This Commission will also collaborate in arranging for the transfer from the evacuating Japanese forces to the incoming Chinese police, who will take over as soon as the Japanese forces withdraw. The constitution and procedure of this Commission will be as defined in Annex III to this Agreement.

ARTICLE 5.

The present Agreement shall come into force on the day of signature thereof.

The present Agreement is made in the Japanese and Chinese and English languages. In the event of there being any doubts as to the meaning or any differences of meaning between the Japanese and Chinese and English texts, the English text shall be authoritative.

Done at Shanghai, this fifth day of May, nineteen hundred and thirty two.

(Signed) K. Uyeda, Lieutenant-General.

(Signed) M. Shigemitsu, Envoy Extraordinary and Minister Plenipotentiary.

(Signed) S. Shimada, Rear-Admiral.

(Signed) K. Tashiro, Major-General.

(Signed) Quo Tai-chi, Vice-Minister for Foreign Affairs.

(Signed) 戴载 Lieutenant-General.

(Signed) 黄強 Lieutenant-General.

In the presence of:

(Signed) Miles W. Lampson, H.B.M. Minister in China.

(Signed) Nelson Trusler Johnson, American Minister in China.

(Signed) Wilden, Ministre de France en Chine.

(Signed) Galeazzo Ciano, Chargé d’Affaires for Italy in China.

Representatives of the friendly Powers assisting in the negotiations in accordance with the Resolution of the Assembly of the League of Nations of March 4th, 1932.

第一付属書

本協定第二条ニ定ムル中国軍隊ノ地点左ノ如シ

付属縮尺十五万分一郵政地図上海地方参照

安亭鎮ノ正南方蘇州河上ノ一点ヨリ北方安亭鎮ノ直グ東方ノ「クリーク」ノ西岸ニ沿ヒ望仙橋ニ至リ、次デ北方ニ「クリーク」ヲ越エ沙頭ノ東方四キロメートルノ一点ニ至リ、次デ西北方揚子江上ノ滸浦口ニ至リ且之ヲ含ム

右ニ関シ疑ヲ生ズルトキハ問題ノ地点ハ共同委員会ノ請求ニ依リ共同委員会ノ委員タル参加友好国ノ代表者ニ依リ確メラルベシ

(地図省略)

ANNEX I.

The following are the positions of the Chinese troops as provided in Article 2 of this Agreement.

Reference the attached Postal Map of the Shanghai District scale 1/150,000.

From a point on the Soochow creek due south of Anting village north along the west bank of a creek immediately east of Anting village to Wang-hsien-ch’iao, thence north across a creek to a point four kilometres east of Shatow, and thence north-west up to and including Hu-pei-k’ou on the Yangtze River.

In the event of doubts arising in regard thereto, the positions in question will, upon the request of the Joint Commission, be ascertained by the representatives of the participating friendly Powers, members of the Joint Commission.

第二付属書

本協定第三条ニ定ムル地方左ノ如シ

前記地方ハ甲、乙、丙及丁ト標記セル付属地図ニ区画セラル右ハ第一、第二、第三及第四地域トシテ引用ス

第一地域ハ「甲」地図ニ示サル(一)本地域ハ呉淞鎮ヲ除外スルコト(二)日本国側ハ淞滬鉄道又ハ其ノ工場ノ運用ニ干渉セザルベキコト合意セラル

第二地域ハ「乙」地図ニ示サル国際競馬場ノ北東方約一哩ニ当ル中国人墓地ハ日本国軍隊ニ依リ使用セラルベキ地域ヨリ除外セラルルコト合意セラル

第三地域ハ「丙」地図ニ示サル本地域ハ曹家寨及三友織布工場ヲ除外スルコト合意セラル

第四地域ハ「丁」地図ニ示サル使用セラルベキ地域ハ日本人墓地及之ニ至ル東方ノ通路ヲ含ムト合意セラル

右ニ関シ疑ヲ生ズルトキハ問題ノ地方ハ共同委員会ノ請求ニ依リ共同委員会ノ委員タル参加友好国ノ代表者ニ依リ確メラルベシ

右ニ示サルル地方へノ日本国軍隊ノ撤収ハ本協定ノ実施ヨリ一週間以内ニ開始セラルベク且撤収開始ヨリ四週間内ニ完了セラルベシ

第四条ニ依リ設置セラルベキ共同委員会ハ撤収ノ際引揚ゲ得ザル患者又ハ傷病動物ノ看護及其ノ後ノ引揚ニ付必要ナル措置ヲ講ズベシ右患者又ハ傷病動物ハ必要ナル衛生人員ト共ニ之ヲ其ノ現在地点ニ残置スルコトヲ得中国当局ハ右ニ対シ保護ヲ与フベシ

(地図省略)

ANNEX II.

The following are the localities as provided in Article3 of this Agreement.

The aforesaid localities are outlined on the attached maps marked A., B., C. and D. They are referred to as areas 1, 2, 3 and 4.

Area 1 is shown on Map “A”. It is agreed (i) that this area excludes Woosung Village; (ii) that the Japanese will not interfere with the operation of the Shanghai-Woosung Railway or its workshops.

Area 2 is shown on Map “B”. It is agreed that the Chinese cemetery about one mile more or less to the Northeast of the International race track is excluded from the area to be used by the Japanese troops.

Area 3 is shown on Map “C”. It is agreed that this area excludes the Chinese village Ts’ao Chia Chai and the Sanyu Cloth Factory.

Area 4 is shown on Map “D”. It is agreed that the area to be used includes the Japanese cemetery and eastward approaches thereto.

In the event of doubts arising in regard thereto, the localities in question will, upon the request of the Joint Commission, be ascertained by the representatives of the participating friendly Powers, members of the Joint Commission.

The withdrawal of the Japanese troops to the localities indicated above will be commenced within one week of the coming into force of the Agreement and will be completed in four weeks from the commencement of the withdrawal.

The Joint Commission to be established under Article 4 will make any necessary arrangements for the care and subsequent evacuation of any invalids or injured animals that cannot be withdrawn at the time of the evacuation. These may be detained at their positions together with the necessary medical personnel. The Chinese authorities will give protection to the above.

第三付属書

共同委員会ハ十二名ノ委員即チ日本国及中国ノ政府並ニ三月四日ノ国際連盟総会決議ニ従ヒ商議ニ助力スル友好国ノ代表者タル米国、英国、仏国及伊国ノ中国駐箚外交代表者ノ各ノ代表者タル文官及武官各一名ヲ以テ構成セラルベシ

共同委員会ノ委員ハ其ノ随時必要ト認ムル数ノ補助員ヲ委員会ノ決定ニ従ヒ使用スベシ手続ニ関スル一切ノ事項ハ委員会ノ裁量ニ委ネラルベク、委員会ノ決定ハ多数決ニ依リテ為サルベク、議長ハ決定投票権ヲ有スベシ議長ハ委員会ニ依リ参加友好国ヲ代表スル委員中ヨリ選出セラルベシ

委員会ハ其ノ決定ニ従ヒ其ノ最良ト認ムル方法ニ依リ本協定第一条、第二条及第三条ノ実行ヲ看守スベク且前記三条ノ何レカノ規定ノ実行ノ懈怠ニ対シ注意ヲ喚起スルノ権限ヲ有ス

ANNEX III.

The Joint Commission will be composed of 12 members, namely one civilian and one military representative of each of the following: the Japanese and Chinese Governments, and the American, British, French and Italian Heads of Mission in China, being the representatives of the friendly Powers assisting in the negotiations in accordance with the Resolution of the Assembly of the League of Nations of March 4th. The members of the Joint Commission will employ such numbers of assistants as they may from time to time find necessary in accordance with the decisions of the Commission. All matters of procedure will be left to the discretion of the Commission, whose decisions will be taken by majority vote, the Chairman having a casting vote. The Chairman will be elected by the Commission from amongst the members representing the participating friendly Powers.

The Commission will in accordance with its decisions watch in such manner as it deems best the carrying out of Articles 1, 2 and 3 of this Agreement, and is authorised to call attention to any neglect in the carrying out of the provisions of any of the three Articles mentioned above.

  1. 編注 この部分は筆者不明とのこと []