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昭和六・七年事変海軍戦史 第2巻

「昭和六・七年事変海軍戦史 : 初めて公刊される満州事変・上海事変の海軍正史」(緑蔭書房)
海軍軍令部

第2巻 > 第一篇 上海事変発生前ノ一般状況及両軍ノ状況 > 第三章 中央海軍当局ノ措置 > 第四節 上海事件ニ対スル指導

第四節 上海事件ニ対スル指導

昭和七年一月、上海民国日報不敬事件、日蓮僧侶傷害事件相亜イデ起ルヤ、上海方面ノ形勢俄然重大ヲ加フルニ至リ、同二十日第一遺外艦隊司令官ヨリ、邦人僧侶被害事件ニ関シ本日村井総領事ヨリ厳重抗議ノ予定ニシテ、第一遣外艦隊トシテハ、要スレバ兵力ヲ行使シテ当方ノ要求ヲ貫徹スルノ決意ナル旨ヲ報ジ来レリ。

又是ヨリ先、上海及南京実況視察ノ為、一月十一日東京ヲ発シ十九日上海ニ到シアリタル海軍軍令部次長海軍中将百武源吾ヨリ、当面ノ情況ニ関シ左記電報アリ。

機密第一番電 二十日午後三時五十分著

宛 海軍大臣 海軍軍令部長

一、十八日楊樹浦租界外ニ於ケル邦人僧侶ニ対スル支那暴民ノ残忍極マル暴行事件ニ対シテハ、在留日本人ノ激昂殊ノ外烈シク、尋常ノ解決手段ニテハ到底済マシ難キヤウ見受ケラル。

二、政府ニ於テハ、今回ノ事件ガ全然無抵抗ナル我ガ僧侶ニ対シ、租界ノ外ニ於テ起リタル事実ニ鑑ミ、此ノ機会ニ於テ少クモ当方面ニ於ケル従来ノ暴戻ナル排日行為ヲ一掃スルガ如キ強硬ナル手段ニ出デラルベキコト極メテ当然ト思考セラルル処、我ガ要求ニ対スル支那側ノ出様如何ニ依リテハ、直ニ必要トナルベキ強力ナル手段ノ方法ニ就テハ、目下一遺司令官ニ於テモ冷静ニ研究中ナルモ、差当リ海軍陸戦隊・水上兵力ノ増遣ハ何ノ道必要ナリ。成ルベク特ニ此ノ際至急能登呂ヲ回航セシムルコトハ、有ラユル点ニ於テ磁メテ効果大ナルベシト思考セラル。

二十一日第一遣外艦隊司令官ヨリ左ノ具申アリ。

第一遣外艦隊機密第八五番電 午前一時五十七分著

宛 海軍大臣 海軍軍令部長

上海総領事発外務大臣宛第四六号電ニ関聯シ、

一、現下ノ情況ニ鑑ミ、今回ノ事件ガ特ニ抗日会員タル義勇軍ノ行為ナルヲ以テ、之ヲ機トシテ抗日運動ニ徹底的弾圧ヲ加フル最適ノ機会ナリ卜信ズ。

二、期限附厳重抗議提出ニ際シテハ、本職ノ名ニ於テ自衛権発動ニ関スル声明ヲ発スル予定。

之ト同時ニ水雷戦隊一・特別陸戦隊約四百及航空母艦一ノ増派ヲ得度キ希望ナリ。

次デ同日午後七時五十九分ニ至リ、同司令官ヨリ声明ヲ発セル旨来電アリ。

此ノ日呉鎮守府所属軍艦大井及第十五駆逐隊(呉鎮守府特別陸戦隊二箇中隊乗艦)ヲ上海ニ増派セラレ、又特務艦能登呂ヲ揚子江ニ急派セシメラレタリ。(二十二日、揚子江方面行動中、警備ニ関シテハ第一遣外艦隊司令官ノ指揮ヲ受ケシメラル)

斯ク上海ノ事態益急迫セルニ鑑ミ、海軍次官海軍中将左近司政三ハ第一遣外艦隊司令官ニ宛テ、二十一日午後四時十分左記ノ通リ申進セリ。

官房機密第三二番電

十八日以来上海方面ノ事態ニ関スル真相ハ不明ナルモ、諸報ヲ綜合スルニ極メテ重大ト認メラルルト共ニ、貴官ニ於テ総領事ト協議ノ上、従来ノ経緯ニ鑑ミ、此ノ際強硬ナル手段ヲ執ラルルヲ適当ト認メラルルカ、又ハ帝国海軍ノ武威ヲ潰スモノト認ルニ於テハ、断乎タル決意ニ出デラルルコト已ムヲ得ザルベク、右ノ場合ニ応ズル為、取敢ズ陸戦隊一箇大隊ヲ増派、能登呂ノ上海回航及第一水雷戦隊ノ待機ニ関シ発令セラレタリ。但シ此ノ際特ニ注意ヲ要スルハ、今日迄邦人間ニ種々事態拡大ニ対スル陰謀アルヤニ仄聞セルト、今次邦人間ノ態度ニモ越軌ノ傾向ナシトセズ。右ハ勢ノ趨ク所避ケ難キ所ナリシナランモ、是等領事館ノ警察権ヲ侵害スル如キ行為ニ対シテハ、最近青島ニ於ケル場合同様、仮令邦人タリト雖之ヲ仮借セザル態度ニ出デ、理非ヲ明確ニスルコト肝要ニシテ、帝国海軍ノ進退及兵力行使ハ如何ナル場合ト雖、最モ公明正大ニシテ終始正義ニ立脚セルモノナルベキハ、申ス迄モナキ儀ナリ。

本件ハ近ク開催セラレントスル聯盟理事会ニ於ケル帝国ノ立場及満洲問題ノ解決ニ影響スル所甚大ナルニ付、念ノ為申進ス。

尚我方ニ於テ自衛権ノ発動ヲ已ムヲ得ズトスル場合ニ於ケル貴官対策予メ承知致度シ。

二十一日午後六時五十九分、第一遣外艦隊司令官ヨリ軍務局長宛、支那側要求ヲ容レザル場合ノ対策腹案ニ就キ電報アリ。

第一遣外艦隊機密第八六番電

宛 軍務局長  発 第一遣外艦隊司令官

支那側ガ要求ヲ容レザル場合ノ対策腹案

一、呉淞沖ニテ支那国籍商船竝ニ「ジャンク」ニ対シ必要ナル封鎖ヲ行フ。

二、租界内外ニアル抗日会本部及支部ノ弾圧。

三、飛行機ヲ以テ示威偵察ヲ行フ。

四、情況ニ依リ租界外在留邦人ノ現地保護。

五、彼ヨリ積極的行動ヲ執ルニ於テハ呉淞砲台占領。

此ノ場合差当リ更ニ特別陸戦隊一千増勢ヲ要ス。

本件ニ関シ、予メ承知シ置クベキ事項アラバ御通知ヲ得度シ。

翌二十二日、在上海公使館附武官海軍大佐北岡春雄ヨリ、上海ノ情勢ニ関シ左ノ電アリ。

機密第二〇三番電 午前三時二十八分受

宛 海軍次官 海軍軍令部次長

当地ノ形勢ハ累次電報ノ通リニシテ、加フルニ昨夜ノ東華紡績襲撃説アル等、支那側ノ侮日態度愈露骨トナリ、日支ノ関係益尖鋭化シ、居留民ノ意気軒昂真ニ憂慮スベキ状態ニアリ。従ッテ今回総領事ヨリ支那側ニ提出スル抗議ハ、此ノ際是非共即時貫徹ヲ期スル必要アリ。然ラズシテ従来ノ如ク鉄砲弾式ノ結果ニ終ランカ、不祥事件ノ勃発最早絶無ヲ保シ難シ。仍ッテ此ノ際我ガ有力ナル部隊ヲ当方面ニ増派シ、威力ヲ以テ支那側ノ承認ヲ強要シ、彼若シ聴カザルニ於テハ断乎トシテ武力ヲ行使シ、徹底的ニ支那ノ非ヲ膺懲シテ我ガ権益擁護ニ任ズルノ必要ヲ痛感ス。

機密第二〇四番電 午前四時十分受

宛 海軍次官 海軍軍令部次長

当地民衆大会ハ、昨日開催セシ在留民大会ノ決議ヲ手緩シトスル別派ニシテ、過激分子多ク、其ノ言動ニ就テ極力警戒ヲ要スルモノナル処、彼等ハ二十三日午後三時迄ニハ何等カノ形式ニテ僧侶事件解決方ヲ官辺ヨリ示サルベシト期待シ居リ、其ノ以後ニ於ケル彼等ノ出様ニ依リテハ或ハ不祥事ノ突発ヲ見ズトモ限ラレズ。

従ッテ総領事ヨリ市長宛送付セシ厳重抗議ハ、是非共期限ヲ附シ回答ヲ要求スルコトトシ、我ガ方決意ノアル所ヲ内外ニ明示セザレバ、近ク必ズ不祥事件再発シ、我ガ方対支交渉上、一層大ナル不利ヲ招来スル結果トナラザルナキヤヲ憂慮セラル、念ノ為。

次デ二十二日午後、第一遣外艦隊司令官ヨリ、平時封鎖ノ決意ニ関シ次ノ如キ来電アリ。

第一遣外艦隊機密第八七番電 午後三時四十七分受

宛 海軍次官 海軍軍令部次長

中支ニ於ケル帝国ノ権益ヲ確保スル為ニハ、目下ノ排日行為根絶ヲ期スル要アルハ申ス迄モナキ所ニシテ、今回ノ出来事ハ此ノ要求提出ノ好時機ナリト信ズ。最後ノ手段トシテハ列国ノ権益錯雑セル上海市ニ於テ事ヲ起スコトナク、海軍力ヲ以テ実行可能ニシテ且効果アリト信ズル平時封鎖ノ実行ヲ決心セル次第ナリ。

之ガ目的達成ニ要スル各種兵力ノ派遣ニ関シ御手配ヲ乞フ。実力ノ伴ハザル抗議ハ兒戯ニ等シク、此ノ機ニ乗ジ断乎タル処置ニ出ヅルコトナクンバ、当方面ニ於ケル帝国ノ権益ハ、永久ニ支那ノ蹂躙スル所トナラン。官房機密第三二番電了承。

二十二日午後八時五分前掲支那国ガ我ガ要求ヲ容レザル場合ニ於ケル第一遣外艦隊司令官ノ対策腹案ニ対シ、軍務局長海軍少将豊田貞次郎ヨリ中央ノ見解竝ニ其ノ他ノ事項ニ関シ依命申進セリ。

軍務機密第四四番電

宛 第一遣外艦隊司令官

一、貴電機密第八六番電ニ関スル当方見解左ノ通リ。

(一)封鎖ノ件ハ同意シ難シ、委細後電ス。但シ実行上ノ成算ニ関シ一応貴見承知致シ度シ。

(二)弾圧ノ件ハ此ノ際ノ処置トシテ最モ有効且合理的ト認ム。尚具体的方案決定セバ承知致シ度シ。

(三)示威偵察ノ件ハ平時状態ニ於テハ条約上違法ナルベキモ、非常手段トシテハ差支ナシ。

(四)現地保護ノ件ハ情況ニ応ジ必要ト認ム。

(五)砲台占領ノ件ハ素ヨリ当方ヨリ進ンデ採ルベキモノニ非ズ、貴電中、積極的行動ノ意味、念ノ為承知致シ度シ。

二、貴電機密第八五番電中、一箇水雷戦隊ノ増派ハ或ハ封鎖実行ニ関連セルニアラズヤトモ思考セラルル処、之ガ実行ヲ取止ムル場合ニ於テモ尚増派ヲ必要トスルヤ。

第一水雷戦隊ハ佐世保ニ於テ十八時間待機ノ姿勢ニアリテ、何時ニテモ一部又ハ全部ノ増派差支ナシ。

三、本二十二日外務大臣ヨリ総領事宛、処理方法ニ関シ第十一号電ヲ以テ、又二十三日午後三時ニ於ケル対市民応酬振ニ関シ第十二号電ヲ以テ、夫々詳細指令セラレタリ。

政府トシテハ北岡機密第二〇四番電ノ次第モアリ、二十三日午後三時ノ対市民応酬ニ対シ深甚ノ注意ヲ払ヒ居ル所ナルヲ以テ、総領事トモ協議ノ上、此ノ際政府ノ意ノ在ル所ヲ十分ニ理解セシメ、軽挙妄動シ徒ニ事態ヲ悪化セシメザルヤウ、此ノ上トモ指導注意セラレ度、以上依命。

上記封鎖其ノ他ニ関スル当局見解ノ電ニ対シ、二十四日午前四時四分第一遣外艦隊司令官ヨリ再ビ左記意見ノ電報アリ。

第一遣外艦隊機密第八八番電、其ノ一、二

宛 軍務局長

軍務機密第四四番電了承。

一、平時封鎖ハ慎重研究ノ結果、支那ノ経済絶交ニ対シ海軍力ヲ以テスル処置トシテ最モ有効適切ナルモノト認ム。尤モ本件ハ最後ノ手段トシテ之ヲ利用シ度キ心算ナリ。実施方法等ニ関シ指示セラルベキコトアラバ、予メ通知ヲ得置キ、万已ムヲ得ザルトキハ断行スルコトト致シ度キニ付再考相成度シ。

実施方法

(一)相当時日ノ余裕ヲ以テ宣言ヲ発ス。

(二)支那軍艦及砲台ニハ、彼ヨリ攻撃ニ出デザル限リ、之ニ触レザル旨通告ス。

(三)呉淞ヲ中心トシ南北三十浬ニ亘リ、揚子江水面ヲ封鎖区域トス。

(四)支那国籍船舟ノミニ限リ、第三国船舶ニハ手ヲ著ケズ。

(五)抑留商船ノ乗員・船員ノ行動ハ自由ヲ許ス。

(六)支那側ガ我ガ要求ヲ容レタル際ハ直ニ解放ス。

二、抗日会本部ハ租界内ニ、支部(四)ハ租界外ニ在リ。二十二日工部局首脳者来訪、租界内ノ軍事行動ハ協議ノ上ニテ行フコトトシ、又当方ノ希望ニ依リテハ工部局代行方申出アリ。

抗日運動停止ヲ目標トシ、関係書類全部ヲ押収、事務所ヲ強制閉鎖シ、執務ヲ不能ナラシム。

三、砲台占領ハ彼ヨリ我ガ軍艦ヲ砲撃スルカ、又ハ守備兵ガ襲撃シ来ルガ如キ攻撃的行動ニ出デタル場合断行ス。

四、水雷戦隊ハ其ノ来航ニ依リ、無言ノ威圧ヲ以テ彼ヲ屈服セシムルヲ第一義トス。封鎖実行ノ為ノ所要兵力タルコトハ勿論ナリ。

五、不良分子ヲ混在スル青年同志会(会員四、五十名)ハ別トシ、居留民一般ハ新聞報道ノ如ク甚シク常軌ヲ逸シ居ルモノトハ認メズ。当局者タル工部局及総領事館ト充分協議ヲ遂ゲ、心配ナキヤウ手段ヲ講ジアリ、又邦人ニ不軌ノ行動アラバ、海軍及総領事側ヨリ断乎タル取締ヲ為ス旨言明シアリ。同志会員ノ大部ハ近ク内地ニ送還セラルル筈。

六、兵力行使ノ時機ハ、差支ナキ限リ聯盟理事会閉会後ニシ度キ心算ナリ。

又二十四日午前五時三十分北岡公使館附武官ヨリ、上海在留邦人大会ハ、第一遣外艦隊司令官・総領事等ノ手配ニ依リ事無キヲ得タルモ、邦人一般ノ意気中々ニ強ク、他方支那側ニ於テハ抗日会ヲ標榜シ不軌ノ行動ヲ企ツルモノアリ、事件ノ解決ヲ長引カシムルハ極メテ不利ナル旨ヲ報ジ来レリ。

二十五日、第一遣外艦隊司令官ニ対シ、軍務機密第四七番電ヲ以テ、平時封鎖ニ対シ政府ハ慎重研究中ノ処、各種複雑ナル関係上、遂ニ同意ヲ表セザル点アルニ付、更ニ研究ヲ進メツツアリ、尚上海事件ノ善後処置竝ニ抗日運動ノ根本的排除ニ対スル有効且妥当ナル措置ニ就キ、別ニ政府ニ於テモ考慮中ナル旨電報セリ。

翌二十六日午前五時五十九分、第一遣外艦隊司令官ヨリ、上海ニ於ケル四囲ノ情況日増シニ紛糾悪化シ、租界外ハ戒厳令ヲ布キ、支那兵邦人住宅附近各所ニ戦闘施設ヲ為シ対抗準備中。此ノ際断乎タル処置ニ出ヅルコトナクンバ、益軽侮ヲ増シ、収拾シ難キ状態ニ立至ル虞アリ、支那側ノ態度ニ依リテハ、二十八日以後適当ナル行動ニ出ヅベキヲ宣言シ、適当ノ時機ニ第一遣外艦隊機密第八六番電第二項(註、租界ノ内外ニ在ル抗日会本部及支部ノ弾圧)、第三項(註、飛行機ヲ以テスル示威偵察)ノ実行ヲ決意セリ。尚此ノ際南京方面ノ警備、上海方面威圧ノ為、差当リ一箇水雷戦隊及陸戦隊一箇大隊(約六〇〇)ヲ、二十八日未明呉淞ニ到着スル如ク派遣アリ度、同兵力ノ増派ハ上海着迄特ニ極秘トセラレ度シ、尚加賀ノ待機ヲ希望スル旨来電アリ。

仍ッテ二十六日午後、予テ待機中ノ第一水雷戦隊(佐世保鎮守府特別陸戦隊二箇中隊便乗)上海ニ派遣セシメラレ、次デ第一水雷戦隊揚子江方面行動中、警備ノ事ニ関シテハ第一遣外艦隊司令官ノ指揮ヲ受ケシメラルル旨発電セリ。

二十七日午前在上海公使館附武官輔佐官陸軍砲兵少佐田中隆吉ヨリ参謀本部ニ宛テ、上海ノ情勢悪化ニ鑑ミ陸軍派遣ノ上申アリ。海・陸軍協議ノ結果、参謀本部ハ陸軍ノ派遣ハ時期尚早ナリトシ、又政府ニ於テモ支那本土ノ事態ハ海軍ヲ以テ処理スルヲ可トスル意見ニシテ、右ノ趣竝ニ事態拡大シテ陸軍力ヲ要スルトキハ、協議ノ上、現地ノ海軍及外務官憲ヨリモ同時ニ電請スルヤウ、参謀本部ヨリ同武官宛打電シタルヲ以テ、海軍当局ニ於テモ此ノ旨第一遣外艦隊司令官竝ニ北岡武官ニ通知スル所アリタリ。

又上海ノ情勢ニ鑑ミ、今後ノ推移ニ依リテハ聯合艦隊一部ノ佐世保方面集中ヲ必要トスルヤモ計ラレザルモ、差当リ必要ニ応ジ、第三戦隊・凰翔及第二駆逐隊ノ二艦ヲ上海方面ニ派遣セシメラルル内意アル旨、所要ノ向ニ予報セリ。

尚二十七日村井総領事ヨリ外務大臣宛、差向キノ腹案電稟アリタルヲ以テ、海軍・外務両省ニ於テ協議ノ結果、外務大臣ハ村井総領事ニ回電シ、海軍次官ハ第一遣外艦隊司令官ニ対シ左ノ通リ依命申進セリ。

官房機密第四八番電 二十七日午後十一時三十分発

一、村井総領事ヨリ二十六日附第一〇〇号大至急極秘電ヲ以テ、総領事差向キノ腹案トシテ、二十七日中ニ市長ニ対シ、二十八日午後十二時ヲ限リ最後ノ回答督促ヲ為シ、若シ夫レ迄ニ回答ニ接セザルカ、若クハ拒絶ニ合フトキハ、爾後直ニ海軍側ノ行動ヲ開始スルコトト致シ度キ電稟ニ対シ、外務省側トモ熟議ノ結果、外務電第一六号ノ通リ回電セラレタリ。

尚上海ノ複雑ナル列国関係ニ鑑ミ、行動開始ニ関シテハ申ス迄モナキコトナガラ慎重ニセラレ、工部局其ノ他関係在外公館トモ事前ノ諒解ヲ遂ゲ置カルルト共ニ、漢口其ノ他ニ及ボスベキ波動的影響ニ対シ、十分ノ警戒ヲ為シ、在留邦人保護ニ万遺憾ナキヲ期セラレ度シ。

二、今次事件ノ解決ハ、出来得レバ支那側ニ事ヲ起サシメズ、円満ニ我ガ要求ヲ容レシムルヲ有効トス、新聞報ニ依レバ、支那側ニ於テモ我ガ要求ヲ容レントスル模様モ見受ケラルルニ於テハ、現下ノ情勢、貴官ノ苦衷ヲ諒トスルモ、政府ハ事態ヲ拡大セザル従来ノ方針ニハ毫モ変化ナキ次第ニ付、此ノ点深ク考慮ノ上、此ノ上トモ慎重ニ処置セラルルヤウ致シ度、右依命。

追テ重光公使本日発長崎丸ニテ三十一日帰任ス。

次デ二十八日午後二時五十五分形勢益悪化スルニ鑑ミ、第一航空戦隊(横須賀鎮守府特別陸戦隊一箇大隊便乗)竝ニ第三戦隊ヲ成ルベク速ニ佐世保ニ在リテ四十八時間待機ト為サシムベキ旨発令、又今次上海事件ニ対シ、海軍当局談ノ形式ヲ以テ我ガ海軍ノ態度ヲ公表セリ。

二十八日午後六時三分、第一遣外艦隊司令官ヨリ『支那側我ガ要求全部ヲ承認セリ、満ヲ持シテ之ガ実行ヲ監視シ、又反動分子ノ策動ヲ厳戒セントスル』旨ノ電報、次デ翌二十九日午前三時三十五分、同司令官ヨリ海軍次官及海軍軍令部次長宛、『上海、二十八日午後三時十五分、支那側当方ノ要求ヲ全部容レタル為、形勢静観中ナリシ処、市政府方面群衆多数集合シテ不穏ノ形勢アリ、北四川路方面ハ避難民殺到シ、保安隊約二百何レカヘ逃亡シテ不安甚シ、工部局ハ午後四時戒厳令ヲ布キ、同五時各国軍隊配備ニ就ク。本職ハ午後八時三十分別電ノ声明ヲ発シ、午後九時三十分在泊各艦ノ陸戦隊ヲ揚陸、上海陸戦隊ニ協力、北四川路虹口方面ヲ主トシテ邦人居住区域ニ配備、警戒ニ任ゼシメタル』旨ノ電ニ接セシガ、午前四時四十七分ニ至リ同司令官ヨリ『工部局戒厳令ヲ布告シタル際実施スベキ列国駐屯軍協同防備計画ニ基キ、日本側担任警備区域タル北四川路両側ニ対シ、二十九日午前零時ヨリ陸戦隊配備ヲ開始セル処、支那側ノ発砲ニ遭ヒ、已ムヲ得ズ之ニ応戦シ、午前一時三十分迄ニ、虬江路西部ヲ除キ概ネ協定ノ警備線ニ到達、防禦陣地ヲ構築中』ナル旨、彼我衝突顛末ノ概報ニ接セリ。

第2巻 > 第四章 第一遣外艦隊ノ執リタル措置 > 第七節 支那側我ガ提議ヲ受諾セル以後ノ処置 > 第七節 支那側我ガ提議ヲ受諾セル以後ノ処置

第七節 支那側我ガ提議ヲ受諾セル以後ノ処置

一月二十八日午後三時十五分、上海市長呉鉄城ハ、秘書長愈鴻釣ヲ日本総領事館ニ派シ、我ガ提議ヲ全部承認スベキ旨申出デタリ。

村井総領事ハ、直ニ安宅ニ第一遣外艦隊司令官ヲ訪問シ、左ノ通報ヲ斉シ同司令官ノ意見ヲ求ムル所アリタリ。

一、支那側我ガ提議全部ヲ容認セリ。

二、在留邦人ノ代表者、総領事ヲ訪問シ、仮令支那側我ガ提議ヲ容認スルモ、従来誠意ヲ以テ条約又ハ約束ヲ履行セルコトナキヲ以テ、此ノ儘放置スルハ不可ナリ、須ク之ヲ膺懲スベキ旨忠言セリ。此ノ儘ニ経過セバ、在留邦人ノ暴行ヲ見ルヤモ量ラレズ。

司令官ハ之ニ対シ、支那側我ガ提議全部ヲ承認セルニ拘ラズ、我ガ方ヨリ自由行動ヲ執ルハ不可ナリ、一月二十一日ノ声明ニ基キ、今後支那側ガ誠意ヲ以テ我ガ要求ヲ履行スルヤ否ヤヲ監視スル心算ナリ。又在留邦人ニシテ不規ノ行動ニ出ヅル場合ハ、兵力ヲ行使スルモ之ヲ鎮圧スベキ意ナル旨ヲ述ベタリ。

而シテ塩沢司令官ハ、直ニ中央ニ向ケ、支那側我ガ方ノ要求全部ヲ容レタルヲ以テ、一月二十一日ノ声明ニ基キ、爾後其ノ実行ヲ監視セントスル旨打電スルト同時ニ、鮫島上海陸戦隊指揮官ニ対シ、支那側我ガ要求ヲ容レザル場合ニ応ゼンガ為予メ計画セル兵力行使ハ之ヲ中止シ、警戒ヲ厳ニシテ情況ヲ監視スベキヲ命ジ、又各艦ニハ此ノ情況ヲ通告スルト共ニ、明朝四時ヲ期シ、機密第一遣外艦隊命令第五号ニ準ジテ上海警備演習ヲ行フベク、本演習中、支那側ニ対スル行動ハ之ヲ行ハザル旨発令セリ。

二十八日午後四時過ギ、福島嘉三次(三井物産上海支店長・上海市参事会員)及船津辰一郎(元上海総領事・在華日本紡績同業会長)塩沢司令官ヲ訪問シ、支那側我ガ要求ヲ承認スルト否トニ拘ラズ、此ノ際兵力ヲ以テ支那側ヲ膺懲スベキ必要ヲ力説シタルモ、同司令官ハ言下ニ之ヲ拒否シ、数日状況ヲ見テ支那側ニ誠意ノ認ムベキモノナキ際、初メテ起ツベキモノナルヲ説キ、帰還セシメタリ。

同日午後四時、工部局ハ共同租界ノ戒厳ヲ令シ、米・英・仏駐屯軍ハ逐次協同防備計画ニ依ル警戒配備ニ就ケリ。

(伊国軍隊ハ二十九日配備ニ就ク)

(註)第一遣外艦隊司令部ガ、工部局ノ戒厳下令ヲ知リタルハ午後五時頃ナリキ。

当時北四川路方面ニ於テハ、支那軍隊ノ一部、我ガ居留民ノ居住区域ニ直面シテ敵対施設ヲ為シ居レルヲ以テ、此処ニ我ガ兵ヲ配備セバ、勢ヒ衝突ヲ免レザル状態ナリ。

事件ノ直接当事者タル日本トシテハ、支那側既ニ我ガ要求ヲ容レタル此ノ際、警備ノ為ノ兵力ト雖、之ヲ動カシテ衝突ヲ惹起スルハ、我ガ方ノ意志ニ非ザルヲ以テ第一遣外艦隊司令官ハ、即時待機ノ姿勢ヲ以テ警戒ヲ厳ニシ、万已ムヲ得ザルニアラザレバ、兵力ヲ実際ニ配置セザル決心ナリキ。

午後五時半、日本電報通信社上海支局長神子島悟郎ヨリ、山縣第一遣外艦隊参謀ニ、呉市長ノ無条件ニテ日本側要求ヲ容認セルヲ不満トシ、南市方面及上海市庁附近ニ騒擾ヲ生ジ、又閘北方面ニ於テハ、人心動揺甚シク、物情騒然タル旨通知アリ。

午後六時三十分、鮫島陸戦隊指揮官旗艦安宅ニ赴キ、北四川路附近ハ邦人及支那人ノ租界内ニ避難スル者夥シク、為ニ雑沓ヲ極メ居レルヲ以テ、租界内ト雖、艦船陸戦隊ノ揚陸演習ハ実施困難ナル旨ヲ報告セリ。

第一遣外艦隊司令官ハ以上ノ情況ニ鑑ミ、予定ノ演習ヲ取止ムル旨発令セリ。

又北四川路附近支那街一帯ノ支那公安局巡捕ハ全部逃亡シ、一方支那軍ハ益敵対ノ態度ヲ露骨ニシテ、邦人ノ不安極度ニ達シ居レル旨ノ情況報告アリ。

茲ニ於テ、当夜此ノ儘ニ放置セバ、一夜ノ中ニ掠奪・砲火等ノ危険ニ遭遇スルヤモ計リ難ク、在留邦人ノ保護ト帝国権益擁護ノ大任トヲ有スル第一遣外艦隊トシテハ、斯クノ如キ情況ヲ坐視スルヲ得ザルヲ以テ、司令官モ遂ニ決心スル所アリ、支那側我ガ要求ヲ容レザル場合ノ予定軍事行動トハ異レル意味ニ於テ、機密一遣命令第五号ヲ修正シテ、協同防備計画ニ於ケル日本軍担任区域ニ兵力ヲ配備シ、以テ在留邦人ノ保護ヲ為スニ決セリ。現地保護ニ対スル第一遣外艦隊ノ計画別紙(一五二頁)ノ如シ。

而シテ之ガ配備開始ノ時刻ニ関シ、鮫島陸戦隊指揮官ヨリ、陸戦隊ヲ揚陸シ又部隊長ヲ集合セシムルニ多クノ時間ヲ要スルノミナラズ、交通少ク、地勢ノ視認ニ便ナル時刻ヲ選バザルベカラズトノ見地ヨリ、翌日午前四時ヲ適当トスルノ希望アリタルモ、第一遣外艦隊司令部ニ於テハ、本配備ハ戒厳ニ伴ヒテ実施スルガ故ニ、過度ニ多クノ時間ヲ置クハ適当ナラズ、支那軍隊トノ衝突ヲ避ケタキ当方ノ心算ナルヲ以テ、我ガ意図ヲ発表シ、且支那軍ニ其ノ誠意アラバ、撤退ノ余裕ヲ与フル為ニ相当ノ時間ヲ置カザルベカラザルモ、午前四時ハ遅キニ失ス、其ノ間支那側ヨリ危害ヲ加ヘラルル虞大ナリトノ理由ニ依リ、発動ノ時機ヲ二十九日午前零時ト定メ、午後八時山縣参謀ヲ日本人倶楽部ニ派遣シテ、左ノ声明ヲ新聞社一同竝ニ主ナル邦人ニ発表スルト同時ニ、村井総領事ニ依頼シテ之ヲ支那側ニ手交シ、一方工部局及列国領事ニ通報セリ。

(附記)本声明書ハ、午後八時三十分乃至九時頃総領事館ニ達セシガ、当時交通機関杜絶シアリシヲ以テ、同十一時三十分漸ク市政府ニ手交セリ。

    当時市長ノ居所不明、群衆ニ脅カサレ、身ヲ隠セルモノノ如シ。

声明

目下上海ハ、租界内外ヲ問ハズ人心動揺シ、形勢不穏ニシテ刻々悪化シ、工部局ハ戒厳令ヲ布キ、各国軍モ又警戒ヲ厳ニシツツアリ。

帝国海軍ハ、多数邦人ノ居住スル閘北一帯ノ治安維持ニ関シ、不安ト認ムルヲ以テ、兵力ヲ配備シ、之ガ治安ニ任ゼントス。

本職ハ、閘北方面ニ配備セル支那軍隊ノ敵対施設ヲ速ニ撤退センコトヲ支那側ニ要望ス。

昭和七年一月二十八日午後八時

第一遣外艦隊司令官

午後九時三十分、陸戦隊ニハ警戒配備ニ就クベキ準備ヲ、又在泊艦船ニハ第一編制陸戦隊(乗員三〇%)ノ揚陸ヲ命ジタリ。

斯クテ二十九日午前零時、予定警備地区ニ就カントシテ北四川路ヨリ行動ヲ起スヤ、突如先ズ便衣隊ノ射撃ヲ受ケ、次デ敵正規兵ノ射撃ニ遭ヒ、我ガ軍之ニ応戦、茲ニ日支両軍ノ交戦ヲ見ルニ至レリ。

(別紙)

現地保護計画

一、支那軍隊ノ情況

(一)上海ニ集中セル支那軍隊ハ、第十九路軍ノ第六十師及第七十八師ヲ主力トシ約二万内外ニシテ、当夜閘北一帯ニ約七千ノ軍隊アリ。

(二)当夜総領事館警察ノ情報ニ依レバ、

(イ)北停車場ニ、支那兵ヲ満載セル十箇列車及装甲列車(大砲及機関銃ヲ装備ス)一アリ。

(ロ)江湾路ト同済路ノ交叉点ニ、支那兵四、五百アリ、土嚢ヲ築キアリ。

(ハ)広東会館ニ二百、商務印書館ニ二百、北停車場ヨリ宝山路ニ掛ケ四百ノ支那兵アリ。

(三)抗日会義勇軍・学生・工人等ニ依ッテ組織セラレアル抗日決死隊ハ、密ニ便衣隊ヲ租界内及北四川路方面ニ潜入セシメ、故意ニ人心ノ撹乱ヲ行ヒ、且邦人狙撃ノ機ヲ窺ヒツツアリトノ情報アリ。

二、我ガ軍ノ目的

租界協同防備計画ノ協定区域ニ我ガ軍ヲ配備シ、以テ北四川路附近居住邦人ノ現地保護ヲ行フニアリ。

三、陸戦隊兵力区分及警備分担区域

区分部隊名警備分担区域記事
中央警備隊本部一般(一)戦車隊ハ、全軍進出ノ際、装甲車二台ヲ夫々第一、第三大隊ニ、機銃車ハ第五中隊長ノ指揮下ニ入ラシム。爾余ハ予備隊トシテ海軍宿舎ニ控置ス。
(二)虹口一帯ノ巡邏及応急隊ヲ受持ツ。
(三)特科隊ハ中央警備区域又ハ工場地帯ノ巡邏警戒ニ任ゼシム。
戦車部隊
附属隊
十五駆
陸戦隊
第一中隊
第六中隊
二区(一)第一大隊(一、二中)ハ第一線部隊トシテ対敵配備ヲ主トス。
(二)第三大隊(六、七中)ハ第二線部隊トシテ第一線部隊ニ協力シ、併セテ内方警戒ニ任ズ。
(三)第一大隊本部桃山、第三大隊本部北部小学校
第二中隊
第七中隊
三区
常磐
夕張
五区 
第四中隊
(一小隊欠)
六区第二大隊ハ四、五中隊ニシテ、大隊本部ハ月ノ家花園前山田邸
第五中隊
(一小隊欠)
曲射砲隊
一区花園街方面
北部野砲隊四区野砲陣地ハ射的場附近ニ選定ス。
虹口大井
安宅
七、八区 
西部第三中隊
(一小隊欠)
西部工場地帯 
豊田紡小隊豊田紡
東部公大第二部隊
公大第一部隊
東部工場地帯公大第二社宅、一水戦(夕張欠)一中隊、第二大隊ノ一小隊
公大第一社宅、一水戦(夕張欠)ノ一小隊
大康社宅、一水戦(夕張欠)ノ残部隊及第二大隊ノ一小隊
大康部隊

特別陸戦隊員 一,八三三

艦船陸戦隊員 一,二九三(二十九日午前五時迄ノ増援兵力ヲ含ム)

計      三,一二六

(註)外ニ上海義勇隊日本隊員一〇一名アリ、常盤夕張隊ト共ニ中部小学校ニ駐ス。

第1次上海事変_北四川路周辺防備区域