資料
リットン報告書
「リットン報告書全文」(国立国会図書館書誌ID 000000849043)
国際聯盟支那調査委員会編、外務省訳、1932年10月15日朝日新聞社発行
第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 > 第三節 満洲に於ける日支鉄道問題
第三節 満洲に於ける日支鉄道問題
満洲の国際的政策は主として鉄道政策
四分の一世紀間、満洲に於ける国際政戦は、主として鉄道政戦なりき。純粋なる経済上及鉄道運輸上の性質に付ての考量は国策の命ずるが儘に無視せられ満洲諸鉄道は、同地方の経済的発展の為、其の全能力を発揮したりと云ふこと能はざるの結果を来せり。吾人の満洲鉄道問題研究が示す所に依れば、満洲においては包括的にして相互に有益なる鉄道計画を達成せんとする協力は支那及日本の鉄道の建設当事者及官憲間には殆ど皆無なりき。鉄道拡張が主として経済的考量に依り決定せられたる西部加奈陀及「アルゼンチン」の如き地方に於ける鉄道の発達に反し、満洲に於ける鉄道の発達の歴史は主として日支両国間の拮抗問題に終始せり。従来満洲に建設せられたる重要なる鉄道にして支那及日本は他の利害関係を有する外国間の公文交換を伴はざるものなし。
南満洲鉄道は満洲に於ける日本の「特殊使命」を遂行せり
満洲に於ける鉄道の建設は、露西亜が投資及び支配下に在りたる東支鉄道を以て始まり、日露戦争後南部に於ては日本の管理する組織即ち南満洲鉄道之に代り斯して支那日本間の将来の対抗を必然ならしむるに至れり。南満洲鉄道会社は名義上私営会社なりと雖も、事実上においては日本政府の企業なり。其の職能は、単なる鉄道の経営のみに非ずして、政治的行政の特殊権能をも包含す。会社設立の当時より、日本人は同鉄道を純なる経済的企業として見たることなし。同社の初代社長たりし故後藤子爵は、南満洲鉄道は満洲に於ける日本の「特殊使命」を果さざるべからずとの基礎的原則を定めたり。南満洲鉄道網は発達して、能率高き良く管理されたる鉄道企業と成り、満洲の経済的発展に大に貢献すると共に、支那人に対し学校、研究所、図書館及農事試験所の如き鉄道以外の諸施設に付模範を示す所ありき。然れ共会社は其の政治的性質、日本に於ける政党政治との連繋及び何等相応せる財政的利得を期待し得ざる或種の大なる支出の為に生ずる制限及び積極的障碍を免れざりき。右鉄道会社の組織以来、其の政策は其の鉄道線に連絡せらるるが如き支那鉄道の建設に対してのみ資本を供給し、斯くして、直通運輸協定の手段に依り、貨物の大部分を租借地内大連に於ける海運輸出の為南満洲鉄道に転向せしめんとするにありき。此の種鉄道の投資に巨額の支出ありたるが、其の建設は或る場合に於ては、純粋の経済的根拠に照らし妥当なりと為し得べきやは疑問なり。殊に与へられたる大なる資本の前貸及包含せられたる貸付条件に鑑み然りとす。
支那国土に南満洲鉄道の如き外国管理の施設存在することは、自然支那官憲に依り嫌悪せられ、条約及び協定に依る権利及び特権に関する問題は、日露戦争以来常に発生せり。特に、一九二四年満洲に於ける支那官憲が、鉄道発達の重要なるを認むるに至り、日本の資本より独立せる自身の鉄道を発達せしめんとことを企図したる後に於ては右問題は一層危機を孕むに至れり。本問題には経済的及び軍事的考慮の両者包含せられたり。例へば打虎山―通遼線は、新地域を開発し且北京―奉天鉄道の収入を増加せんが為、計画せられたる次第なるが、一方一九二五年十二月の郭松齢謀叛は、独立に所有せられ運用せれるる支那鉄道の有することあるべき軍事的及び政治的価値を示す所ありき。日本の独占を覆し其の将来の発達を妨害せんとする支那の試みは、南京政府の政治的勢力が満洲に及ぶの時期以前より存せし所にして、例へば打虎山―通遼、奉天―海龍城及呼蘭―海倫の諸鉄道は張作霖将軍の時代に建設せられたるものなり。中央政府及び国民党の助成により蔓延せる「利権回復」運動に依り強硬を加へたる一九二八年政権獲得後に於ける張学良の政策は、恰も当時南満洲鉄道を中心とし集中せられたる日本の独占且膨張的の政策と衝突を来せり。
併行線に関する紛争
一九三一年九月十八日及び其の以後満洲に於て兵力に訴へたることを正当なりとする日本側の主張に於て、日本は其の「条約上の権利」の侵害せられたることを挙げ、且一九〇五年十一月―十二月、北京に於て開催せられたる日支会議中支那国政府の為せる左記趣旨の約束を支那が履行せざりしことを強調せり。
清国政府は南満洲鉄道の利益を保護するの目的を以て、該鉄道を未だ回収せざる以前に於ては該鉄道附近に之と併行する幹線又は該鉄道の利益を害すべき枝線を建設せざることを承諾す。
満洲に於ける所謂併行線問題に関する紛争は久しきにわたる重要なるものなり。同問題は一九〇七-一九〇八年、日本国政府が右権利を主張し、支那が英国商会との契約の下に新民屯―法庫門鉄道を建設せんとするを防止したるとき、始めて発生せり。一九二四年満洲に於ける支那人が更新の意気を以て日本の財政的関係より独立せる自身の鉄道を発達せしめんことを企図してより以来、日本政府は支那側の打虎山―通遼及吉林―海龍城鉄道建設に抗議したり。尤も右両鉄道は日本側の抗議にも拘らず開通せり。
「条約上の権利」又は「秘密会議録」の存在に関する問題
調査委員の極東到着以前にありては日本の主張するが如き約束が現に存在するやに付大に疑問ありき。右紛争は久しきに亘る重要なるものに鑑み、委員は緊要なる事実に関する情報を得る為特別の苦心を払へり。東京、南京及北京に於て一切の関係文書を審査せり。而して今や吾人は彼の所謂「併行線」に関する一九〇五年十一―十二月の北京会議に於ける支那全権の約束なるものは、何れの正式条約中にも包含せられあらざること、彼の問題の約束は一九〇五年十二月四日の北京会議の第十一日目の会議録中に存することを陳述し得。御仁は右北京会議録中に記載ある外彼の約束を包含する文書は他に存せざることに付、日本国及支那国参与員よりの同意を得たり。
論点たる真の問題
故に、論点たる真の問題は、支那側に依り、満洲に於て或る鉄道が右の如き約束に違反して建設せられたることを日本が主張するに足る「条約上の権利」ありや否やには非ずして、一九〇五年の北京会議録中の前記記載辞句が「プロトコール」と称せらるヽと否とを問はず正式約定の効力を有し、其の適用に於て期間又は事情の制限なく、支那側を拘束するの言質なりや否やの点にあり。北京会議録中の右記載辞句が、国際法上の見地よりして拘束力ある約定なりや、若し然りとすれば、右に与へらるべき妥当なる解釈は唯一なりやの問題の決定は当に公正なる司法的裁判所に依り判定せらるるべき事項なり。会議録中の右記載辞句の支那側及日本側の正式訳文に依れば「併行線」に関する右問題の辞句が支那側全権の意図の宣言又は声明なることに付ては疑の余地なし。
右の如き意図の声明を為したることに付ては、支那側に於ても之を否認せざりき。然れども論争を通じ表明せられたる意図の性質に付、両国間に意見の相違ありき。日本は右使用せられたる字句は南満洲鉄道会社が同鉄道と競争線なりと認むる如何なる鉄道をも、支那が之を建設し又は建設することを許可することを禁止するものなりと主張せり。他方支那側が論争の辞句に包含せらるる唯一の意思表示は南満洲鉄道の商業上の効用及び価値を不当に侵害するの故意の目的を以て鉄道を建設することなしとの意図の陳述なりきと主張す。新民屯―法庫門鉄道計画に関する一九〇七年の公文の交換に際し慶親王は支那政府を代表して日本公使林男爵宛一九〇七年四月七日附の通告中北京会議に於て日本全権は南満洲鉄道よりの特定哩数に依り「併行線」なる語の定義を定むることには同意を拒否したるも「日本は満洲の開発の為支那国の将来執ることあるべき措置を妨ぐるものに非ず」と宣言したることを述べたり。故に、支那政府は日本が南満洲に於て鉄道建設を独占する権利ありとする正当なる主張権を有したりとすることに付ては常に之を否認し来れりと雖も、右期間中事実上南満洲鉄道の利益を明白且不当に害する鉄道を建設すべからざるの義務あることは之を承認したるものヽ如し。支那側に於て、何が併行線なりやに関する定義を希望したるも、右定義は未だ定められたることなし。日本政府が一九〇六-一九〇八年新民屯―法庫門鉄道の建設に反対したるとき、日本は「併行線」とは南満洲鉄道より略三十五哩以内に在る鉄道なりと思考したりとの印象を生ぜしめたるが、一九二六年日本は計画鉄道と南満洲鉄道との間の距離は平均七〇哩以内なることを指摘し「競争併行線」として打虎山―通遼鉄道の建設に抗議したり。充分満足なる定義を作成することは困難なるべし。
斯くの如く広く且非専門的に表示せられたる字句の解釈に於ける困難
鉄道運用の見地より言へば「併行線」とは「競争線」を云ふものにして即ち他の鉄道より其の吸集し得べかりし貨物の一部を奪う線なりと云ふことを得べし。競争的運輸は、地方的運輸及直通運輸の両者を包含す。而して特に後者を考慮するときは、「併行線」の建設に反対する規定は如何に甚だ広き解釈となり得べきやを知ること困難ならず。尚又何が「幹線」又は「枝線」なりやに付ても、支那及び日本間に何等の意見の一致なし。此等の語は、鉄道運用の見地よりすれば、変化するものなり。打虎山より北方に延長する北京―奉天鉄道は、当初其の鉄道当局に依り枝線と見做されたり。然るに、同線が打虎山より通遼迄完成せられたる後に於ては、之を幹線と見ることを得。併行線に関する約束の解釈が、支那及び日本間の激しき論争に至らしめたるは素より自然の数なりき。支那側は南満洲に於て自己の鉄道を建設せむことを企てたるが、殆ど総ての場合に於て、日本よりの抗議を惹起せり。
客年九月の事件発生前日支間の緊張を加へしめたる鉄道問題の第二類は、満洲に於ける支那国政府の諸鉄道建設の為、日本側が資金を貸附けたる契約より生ぜるものなり。延滞金及利子をも含み、一億五千万円の現在価格に達する日本資本は、左記支那鉄道即ち吉林―長春、吉林―敦化、四平街―洮南及洮南―昴々渓鉄道並に或る狭軌鉄道の建設に支出せられたり。日本側は支那側が右債務の支払を為さんとせず、又債務に対し適当なる準備を為さんとせず、尚又日本人鉄道顧問の任命に関するが如き契約中の諸条項を実行せんとせざることを訴へたり。日本側に於ては日本側財団が吉林―会寧鉄道の建設に参与することを許さるべしとの支那政府に依り為されたる約束を、支那側が履行せんことを繰返し要求したり。右計画線は、吉林―敦化鉄道を朝鮮国境迄延長し、日本の為其の海港より満洲の中心に至る新たなる海陸路の利用を可能ならしめ、他の鉄道と連結して内地との交通を短縮すべし。
[後略]
第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 > 第四節 一九一五年の日支条約及び交換公文に関する問題
第四節 一九一五年の日支条約及び交換公文に関する問題
二十一箇条要求並に一九一五年の条約及交換公文
鉄道紛争を除き一九三一年九月に起れる重大なる日支問題は所謂二十一箇条要求の結果たる一九一五年の日支条約及び交換公文より勃発せるものなり。漢冶萍鉱山(漢口附近)問題を除き、一九一五年に締結せられたる他の協定は或る新たなるものに替へられ又は日本国に依り自発的に放棄せられたるものあるを以て、此等論争は主として南満洲及東部内蒙古に関せるものなり。満洲に於ける論争は左記諸規定に関するものなりき。
一 関東州租借地の日本所属期限を九十九年(一九九七年)に延長すること
二 南満洲鉄道及安奉鉄道の日本所属期限を九十九年(夫々二〇〇二年及二〇〇七年)に延長すること
三 「南満洲」の内部に於て即ち条約に依り或は外国人の居住及商業の為に開放せられたる地域外に土地を賃借するの権利を日本臣民に許与すること
四 南満洲の内部に於て旅行し、居住し及営業をなすの権利並びに東部内蒙古に於て日支合弁に依り農業の経営をなすの権利を日本臣民に許与すること
日本人の是等特権及び特典享有の適法なる権利は、全然一九一五年の条約及び交換公文の効力如何に懸るものにして支那政府は常に此等条約及び交換公文の支那政府を拘束することを否認し来れり。如何に技術的説明又は議論をなすとも「二十一箇条要求」なる語は事実一九一五年の条約及交換公文と同意語なること並に支那国の目的は此等より自由となることに在りとする信念を支那国国民、官吏の心情より奪ふことを得ず。一九一九年の巴里会議に於て支那は是等の条約は「日本国の開戦強迫の最後通牒の強迫に基づき」締結せられたものなりとの理由に依り、其の廃棄を要求せり。一九二一年乃至二二年の華盛頓会議に於ては、支那代表は「是等諸協定の公平及公正に付及従って其の根本的効力に付」問題を提示せり。而して支那が一八九八年露西亜に許与せる関東州の二十五年租借期限の満了に先だつ少し以前、即ち一九二三年三月に支那政府は日本に対し一九一五年の諸条項の廃棄要求の通告を発し且「一九一五年の条約及び交換公文は支那に於ける世論に依り頑強に非難せられ来れる旨」を述べたり。支那は一九一五年の条約は「根本的効力」を欠如せる旨を主張せるに依り情勢に依り実行するを便宜なりとせる場合を除き満洲に関する諸条項の実施を怠れり。日本は痛烈に支那に依る屡次の条約上の権利侵害を非難せり。日本は一九一五年の条約及交換公文は正当に署名せられ完全なる効力を有するものなる旨を主張せり。確に日本国に於ける世論の相当部分は当初より「二十一箇条要求」に同意せざりき。次で、日本の言論界は本政策を非難すること普通となれり。然れ共、日本政府及び国民は満洲に関する此等条項の有効なることを固執するに一致し居るものヽ如くなりき。
関東州租借期限及び南満洲及び安奉鉄道特権の延長
一九一五年の条約及び交換公文の二大重要規定は関東州租借期限を二十五年より九十九年に並に南満洲及び安奉鉄道の特許を同じく九十九年の期限に延長せるの規定なり。此等延長は一九一五年の条約の結果なること並に以前の政府の租貸せる地域の回復は支那に於ける外国の利益に反対せる国民党の「国権回復」運動中に含まれ居ることの二つの理由に依り関東州租借地及び南満洲鉄道は屡煽動の目的となり、又時には支那外交部の抗議の目的となれり。斯る問題は実際政策の背後に隠れ居りたるも、中央政府に対する満洲の忠順を宣言し満洲に国民党の勢力の伝播を許容したる張学良将軍の政策に依り此等問題は一九二八年以後深刻性を加へ来れり。又一九一五年の条約及び交換公文に関連して南満洲鉄道の回収或は之を純粋なる経済的企業と為す為めに其の組織より政治的性質を剥奪せんとする運動ありたり。之が資本金及び利子を払戻したる上此の鉄道を回収し得べく定められたる最も早き時期は一九三九年なりしを以て、単に一九一五年の諸条約を廃棄することに依りては支那は南満洲鉄道を回収すること能はざりしなるべし。何れにせよ、支那が此の目的の為に必要なる資金を調達し得べかりしや否やは極めて疑問とすべき所なり。支那国民党「スポークスマン」等が折に触れ南満洲鉄道の回収を唱へたることは、日本人にとりては一の刺激となり彼等の合法的権益は之に依りて脅威を感ぜしめられたり。元来南満洲鉄道の妥当なる機能の範囲如何に関する日支間の紛議は、一九〇六年、同鉄道会社組織当時より存続し居れり。勿論技術的には同鉄道会社は日本法律の下に株式組織の民間企業として成立し居るものにして、実際上全然支那の管轄権圏外に在り。特に一九二七年以来、在満支那人諸団体の間には南満洲鉄道より其の政治的行政的権能を剥奪して、之を「純粋なる商業的企業」たらしめんとする運動ありたるが、此の目的貫徹の為の具体案は何等支那に依りて提議せられざりしものヽ如し。
事実上該鉄道会社は一つの政治的企業たりき。日本政府は其の株の過半数を掌握し居り該会社は同政府の代理者たり、即ち其の業務上の方針は密接に同政府に依りて左右せられたるが故に、日本に於て新内閣成立の際は該会社の高級社員は殆んど常に交迭せられたり。更に又、該会社に常に、日本の法律の下に警察、徴税及び教育を含む広汎なる政治的行政的権能を賦与せられ居れり。従って、該会社より此等の権能を剥奪することは、当初考案せられ其後拡大せしめられたる南満洲鉄道の「特別使命」全部を抛棄せしむることを意味したりしならむ。
鉄道附属地
南満洲鉄道附属地内に於ける日本の行政権に関し、特に土地の取得、徴税、鉄道守備隊の駐屯に関しては無数の問題を生じたり。鉄道附属地は鉄道線路の両側数碼以外に、大連より長春並に奉天に至る南満洲鉄道全系統の沿線に於ける日本の「鉄道市街」と称せらるる十五市邑を含む。右鉄道市街の中、奉天、長春及安東市街の如きは人口稠密なる支那人町の大地域を包含し居れり。鉄道附属地内に於て南満洲鉄道が実際上完全なる市政を施行する権利を有する法律的根拠は、一八九六年露清鉄道原約、当該鉄道会社に対し「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を賦与せる一条項に存す。露国政府は一九二四年の蘇支協定に至る迄、又南満洲鉄道に関する限り東支鉄道の本来の権利を継承する日本政府は其の後に於ても、共にこの規定を以て鉄道附属地の政治的支配権を許与するものと解釈せり。然し乍ら、支那側に於ては、一八九六年の原約中の他の条項は該規定が警察、徴税、教育及公共工事の管理等の如き広汎なる行政権を許与することを意味したるものに非ざることを明瞭にし居る旨を主張して前記解釈を絶へず否定し来れり。
土地に関する紛争
又鉄道会社の土地取得に関する紛争は屡繰返されたる所なり。一八九六年の原約中の一条項に基き、鉄道会社は「鉄道線路の建設、経営及之が保護の為実際上必要なる」私有地を買入又は賃借する権利を有せり。然れども支那側に於ては日本側はより多くの土地を獲得せんが為に此の権利を濫用せんとしたる旨主張せり。其の結果、南満洲鉄道会社と支那地方官憲との間には殆ど紛争の絶ゆることなかりき。
鉄道附属地内に於ける課税権に関する紛争
鉄道附属地内に於ける課税権に関する主張の相違は屡紛議を醸したり。日本側は元来鉄道会社が「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を許与せられ居ることに其の主張の根拠を置けるに反し支那側は主権国の権利を以て其の論拠とせり。要するに、実際の事態としては該鉄道会社は其の鉄道附属地に居住する日支人及外国人に対し租税を賦課徴収せるも、支那官憲は斯る権力を行使せずに単に法律上徴税権を有することを主張せるに止まれり。累次発生せる紛議の好例としては、日本側鉄道に依りて大連に輸送する為南満洲鉄道市街迄荷車にて運搬せらるる大豆の如き産物に対し支那側が課税せんとしたる場合に起れるものを挙げ得べし。支那側の主張は該課税をなさざるに於ては南満洲鉄道に依りて輸送せらるる産物に特恵を与ふることとなるべきが故に、右は日本「鉄道市街」の境界に於て当然統税として徴収すべしと云ふに在り。
日本の南満洲鉄道沿線に鉄道守備隊駐屯権に関する問題
日本の鉄道守備兵に関する問題は、間断なく紛争を惹起せり。此等の問題は、既に言及せる満洲に於ける国是の根本的衝突を示すものにして、夥しき人命を犠牲にしたる数多の事変の原因を成せり。日本が此等守備隊駐屯権を有すと主張する法律的根拠は、既に屡引用せる如く一八九六年の原約中存在する東支鉄道に対し「其の土地に対する絶対的且排他的行政権」を許与せる条項に在り。露国は、右条項に依り、露国軍隊の該鉄道を守備する権利が認められたるものと主張し、支那は之を否定せり。一九〇五年の「ポーツマス」条約中に、日露両国は該両国間に於いて一粁毎に十五人を超過せざる鉄道守備隊を保有する権利を留保せり。然るに、其の後同年中日支間に締結せられたる北京条約に於ては、支那政府は日露間に協定せられたる右の特別条項に同意を与へざりき。然れども、日支両国は、一九〇五年十二月二十二日の北京条約附属協定第二条中に左の如き規定せり。
「清国政府は満洲に於ける日露両国軍隊並に鉄道守備隊の成るべく速に撤退せられむことを切望する旨を言明したるに因り、日本国政府は清国政府の希望に応せむことを欲し、若し露国に於て其の鉄道守備兵の撤退を承認するか、或は清露両国間に別に適当の方法を協定したる時は、日本国政府も同様に照弁すべきことを承諾す、若し満洲地方平靖に帰し外国人の生命財産を清国自ら完全に保護したるに至りたる時は日本国も亦露国と同時に鉄道守備兵を撤退すべし」
日本側の主張
本條は日本の条約上の権利の根拠をなすものなり。然れども、露国は一九二四年の蘇支協定に依り、夙に其の守備兵を撤去し右駐兵権を抛棄せり。然るに、日本は未だ満洲には平静確立せず且支那は外国人を完全に保護する能力を有せざるを以て、尚鉄道守備隊を駐屯せしむべき有効なる条約上の権利を有する旨を主張せり。日本は右鉄道守備隊の使用を弁護するに当り、条約上の権利を根拠とするよりも寧ろ「満洲の現存事態の下に於ける絶対的必要」を根拠として論することに漸次傾き来れり。
支那側の主張
支那政府は日本の主張を絶えず論駁し、日本鉄道守備隊の満洲駐屯は法律上に於ても事実上に於ても正当ならず、支那の領土及び行政的保全を害するものなる旨を主張せり。前掲――北京条約の規定に関しては、支那政府は右は単に一時的性質なる事実上の事態を声明したるものにして、一つ権利殊に永続的性質を有する権利を付与したるものと言ふ能はざる旨を主張せり。更に、露国は既に其の守備兵を撤去し満洲の平静は回復せられ、且支那官憲に於て、日本の守備隊の妨害なき限り、他の在満諸鉄道に対して為しつつあるが如く南満洲鉄道に対しても適当の保護を与へ得べきが故に、日本は其の守備隊を撤退せしむる法律上の義務を負ふものなる旨主張せり。
日本の鉄道守備隊の鉄道附属地外に於ける活動
日本の鉄道守備隊に関し発生したる紛争は鉄道附属地内に於ける駐屯及び活動に限られたるものに非ず。右守備隊は日本の正規兵にして、彼等は屡其の警察職権を地続地域に及ぼし又或は支那官憲より許可を得或は許可を得ず或は之に通告し或は通告をなすことなく、鉄道附属地外に於て演習を挙行せること屡なりき。此等の行動は、官辺民間を問はず支那人一般に特に嫌悪せられ、不法なるのみならず不幸なる事変を挑発するものと見做されたり。右演習は屡次誤解を生ぜしめ且支那人の農作物に夥しき損害を与へ之に対し物質的賠償を為すも其の醸された反感を緩和し得ざりしなり。
日本領事館警察
日本の鉄道守備隊問題に密接に関連したるものに日本領事館警察の問題あり。右警察は、単に南満洲鉄道沿線のみならず、哈爾賓、齊々哈爾及び満洲里の如き都市並に多数の在満鮮人の居住する地域たる所謂間島地方等在満各日本領事館管轄地域に存する日本領事館及び同分館に所属せり。
領事館警察の満洲駐在に対する日本側の主張
日本側は領事館警察存置の権利は、治外法権に当然附随するものなり、即ち此等警察官は日本臣民を保護し懲罰する上に必要なるを以て、右は領事裁判所の司法的権能の延長に過ぎずと主張せり。事実、日本の領事館警察官は、其の数は満洲に於けるよりも少きも、満洲以外の支那諸地方に在る同国領事館にも所属し居るものにして右は治外法権条約を有する他の諸国の一般に実行し居らざる所なり。実際問題として、日本政府は同地方の現状に於て特に日本の重大なる利益存在し多数日鮮人の居住し居る点を顧慮せば、満洲に於ける領事館警察の存置は必要事なりと信じ居るものヽ如し。
日本側の主張に対する支那側の否定
然れども、支那政府は日本が満洲に於ける領事館警察存置の理由として提示せる右論旨を常に反駁し、屡本問題に関し日本に抗議し満洲の如何なる地方にも日本の警察官を駐在せしむる必要なきこと、警察官問題は治外法権と関連せしめ得ざること、並に斯かる警察官の存在は何等条約上の根拠を有せず、支那主権の侵害なることを主張せり。事の当否は姑らく措き、領事館警察の存在は多くの場合に於て右警察官と支那地方官憲との間に重大なる紛争を誘発せり。
日本人の南満洲内地に於ける往来、居住及営業の権利
一九一五年の日支条約は「日本国臣民は南満洲に於て自由に居住し各種の商工業其の他の業務に従事することを得」と規定せり。右は一の重要なる権利なるが、支那の他の地方に於ては、外国人は一律開市場を除く外居住及び営業を許容せられ居らざるに付、右規定は支那側にとりては好ましからざるものなりき。支那政府は治外法権撤廃せられ、外国人が支那の法律及び司法権に服するに至る迄は、右特権を許さるることを以て、其の政策と為し居れり。尤も南満洲に於ては右権利には一定の制限を附せられたり。即ち日本人は南満洲の内地を旅行中旅券を携帯し且支那の法規を遵守することを要せり。然れども日本人適用せらるべき支那の法規は先ず支那官憲に於て「日本領事館と協議の上」に非されば施行し得ざるものとせり。
而して多数の場合に於て、支那官憲の行動は該条約の規定に合致せざりき。尤も右条約の有効性に関しては支那側は常に争ひ来れり。南満洲の内地に於ける日本国臣民の居住、往来及び営業に対して制限の存したる事実並に日本人、又は他の外国人の開市場外居住、或は建物賃借契約の更新を禁止したる命令及び規則が諸種の支那人官吏に依りて発せられたる事実に関しては、支那参与員が本調査委員会に提出したる公文書中に何等論及せられ居らず。然れども、日本人を南満洲及び東部内蒙古の多数の市邑より退去せしむる為又は支那側家主が日本人に家屋を貸付くることを阻止する為屡苛酷なる警察手段に依り支持せられたる官憲の圧迫が加へられたるは事実なり。又、日本側の声明したる所に依れば、支那官憲は日本人に旅券を発給することを拒み、不当課税に依り彼等を悩まし又一九三一年九月以前数年間は日本人を拘束すべき規則は先ず日本領事に提出すべきことを約せる前記条約中の規定を遵守せざりし趣なり。
支那側の辯護及び説明
支那側の目的は、満洲に於ける日本人の例外的特権を制限し以て東三省に対する支那の支配を強固ならしめんとする其の国策の実行に在りたり。彼等は一九一五年の条約を以て「根本的効力」なきものと看做し、其の理由の下に彼等の行動を正当なりとなし、更に条約の規定には南満洲と局限しあるに拘らず、日本人は満洲全地域に亘り居住営業を為さんと試みるものなることを指摘せり。
右論争は一九三一年九月の事件に至る迄絶えず両国を刺激せり
日支両国の相反する国家的政策及び目的に鑑みれば、右条約規定に関し絶えず痛烈なる論争の生ずるは殆ど避け得ざりし所なり。両国は共に斯る形勢が一九三一年九月の事件に至る迄の彼等の相互関係に漸次刺激を加重し来れることを認容するものなり。
商租権問題
南満洲内地に於ける居住並に営業の権利と商租権とは密接なる関係を有す。右商租権は一九一五年日支条約に基き日本人に許与せられたるものにして、関係条文左の如し。
「日本国臣民は南満洲に於て各種商工業の建物を建設する為又は農業を経営する為必要なる土地を商租することを得」
右条約締結の際の両国政府間に於ける交換公文は「商租」とは支那文に依る「三十箇年より長からざる期限付にて更新するの可能性ある租借」(不過三十年之長期限及無条件而得続租)を含むものなりと定義せり。日本文は単に「三十箇年迄の長き期限付にて且無条件にて更新し得べき租借」となり居れり。其の結果、日本側商租は日本側の選択に依り「無条件に更新せらるるものなりや否や」の問題に関し争論発生せるは蓋し自然なり。
支那人側は日本人が満洲に於て土地を獲得せむとする願望は、其の租借に依ると、買入に依ると将又抵当権によるの如何を問はず、之を以て「満洲を買収せむとする」日本の国策の証左なりと解釈せり。従って、支那官憲は挙つて右目的を達せむとする日本人の努力を妨害せんと試みたり。而も右は一九三一年九月直前三、四年間、支那の「国権回復運動」が最も猖獗を極みたる時、其の勢ひ益旺んとなれり。支那官憲が、日本人の土地買収、其の完全なる所有権に依る保有、又は抵当に依る之が留置権の獲得に対し、峻厳なる規則を制定せるは、元来、前記条約が単に商租権を許与せるに過ぎざりしことに鑑み、其の正当なる権利に基きたるものと見るを得べし。然れども、日本人側は土地に対する抵当権の設定を禁止するは条約の精神に悖る旨苦情を述べたり。
然るに、支那官吏は条約の効力を認めず、日本人が土地を租借せむとするに当りては省令又は地方庁の命令を以て極力之を妨害し、日本人に土地を租借せしむる時は之を刑法を以て罰すべしとなし、或は其の租借に当り事前に特別手数料及税を課し、或は地方官吏に訓令し、日本人への土地譲渡の許可を禁止せんかため刑罰の脅威を以てせり。
北満洲並に南満洲に於ける日本人の土地商租抵当権設定及買収
前記の如き各種の障害ありしにも拘らず、事実、日本人は広大なる地域に亘る土地を単に租借せるのみならず、売買又は一層普通に行はれ居る抵当流れの方法に依り、実際其の所有権を取得せり。但し之等地券が支那の法廷に於て其の効力を認められしや否やは別なり。これ等土地に対する抵当権は日本の金融業者、殊に大規模なる金融会社にして其の中の或るものヽ如きは特に土地の取得を目的として組織せられたるものヽ手に落ちたり。今、日本の官庁よりの資料によれば、全満洲並に熱河に於ける日本人租借地の全面積は一九二二-一九二五年に於ける約八〇,〇〇〇「エーカー」より一九三一年における五〇〇,〇〇〇「エーカー」以上に増加せり。右の内日本人が支那法又は国際条約の何れによるも商租権を有せざる北満洲に於て所有する部分は僅少なり。
土地商租問題に関する日支交渉
右商租権問題の重要性に鑑み、一九三一年に至る十年間に於て、少くとも三回に亘り、日支直接交渉により何等かの協定に到達せんとの企図行はれたり。而して、商租権と治外法権撤廃の両問題を共に取上げ、即ち満洲に於て日本人は治外法権を抛棄し、支那人は日本人に土地の自由なる租借を許すの建前による解決案が、両者に於て考究せられつヽありしものと信ずべき理由あるも、右商議は遂に不成立に終れり。
右日本人の土地商租権に関する日支間の長期に亘る紛争は、記述の他の諸問題と等しく、其の依て来る源は相反する両国の政策に於ける根本的の不一致にありて、国際協定の侵犯呼ばはり又は之が反駁の如きは右両国政策の根本的目的に比すれば左まで重要なるものに非ず。
第三章 日支両国間の満州に関する諸問題 > 第七節 中村大尉事件
第七節 中村大尉事件
中村大尉事件の重要性
中村大尉事件は日本側の見解によれば満洲に於ける日本の権益に対し支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。中村大尉は一九三一年盛夏の候満洲の僻遠なる一地方に於て支那兵に殺害せられたり。中村震太郎大尉は日本現役陸軍将校にして日本政府の認めたるが如く日本陸軍の命令に依る使命を有したり。哈爾賓通過の際、支那官憲は同大尉の護照を検査せるが同大尉は農業技師と自称せり。其の際、同大尉は其の旅行地域は匪賊横行地域なる旨警告せられ右事実は同大尉の護照に記載せられたり。同大尉は武器を携帯し、且売薬を所持し居たるが支那側に拠れば売薬中には薬用に非ざる麻薬ありたり。六月九日大尉は三名の通訳者及び助手を伴ひ東支鉄道西部の伊勒克特駅を出発せり。同大尉が洮南の方向に於て奥地へ相当の距離にある一地点に到達せる際一行は屯懇軍第三団長関玉衡の指揮する支那兵に監禁せられたり。数日後六月二十七日頃同大尉及び一行は支那兵の為に射殺せられ死体は右行為の証跡湮滅の為焼棄せられたり。
日本側の主張
日本側は中村大尉及び其の一行の殺害は、不正にして日本軍隊及び国民に対する侮辱なりと主張し、又在満支那官憲は事件の公式調査を遷延し、事件の責任を回避し、且支那官憲は事件の真相を確むる為有らゆる努力を為しつつありと称するも何等誠意なかりしと主張せり。
支那側の主張
支那側は、当初中村大尉及び一行は慣習上内地旅行の際、外国人が所持すべき許可証を検査する期間中監禁せられたること、同大尉一行は好遇せられたること及中村大尉は逃走を企てつつある際一歩哨に射殺せられたることを主張せり。支那側に拠れば、中村大尉は身辺に日本軍事地図一葉及日記帳二冊を含む書類を携帯せることを発見せられたるが右は同大尉が軍事偵察若しくは特別の軍事的使命を帯びたる将校なりしことを証するものなりといふなり。
調査
七月十七日中村大尉死去の報が在齊々哈爾日本総領事の許に到達せるが、同月末在奉天日本官憲は支那地方官憲に対し中村大尉が支那兵に依り殺害せられたる確実なる証拠を有する旨を通告せり。八月十七日、在奉天日本軍当局は中村大尉死去の最初の報道を公表せり(一九三一年八月十七日「マンチュリア、デーリー、ニュース」参照)。同日林総領事及事件調査の為め、東京日本陸軍参謀本部より満洲へ派遣せられたる森陸軍少佐は遼寧省主席臧式毅と会見せるが臧主席は即時同事件を調査す可きことを約せり。臧式毅主席は、其の後直に北平の一病院に病臥中なる張学良元帥及在南京外交部長に之を通告し又二名の支那人調査員を任命し直ちに所謂殺害の現場へ赴きたり。右二名の調査員は九月三日、又日本陸軍参謀本部の為独立に調査を為しつつありし森少佐は九月四日奉天に帰還せり。同日、林総領事は支那参謀長栄臻将軍を訪問し、同将軍より支那調査員の判定は不確実且不満足なりしを以て、再度調査の必要ある可き旨の通告に接せり。栄臻将軍は満洲事態の新たなる進展に関し張学良元帥と協議の為九月四日北平に赴き九月七日奉天に帰還せり。
解決の為の支那側の努力
張学良元帥は満洲に於ける事態の重大なるを知り、臧式毅主席及び栄臻将軍に対し遅滞なく中村事件の現地再調査を訓令せり。張学良元帥は本事件に対し日本陸軍が多大なる関心を有することを其の日本人軍事顧問より知りたるを以て、事件を有効的に解決せんと欲する意思を明らかならしむる為柴山少佐を東京に派遣せり。柴山少佐は九月十二日東京に到着したるが其の後の新聞報道に拠れば張学良元帥は中村事件の速急且公平なる結末を得んことを切望し居る旨述べたり。其の間張元帥は満洲に関する諸種の日支係争問題解決の為め両国に取り何等共通点ありやを確めしむる目的を以て、高級官吏湯爾和を外務大臣幣原男爵と商議せしむる為特別の使命の下に東京に派遣せり。湯爾和氏は幣原男爵、南大将及び他の陸軍高級武官と会談せり。九月十六日張学良元帥は新聞記者と会見せるが、新聞は張学良元帥が中村事件は日本側の希望に基き、臧式毅主席及び満洲官憲に依り処理せられ南京政府は與らざる可き旨述べたりと報道せり。
第二回支那調査団は中村大尉殺害の現場を視察せる後、九月十六日朝帰奉せり。十八日午後日本領事は栄臻将軍を訪問せるが、其の際同将軍は関玉衡団長は九月十六日中村大尉殺害の責により奉天に召還せられ、即時軍法会議に於て裁判せらる可き旨述べたり。日本側は奉天占領後関団長が支那側により陸軍監獄に監禁せられ居る旨発表せり。在奉天林総領事は九月十二日及十三日日本外務省に対し「調査員の奉天帰還後恐らく友好的解決を見る可きこと」殊に栄臻将軍は遂に支那兵が中村大尉殺害に対し責任あることを認めたることを報告せる旨報道せられたり。日本電報通信社奉天通信員は「支那屯墾軍団の兵隊に依る日本陸軍参謀本部中村震太郎大尉の所謂殺害事件の有効的解決は近きにあり」と九月十二日電報せり。然れども、幾多の日本陸軍将校殊に土肥原大佐は中村大尉の死去に対し責任ありと称さるヽ関団長は奉天に於て監禁せられ、其の軍法会議の日取が一週間以内なる可きものとして発表せられたる事実に鑑み、中村事件の満足なる解決を図らむとする支那側努力の誠意如何に付引続き疑惑を表明せり。支那官憲は、九月十八日午後開催せられたる正式会議に於て、在奉天日本領事官憲に対し支那兵は中村大尉の死に対し責任あることを認め、又速かに事件が外交的に解決せらる可き希望を表示せるに依り中村事件解決の為の外交交渉は九月十八日夜迄は好都合に進展しつつありしが如し。
中村事件の結果
中村事件は他の如何なる事件よりも一層日本人を憤慨せしめ、遂には満洲に関する日支懸案解決の為実力行使を可とするの激論を聞くに至れり。本事件自体の重大性は当時万宝山事件、朝鮮に於ける排支暴動、日本陸軍の満洲国境図們江渡河演習並に青島に於ける日本愛国団体の活動に対し行はれたる支那人の暴行等に依り日支関係が緊張し居たる際なるを以て一層増大せられたり。中村大尉は現役陸軍将校なりしが、此の事実は強硬迅速なる軍事行動の理由として、日本側により指摘せられ、斯る軍事行動に好都合なる国民的感情を純化する為、満洲及日本国において国民大会行はれたり。九月最初の二週間中日本新聞は陸軍に於て問題解決の為他に方法無きを以て武力に訴ふべきことに決定せりと繰返し述べたり。支那側は事件の重大性は甚だしく誇張され居る旨並に右は満洲の軍事占領に対する口実とせられたる旨主張し支那側に於て事件処理上不誠意又は遅延ありたりとの日本側主張を否認せり。
斯くて、一九三一年八月末頃迄に満洲に関する日支関係は本章に記述せるが如き幾多の紛議及事件の結果著しく緊張し来れり。両国間に三百の懸案あり、且此等事件を処理すべき平和的手段が当事国の一方に依り利用し尽されたりとの主張に付ては充分なる実証あり得ず。此等所謂「懸案」は根本的に調和し得ざる政策に基く一層広汎なる問題より派生せる事態なりき。両国は各他方が日支協定の規定を侵害し一方的に解釈し又は無視せりと責むるも両者何れも他方に対し正当なる言分を有したり。両国間の此等紛争解決の為め、一方又は他方に依り為されたる努力に付與えられたる説明に依れば、外交交渉及び平和的手段の正当なる手続きに依り処理する為め多少の努力が為されたることを立証せられ居るも、而も右手続は未だ十分用ひ尽されざりき。然るに、長期に亘る支那側の調査遅延は日本側をして之を隠忍し得ざる事態に立至らしめたり。特に軍部は中村事件の即時解決を主張し、十分なる賠償金を要求せり。就中帝国在郷軍人会は輿論喚起に與て力ありたり。九月中支那問題に関する一般的感情は中村事件を焦点として頗る強大となり、満洲に於て幾多問題を未解決の儘放置するの政策は支那官憲をして日本を軽視せしむるに至らしめたりとの意見屡々表示せられたり。あらゆる係争問題の解決が実力に依るを必要とする場合には、実力に訴ふ可しとの決議は民衆の標語となれり。右目的を以てする計画討議の為の陸軍省、参謀本部及び他の官憲間の会議、必要の場合に右計画を実行せしむ可き関東軍司令官に対する確定的訓令及び九月上旬東京に招致され且必要なる場合には実力に依り成る可く速かに有らゆる懸案を解決す可しとする主張者として新聞に引用せられたる奉天駐在武官土肥原陸軍大佐等に関する記事が新聞紙上に遠慮なく掲げられたり。此等及他の団体に依り述べられたる所感に付ての新聞報道は漸増しつヽありし時局の危険なる緊張を支持せり。