資料

日本農村教育

日本農村教育(国立国会図書館書誌ID 000000768481、永続的識別子 info:ndljp/pid/1145627
1934年1月、著 加藤完治、東洋図書

↓第五篇 農村諸問題の対策 日本農民魂を以て現下の農村を観る > 第三章 殖民問題の解決 > 五 満蒙に於ける土地問題

 次は、満蒙殖民について考ふべきは土地のことであります。此の土地に就ても日本人と支那人とは観念が違ふ。支那人と云ふものは、土地の使用権を重んじて所有権の方は大して重く見て居らない。内地から行って居る所謂日系の満洲国官吏の或者が、やれ内地から移民を送ると一般民衆が不安を感ずるからいかぬなどと出鱈目の事を言って居るが、それ等の輩は新京あたりで酒を呑みながら空想に耽ってるから、さういふ馬鹿げた議論も出て来るので、現地佳木斯近辺の農民は日本内地から自衛移民の来るのを歓迎して居ります。何故かと云ふと、自衛移民と云ふものは、一面から云へば、大慈善事業であります。匪賊の横行せる天地を王道楽土に化する浄化運動であります。内地に於ては、之に依って農村の子弟に希望を与へ、現地に於ては匪賊の横行に泣いて居る支那人の為に、匪賊の害を免れしめてやる、何処から考へて見ても是は大慈善事業であります。

 之に対して愚図愚図言ふ人間は、それは、物の分らない人間であります。日本内地から行って高い俸給を載いて新京あたりで朝から晩まで酒を飲んで管を捲いて居る人間だけがさう云ふことを言ふのであります。

 尚土地に就ましては、今度行った永豊鎮近辺を馬に乗って歩いて見ると、実に想像がつかぬ程広い此の山とあの山とを繋いで居る一画が一万町歩、一反歩の値段は既耕地で満洲人から買へば一圓前後、国有地ならば大体無償で貰ふことになって居て、土地の心配は毛頭ありませぬ。先方でも来て呉れ来て呉れと云ふ訳で、満洲の農業と云ふものは誠に面白い。兎に角経験が土台でありますので、こっち南瓜を作りますと、支那人も作る、こっちが宜く出来ると、どうしてさう能く出来たと黙って居っても教はりに来る。又こつちの豚の方が早く太ると見ると、利に敏い彼等地方農民は、どうしてそんなに大きくなるのか、其の仔豚を売って呉れないかと頼みに来る。そこでこっちが豚の仔でもやらうものなら手を握って日本人様々とあがめ奉られてしまふのであります。

 詰り、農業と云ふものは一般民衆と手を握るには最も良い近道である。私は断言する。世界人類の平和を建設して行かうと思へば、眞面目なる農業殖民に限る。大和魂を固く持して農業殖民をすると云ふことになりますならば、言はず語らずの中に平和の天地が建設されて行くのであります。それで、土地があるかないかなどと心配する必要はない。今申しましたやうに空いてゐる所にどんどん入って行って地方民と結びつけば宜いので議論の余地は全然ないのであります。

 更に土地について述べませう。満蒙に就て一般の人は、第一にどこに土地を得るか、どれ位の殖民が出来るか、と質問されますが、之れ等の疑問は、日本人式に考へてゐる質問であって、彼地の事情を知らない結果であります。満蒙に就て普通二百万町歩の未耕地があると言はれて居るが支那の統計はあてにならぬ。実際どの位あるか解りませぬ。しかし未耕地がほってあることだけは間違ひがない。さればその地に日本人が乗り込んで、日本農民の本分を尽すといふことは堂々とやってよいことと思ひます。

 土地について、一人の人間に対しどの位の面積が必要であるかは、世界に於て未だ研究されて居らない、今度の自衛移民は、二十町歩宛与へられ、五百家族として一万歩の耕地が出来るとする、さうすると、そこにはお医者も要る、大工も要る、文房具店も、さては学校も入る、従って先生がいるといふやうに、それからそれへと一万町歩の開墾が出来た場合には相当多くの人が周囲に集り、相当の数に上らうと思はれるのであります。

 それを千二百万町歩しかない。一家族十町歩としても百二十万人だけしか行かれない。年々日本国民は百万も殖える。それをどうするなどといって之に着手しなかったならば、非常な間違ひであります。斯くの如き人間は日本国家を害する人間でアメリカの旗振りといってよいと思ひます。

 内地に於て土地に飢えた農民の而かも二男三男に生れ、土地なき為に生きて行くことの出来ない日本農民が、開拓を待つ満蒙の広い天地に行くのは当然すぎる程当然である。何処でも、空いた土地に行って開拓するのは当り前の事であって、シベリヤでも、満洲でも、濠洲でもどこでもよい。それが為に、国と国とが戦争するといふ場合には、敢て辞する所ではありませぬ。致し方がありませぬ。

 だから、兎に角、がむしゃらに進めばよいのであります。

 人々は、いつも理屈を云ひ乍ら、大切なことをやって居らない。前にも云ったやうに、千二百万町歩といっても一人十町歩で百二十万人では心細いとか、毎年百万人生れるのに五百人や六百人移民したって何にもならないと言ってやられないのは、我々は七八十年後には必ず死ぬ。それで毎日の仕事が手につかぬといふのと同一で、実に馬鹿げた事であります。それ故に、一人でも、二人でも、百人でも、移民する、といふしっかりした精神をもって押し通すことが大切であります。

 尚、土地について、満蒙に於ける自衛移民には満洲の国家から無償で地面を提供することが当然である。又既耕地は一町歩百圓で人民から買上げられる。こんな風で、暫らくは土地を得るに困らないのであります。満蒙の天地をして王道楽土に化する為には、匪賊の横行を防止し治安を守る自衛移民は必須欠く可らざる必然的なものであるから、満洲国としても、無償で土地を与へるのは当然であると考へます。

 特に注意を要するのは、日本からいって居る満洲国の官吏と利権屋であります。前者は、満蒙に於て土地所有権を冒すのは、不可といふ、而して利権屋の如きは、自衛移民がどんどん来られては自己の利益を侵害せられるので、之に反対するのであるこれらの言に迷はされないやうにしなくてはなりませぬ。

 況んや既耕地に於ても、匪賊の横行があるので、一反歩の土地が一圓位で買へるので、土地獲得にはさしたる困難はないのであります。そして土地そのものは、永豊鎮でも七虎力でも、無肥料で十年位は農産物がよく出来る。内地に比較しても、朝鮮と比べても雲泥の差であります。又、吉林省、黒竜江省辺も極めて豊穣であって、内地に見られない優良のもので、然もその土地を得るに極めて容易である自由移民としても、国有地を買ふとか、支那人から買ふとしても内地と違って大した困難はないのであるから、実に日本人が発展するに絶好の地方であり又絶好の機会であると考へるのであります。

 もう一つ申して置きたいことは、支那人は使用権を重んじて所有権を蔑にする。故に、朝鮮の荒地に支那人が入って、無断で耕作してゐる、これに対して抗議を申込むと、空き地に入って耕作するのにどこが悪いといふ感情を持ち、其土地は使用者に絶対の権利がある。―といふ観念をもって居りますが、我々もその精神で満蒙に於て活動することが大切であります。

 土地を所有し居ながら荒地にして置くのは、一種の罪悪である。内地に於ても荒地にして置くのは相済まない訳で、手が廻らなかったならば 陛下に返上して然るべしと思ひます。