みすず書房「現代史資料(9) 日中戦争(二)」P.3021939年秋、参謀本部
(竹田宮恒徳王による石原莞爾中将へのインタビュー)
↓「三、事変惹起の国内的原因」
三、事変惹起の国内的原因
殿下 そう云ふ様になって事変を惹起するに至った国内的原因は。
石原 強い政治力の無かった事が根本です。当時政党が地歩を失ひ夫に代るべきものがなかつたこと即ち陛下の御信任を受けて政治を指導する政治体がなかつたことであります。それと中央部が関東軍の北支に手を出す事をどうしても止めさせ得なかった為に遂に其対策として天津軍を増強しました事が今次事変の原因となつたので此点に就て石原は当時の責任を痛感して居る次第であります。即ち当時天津軍の増強等といふ方法によらず統帥の威力により関東軍に手を引かせる様にすればよかつたらうと責任者として自責の念に駆られるのであります。
次に申上げたいのは北支に於ける兵力の配置で、最初参謀本部は通州、北京、天津に重点を置き之に依て冀東防衛の態勢を確立すると云ふ案でありましたが、之に対し梅津陸軍次官よりは条約上に照して不可なりと云ふ強い反対がありまして、遂に軍事的意見が政治的意見に押されて通州の代りに豊臺に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変の直接動機になつたと思ひます。