資料
康徳二年版 満洲国現勢
康徳二年版 満洲国現勢(国立国会図書館書誌ID 000000775134、永続的識別子 info:ndljp/pid/1242934)
1935年3月1日、満洲国通信社
↓中央地方政治組織 – 中央政府の組織 – 直隷機関 – 総務庁 (P.136)
総務庁 満洲国国務院組織の注目すべき特色としてあげられるべきものに各部に於ける総務司と緊密な連繋をとって行政の全体的統制に充分の効果を発揮しつゝある国務院直属の総務庁がある、これは日本の内閣書記局に該当するものであって、各行政部局の事務に対する指導方針の決定及び統合作用を営むものであり、人事、財務、物資等の行政手段を統制しつゝ行政の運用を完からしむるものでわる、満洲国がこの制度を採用してゐることはその精神に於て既成諸国の行政上の弊害に鑑み、最新の制度を適用せんとする革新的気運の一の現れであって、実際上も主計処の存在により予算編成上国家的大局上の重点主義が円滑に行はれ得たこと、至難といはれた俸給令の改正を断行して旧満洲の封建的猟官制度の基底に根本的メスをふるひ官吏層の浄化に資すると共に冗官人件費による不当なる国家財政圧迫の幼芽を芟除せる人事処の事業等に見ても充分にその初期の効果をあげてゐることが観取される
満洲国政府は康徳元年度予算に総務庁外局として企画局及び大陸科学研究院費を計上してゐるが何れも産業開発時代を迎へて総務庁設置の主旨を拡充したもので、後者がその研究によって産業政策の自然科学的基礎を探究すれば、前者は国家の経済政策を全体的立場から調査立案再批判するほか情報宣伝の統制に任ぜんとするものである
現在総務庁には総務庁長、次長以下の職制を設け、秘書処、人事処、主計処、需要処、情報処の五処を置き、各処に処長を置いてゐる
秘書処は秘密、法律、勅令、軍令、勅書、及び院令の公布、官印の管守公文書の収発、刊行物の発行、会計及庶務を管掌し、人事処は官吏の任免、進退および処分、官吏の規律および賞罰官吏の給与および待遇、議員の選任を管掌する、主計処は総括的予算及び総括的決算、特別会計の予算及び決算、国資の計画及運用国庫金収支の管理、収支科目等の諸項を管掌し、需要処は営繕用度の諸項にあたるもので、情報処は情報の蒐集翻訳及通訳等に当るものである
以上は国務院組織の大体の説明であるが、なほ総務庁制が満洲国行政の全体的統制に効果をあげてゐることは見逃すことの出来ない特徴的制度であるとともに現代的政治機構組織の妙味を多分に摂取したものと謂ひ得やう。
↓中央各機関の業績 – 総務庁 (P.145)
総務庁の鉄筒陣
序説
鄭国務総理は帝政実施に伴ふ満洲帝国の新施政綱要発表に際し冒頭において
国ヲ肇メテ茲ニ二歳、天ノ加護ト人民ノ精進ト盟邦ノ肉親的協力ニ依リ国礎ハ益々鞏固ニ、国運ハ愈々伸張セリ、治安ノ維持僻遠ニ及ビ、治政各般ニ揚ガリ、民生安息シ、民族唱和シテ各其業ヲ楽シム
今ヤ 皇帝即位ノ式ヲ挙ゲ給ヒ、万世不易ノ邦基ヲ奠メラルヽニ当リ、過去一年ノ施政一般ノ実績ヲ顧ミ将来ノ計画ヲ案ジ、茲ニ之ヲ宣明シ、官民一致民族協和以テ益々我国運ノ開拓伸張ヲ期スルト共ニ、隣邦ト提携シ、東亜ノ平和ト発展トニ貢献スルノ大使命ヲ把握遂行センコトヲ期ス
と絶叫した、而して政治、軍事、外交、財政、経済及び産業各般に亘る新施政の内容は精神に於て建国当初と変らざるもその発展性に於て、帝政を契機として一大革新あるべきを力説した
革新はまづ御膝元から―と云はふか満洲国行政の中枢をなす総務庁は各機関を挙げて新要綱に盛られた積極的政策の実現に力強き歩を進めたのである
組織と首脳部
国務院全体の台所とも云ふべき総務庁は国務総理管轄の機関で、各部の機密、人事、主計、需用、宣伝に関する仕事を一括して管掌する重要機関である、職務を遂行する為総務庁長、同次長並にその下に秘書処、人事処、主計処、需用処、情報処の五処があり各々処長が居る、即ち
総務庁長 は特任官であって国務総理の命を受け庁員を指揮監督し、一切の庁務を処理する
総務庁次長 は庁長を補佐し、若し故障ある場合はその職務を代行する
秘書処 は機密、法律、勅令、院令の公布、官印の管守、公文書の収発、会計及び庶務を管掌する
人事処 は官吏の任免進退及び身分、官吏の紀律及び賞罰、官吏の給与及び待遇、議員の選任等を管掌する
主計処 は予算及び決算、国資の計画及び運用、国庫金収支の監理及び収支科目の諸項を管掌する
需用処 は営繕、用度等の諸項を管掌する
情報処 は宣伝計画及実施、政府部内の宣伝の連絡統制並に民間宣伝団体の監理に関する事項を管掌
この外近く康徳元年度予算を以て企画処が新たに設置されることになってゐるが、同処は国内の産業統制並に資源開発に関する総務庁長の頭脳機関として各種の計画並に実行に当る筈である
以上に依て明かな如く国務院全体の予算及び人事を始め行政機能の中枢を握る総務庁の持つ権限は頗る大であって企画処の設置は益々その色彩を濃厚にするが、建国匆々の国家としてよりよき行政的効果を挙げる為には分散主義より集中主義を可とし、一旦各部から総務庁へ提示される行政事項が同庁各機関に依って再検討され、国務院会議を通じて再び各部に放射され、実行に移る所謂総務庁中心主義の行政組織は過渡期に於ける最も理想的な方法で、こゝに新国家の特色があると云はれてゐる、次に本機関を運転する首脳部の略歴を掲げて見やう
総務庁長 遠藤柳作
明治十九年埼玉県に生れ、四十三年東大法科卒業後、朝鮮総督府秘書官を振出しに青森県知事、三重県知事を歴任、普選第一次選挙に当り郷里から推されて当選、一期代議士生活を送ったが、再び官途に就き愛知県知事となったが駒井前総務庁長官辞任の後を受けて懇望されて満洲国入りをなし総務庁長に就任今日に至る
総務庁次長 阪谷希一
明治二十二年東京生れ、大正三年東大政治科を卒業の後、日本銀行員として英国在勤、帰国後官界に入り関東庁財務科長を経て拓務省派遣員同殖産局長心得等を歴任満洲に出張当時満洲事変勃発し、建国の精神に共鳴して大いに活躍次で満洲国入りをなした、氏は最初財政部総務司長であったが大同二年本職に栄転今日に及ぶ
秘書処長 神尾弌春
明治二十六年広島県に生れ、大正七年東大法科卒業後地方官を歴任したが朝鮮総督府学務課長を最後に大同二年満洲国入りをなし、皆川前処長の後を承けて秘書処長に就任今日至る
主計処長 松田令輔
明治三十二年山口県生れ、大正十年東大法科卒業後大蔵省に入り本省事務官、税関長等を歴任し、大同元年建国直後懇望されて主計処長の要職に就き今日に至る
需用処長 小泉三郎
明治二十二年茨城県に生れ、四十三年陸軍経理学校卒業後昭和八年まで現役、二等主計正を以て軍籍を去り、満洲国入りをなし隈元前処長解職の後を襲ひ、今日に至る
情報処長 宮脇襄二
明治二十三年滋賀県生れ、陸軍士官学校二十四期卒業累進して輜重兵中佐となる、この間語学将校として外語を卒へ、英国駐在研究員となり帰国後陸軍省新聞班員として活躍更に上海事変満洲事変に出征して現地の言論指導、宣撫工作等の任に当り勲功を樹てた、大同三年懇望されて満洲国入りをなし川崎前処長の後を襲ひ今日に及ぶ
人事処長心得 古海忠之
明治三十三年東京に生れ、大正十三年東大法科卒業後大蔵省に入り、宇都宮、幸橋税務署長を経て営繕管理局事務官となったが満洲国建国直後満洲国入りをなし人事処総務科長、同給与科長を兼任のまゝ皆川前処長錦州省総務庁長に転出後、康徳元年十二月現職に栄転今日に及ぶ
主計処の手腕
健全主義の元年度予算
経済建設
日本及びその他の先進国の予算編成は大蔵省の如き独立せる一省の手で行はれるが、満洲国ではこの例に倣はず総務庁中心の建前から主計処を以て行はしめ、建設事業多くやゝもすれば放慢に流れんとする予算をグット押へてゐる、従って総務庁に於ける最も大きな仕事はこの主計処の予算決算であらう、未だ立法並に予算協賛機関のない満洲国にあっては同処の査定せるものを決定予算とし、国務院会議及び、参議府の審議諮詢を経実施されるのである
諸国における予算分取り劇を見せるけられて来たものにとってこの制度の優れてゐることは今更贅言を要しないところ、この間重点主義の大旆を振りかざして建国の大綱基本政策を予算の計数の上に濃く太く書いて来た主計処の手腕は称讃に値するものがある、既に大同建国年度、大同元年度、大同二年と三回の予算編成において財政機構及制度の近代化、歳入の確保、租税負担の公正化、政費軍費の分配の普及等国家財政の確立に資すると共に健全財政をモットーに全幅の力を治安維持に注ぎ、治安維持第一主義時代の速かなる終幕に大いなる貢献をなし来ったのであるが、帝政実施の康徳元年度予算の編成においても、あくまでも中老諸国の財政に見る万遍なき予算の増配政策と赤字政策を排撃、主力の建設の基礎工作に集中粒々辛苦の跡鮮かに「治安維持より経済建設へ」建設期第一年度の予算として期待を裏切らぬ名実共に帝国最初の予算の編成に成功してゐる
即ち元年度予算編成に当っては産業その他各部門に躍進的一途をたどる国内の現状に伴ひ歳入見積りを超過すること約一億に達する各部の要求総額に対し総務庁主計処が如何なる態度方針を以ってこの難事業を遂行するか満洲国内外の識者間において相当注目されたところであったが、この間において主計処が、財政発達史の科学的現実に即して本年においても依然建国当初からの根本方針たる赤字排撃、非募債主義の精神を体しつつ、一方行政制度の整備、産業開発の本格的工作への予算計上において能ふ限りその実現への努力の跡を見せたことは人事処の新俸給令制定と共に満洲国財政史上に一転機を画するものといへよう
本予算の詳細は別項一、「康徳元年度予算の解剖」において前年度予算と比較し取扱ふところであるが今その内特に顕著な特徴について主計処の手腕と業績を見ると左の如くである
総予算
総予算は一億八千八百七十二万五千五十八圓で要求総額二億七千三百五十万六千二十七圓に比較すると差引八千四百七十八万圓即ち要求総額の三分の一強の削減を加へたわけであるが、今これを大同二年度予算総計一億四千九百十六万九千百七十八圓と対比すると三千九百五十五万五千八百八十圓即ち四割の膨張となり極めて建実な発展振りを示してゐる
歳入 財政の現状とその将来を慮って本年度も前年同様健実を旨として赤字公債無しの方針を貫徹してゐることは前述の通りであるが、他方建国当初歳入見積り慎重にすぎ毎次多額の剰余を生じたるに鑑み本年度には国運の進展に応じて最も適実に自然増収を計上、過去二ヶ年の経験に依り一段と確実性を増すに至った
なほ塩の専売益金を大体二千五百万圓に止め塩税塩価の引下げに充当する方針を貫徹し、阿片専売益金は阿片政策実行に要する取締り救療及び教育その他の経費に充当することゝした如き、王道財政の実現として注目すべきものがある
歳出 先づ第一に日本に対する肉親的衷情に基き進んで共同国防費を分担することゝし軍政部予算に九百万圓を計上したことをあげねばならぬ、諸般財政機構の整備と国軍制度の創設発展が遂に旧東北軍閥時代の軍事費中心の余弊を根本的に清掃、進んで共同国防費を分担するに至ったのであって、この国防分担金を除いた軍政部予算の総予算に対する割合は二十七%、これを軍事費、借款整理費とで依然歳出総額の八十%を占める支那政府の予算と比較するとき今更ながら満洲国財政の発展に頼もしさを感ずるものがあらう
新規事業費 このほか同予算においては交通産業の開発、治外法権撤廃の準備、中央統制の徹底と地方自治の確立に主力を傾け、尚治安維持の完成のため前年度に引続き相当額を計上してゐる、例へば国道建設、河川改修、治水及利水調査事業に約一千六百万圓、資源産業調査に関する経費約百五十万圓、産業助長奨励費約百五十万圓、金融合作社助成費約六十万圓を計上せるが如き、又国家行政の根幹ともいふべき企画処の実現、産業開発の一大原動力たる産業調査局、大陸科学研究院の設置等各産業調査機関の新設は能ふ限り之を認めた点等、産業開発本格化を迎へての主計処の用意の程を窺ふべく又治外法権撤廃準備のため法制の整備、警察、司法、行刑、徴税等の制度機関及び設備の改善に約七百万圓といふ相当多額の経費を計上したことは治外法権撤廃に対する満洲国の真剣な準備工作を語るものとして前述国防費分担と共にその意義深いものがある
投資特別会計 其の他国債に関して建国公債の第一回償還金二百万圓を計上するほか、歳計剰余金よりする減債基金繰入額を増率した結果、本年度予算において基金五百五十万圓余に達したので買入償還も行ひ得るに至ったこと、並に特別会計における新しい試みとして投資特別会計を新設し、交通および産業開発のためにする特殊会社への出資、公共団体の事業資金の貸付等を営ましめる事とし、その性質上所属資産収入のほか積極的に借入金をなしてその財源に充てんとし本年度も本会計において六百万圓の借入を定めたことゝは、投資制度の方面よりする産業開発への準備を語るものであらう
之を要するに帝政実施後最初の総予算において上掲の如く相当新規事業を行ひつゝ赤字も出さず、国防費を分担しつゝ建国公債も償還するに至ったことは満洲国財政の健実な発展を有力に物語るものその査定に当った主計処の功績亦建国財政史上に長くその名をとどめるに足る
人事制度確立に邁進する人事処
敢然合理化へ
人事行政は国家諸般の行政の根幹であるは云ふまでもなく、旧政権が三千万民衆の怨府と化した所以も人事の乱雑から来る賄賂政治からであったに鑑み満洲国は既に建国のスローガンに於て人事行政の確立を掲げた、然乍らこの改革は一朝一夕に行はれるものでなく、建国後と雖も人事行政の実情は旧来の慣行と応急機宜の処置の範囲を出でず、根本的なる人事関係諸制度を欠除し、その運用上遺憾の点が多かった、こゝに於て人事処当局は建国二ヶ年間は人心の動揺その他大局上の影響を考慮し暫行便法に依るも又止むを得ずとなしてゐたが、第三年に至り各般の情勢が安定し愈よ人事制度刷新の時期到来せりと見て一部の反対策動を押切って、国家の大本に則り人事諸制度立案に着手した、この間に於ける同処員の苦心たるや、文字通り不眠不休、再び建国当初の意気込みに立還りて国家百年の大計樹立の為に敢然職を賭したるの観があった、現在その仕事は進行中で完成までには両三年を要する見込みなるも然し最難関と目された文官給与の合理化は成文化して将来の目途がはっきりさるゝに至ったから残余の問題の解決はたゞ時期の問題とされてゐる、即ち実行された主なるものを挙げれば左の如くである
給与の改正
政府は本法を諮詢機関に提出するに当って大様次の如く説明してゐる
現在の給与制度は建国草創の際遽かに暫定せられたものであって恒久的制度でなく、制度上不合理な点多く人事行政上支障少くなく、給与状況著しく不均衡にて現状の儘放任を許さない実情に在り速かに給与制度の合理化を図る要がある、而して全国二十万を超ゆる満洲国職員中僅かに六千名内外を任命するに過ぎぬ現在に於ては制度の根本的改正は一応可能なるも今後暫くして殆んど為し能はぬに至るであらう、更に現在の儘維持すれば国家財政上に及ぼす影響も極めて大で健全財政の建前から云っても当然考慮せぬばならず、又個人にとっても従来の単一給与制度は危険負担を全部個人に委ねるもので之は俸給、手当、退職賜金等の性質に従って分割する綜合制度に改むべきで現在に於て速かに断行すべきである
以上の趣旨の徹底にはかなりの迂余曲折を経たが満洲国の現状に対する正しき認識と将来の見透しに対する自覚とに依って充分理解されるところとなり、参議府会議の通過を見康徳元年七月一日公布さるゝに至った、その内容は概ね左の如くである
一、官等 従来の高等官の制を廃し、特任、簡任、薦任及び委任の区分に依り官等を附す、簡任、薦任及び委任の各官を通じ、官等数を増加し(簡任三等、薦任八等、委任八等)官等と俸給の間に或程度の関聯性を有せしむ
各官毎に官等を限定し、官等に重要性を持たしめ、官吏の地位待遇を識別することを得せしむ、官等の初叙及び昇叙を一定す
二、俸給 給与制度の合理化に伴ひその限度に於て俸給額を減額し月額に改む
簡任以下の俸給に付各号表を設け各官職を階級別に分類して之を適用し各官職毎に俸給の最高並に最低制限を附す、兼務俸の併給を禁止す
三、加俸 従来の職務事務及び技術加俸は全部廃し、各官の最高級を受けて相当年限在職し功績顕著なるものに付年功加俸を新設す
特に指定したる官職に対し職務加俸を支給する事を得せしむ
四、各種津貼 満洲国外に在勤する満人及び日本内地の外に在勤する日人に対しては簡任官を除き特別津貼を支給す
特任官及び特に指定する官職に対し交際津貼を支給す文官官等俸給令の施行に依り改正又は是正俸給(特別津貼を含む)が元俸給(加俸を含む)に比し二割五分以上の減となる者に対し当分の内一定の範囲内に於て臨時津貼を給することゝす
特任文官の俸給
(月俸)
国務総理大臣 千八百圓
参議府議長┐
立法院長 ├ 千五百圓
監察院長 ┘
参議 ┐
各部大臣├ 千三百圓
総務庁長┘
省長 千二百圓
特命全権大使 ┐
最高法院長 │
最高検察庁長 │一級千百圓
北満特別区公署長官│ 二級千圓
特命全権公使 ┘
(以下略)
官吏保障制度
満洲国は官等俸給令の改正に次で、優秀なる官吏を任用して奉国の誠を盡さしむるに対し、国家は官吏の身分を保障し後顧の憂無からしむる方策を講ずる必要ある為、文官恤金法並に文官退職死亡賜金法を制定康徳元年十月十二日公布した
一、官吏恤金法 官吏が公務の為傷痍を受け若くは疾病に罹り又は死亡したるとき本人又は遺族が本法の定むる所により恤金を受ける権利を有するものであって(但し本人の重大なる過失によるときはこの限りに非ず)種類を療治恤金、傷害恤金、遺族恤金の三に分ち右に適用さるゝ権利は国務総理が定め、又その金額は本令並に施行規則に依るものである
二、官吏退職死亡賜金法 官吏が退職し又は在職中死亡したるとき本人又はその遺族が本法の定むる所に従ひ退職賜金又は死亡賜金を受くるもので単一給与制が綜合給与制に改正された結果現在給が将来給に振替へられたものである、之を退職賜金と死亡賜金の二種類に分ち前者は官吏在職一年以上にして退職したるとき規定の額を支給され、後者は官吏在職中死亡したるときその遺族が死亡せる官吏の在職期間に二年を加へたる期間に相当する額を死亡賜金として受くるものである
起草中の法令
尚現在立案中で近き将来に於て公布の運びとなるものは左の諸法令と観られてゐる
一、文官任用令の制定 諸政漸く整備し各部局に亘り人員の充実を見たる現在に於ては先づ人事行政の基調たる文官任用の制度を樹立する必要が認められてゐる、即ち一定の資格又は制限を設け官吏として適当な人物と不適当な人物を分ける制度を採り、以て官吏の人格、素質の向上及び専断放恣又は情実による採用の弊を除かんとしてゐる
二、文官銓衡委員会の設置 管理任用の資格を限定し任用の厳正を期することは当然であるが更に緩急宜しきを得て実情に適せしむる為本委員会を設置して銓衡の公正を期せんとする
三、文官懲戒令の制定 信賞必罰以て人事行政の明確を期することは緊要であって勲章制度の確立と共に本令の制定が要望されてゐる
なほ古海人事処長代理は近く新設の企画処長たるべき松田氏の後任として主計処長に栄進の筈であると仄聞する
需用処の仕事
需用処は政府が使用する物品の賄所として地味だが最も大切な仕事だ、之を官制の難しい言葉で表はせば「政府官庁所要の物品材料の購買、供給、貯蔵、統制及び諸建造物の新営、補修並に公報その他印刷にして政府諸機関に於て使用するものを管掌する」であって政務遂行の助成及び国費節減の具現に重大な関係を持ってゐる、建国以来の需用処の業績を一瞥すると左の如く遂年取扱額が増大し満洲国発展の跡を描き出してゐる
(国幣圓)
建国年度 八五,七六八
大同元年度 四,五七二,七七五
大同二年度 五,九四五,三〇二
康徳元年(予想) 一〇,〇〇〇,〇〇〇
尚ほ需要処は物品の購入に当ってはつとめて入札主義を取り多数業者に対し不公平なく売込みの機会を与ふると同時に常に公正なる価格を定めつゝある
情報処の任務
プロパガンダが近代国家の国策として如何に重要なるものであるかはかの欧州大戦当時に於ける各国の物々しい宣伝戦をもっても判る、英国はノースクリツフ卿、独逸はルーデンドルフ将軍、米国はウィルソン大統領自ら第一線に立ちその機関も大規模な独立の情報省、宣伝省、或は宣伝政策委員会を設置して戦線の後方はもとより国内の主要都市、国民の台所にまで猛威を揮って相手方を屈服せずんば止まざるプロパガンダに依る思想線を展開したのである
その結果独逸の宣伝は英仏側の宣伝に圧倒せられ遂に独逸は帝国主義的侵略国なりとの折紙がつけられ、全世界の反感と憎悪とを買ひ、敗戦の重大なる原因を作ったとさへ云はれてゐる、名将ルーデンドルフが「火薬による破壊力は恐れないが紙による破壊力は手の下しやうもない」と嘆息したのはこの時だ
欧州大戦により尊い体験を得た各国は武力戦たると文化戦たるとを問はず宣伝は国策の重要要素なることを痛感し以来常に備へよの大方針の下に科学的な宣伝組織を持つに至ったのである、されば新設満洲国はかくの如き先進国の苦い経験と更に満洲事変当時に於ける生々しい宣伝戦の実情に鑑み各国に劣らざる宣伝組織の確立に力を注いだ、依って生れたのが現在の情報処である
同処眼前の使命は満洲国の國體の特異性に鑑み国外に対してその厳たる存在と健全なる発達とを紹介し、又国内に対しては三千万民衆に國體の確認と五族協和を強調するにあり従って大同二年創立以来弘報委員会及び治安維持委員会の中堅として政府部内の情報統制は勿論のこと在満新聞通信雑誌の統制援助を行ふと共に凡ゆる報導機関、ラヂオ、映画その他の娯楽機関をも動員して王道主義の普及及び平時より展開されつゝある国際思想戦対策に遺憾なきを期してゐる
同処事業の主なるものを列記すれば次の如くである
イ、新聞通信雑誌
機関紙及び援助紙数 社十三
ロ、映画
(康徳元年三月より十二月迄の製作)
修聘特使(全四巻)十本
満洲帝国の全貌(全三巻)十本
燦爛の満洲帝国(全三巻)十本
大典観兵式(全一巻)十本
恭迎秩父宮殿下(全四券)十本
皇帝御巡狩(全三巻)三本
陸軍特別演習及観兵式(全一巻)三本
計 七種十九巻 一万五千九百呎、五十六本
ハ、写真 即位大典、秩父宮殿下御来満、承認二周年、特別大演習、皇帝御巡狩等何れも新聞、通信、雑誌社及び官庁に配布してゐるがその数は本年三月より十二月迄に合計七千五百余枚に上ってゐる
ニ、印刷物 (康徳元年三月より十二月迄)
満洲国大系(日満両文)十七種 九〇,〇〇〇冊
慶祝関係パンフレット、絵葉書、地図等 十二種 一〇二,三〇〇
一般宣伝資料 四種 三〇,〇〇〇
宣伝工作用資料五種 八五,〇〇〇枚
ポスター 五種 一四〇,〇〇〇
伝単 三〇〇,〇〇〇
ホ、ラヂオ
ラヂオ利用の効果を挙げる為ラヂオ会議に委員を送り且満洲国側よりの放送者の人選及び内容に就て検討を行ってゐる
ヘ、主なる行事
帝政実施に伴ふ宣伝工作
娘々祭利用の宣伝工作
博覧会利用の宣伝工作
承認二周年記念日の宣伝工作
地方行政改革に伴ふ宣伝工作
治安工作に伴ふ宣伝工作
(今期は主として吉林省、東辺道、東防衛地区及び東南防衛地区)
ト、計画中の行事
皇帝御渡日に伴ふ記念計画
建国第三周年に伴ふ宣伝計画
第二期治安工作に伴ふ宣伝計画
[後略]